見もの・読みもの日記

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王朝文化の和と漢/唐物の文化史(河添房江)

2014-04-26 07:39:27 | 読んだもの(書籍)
○河添房江『唐物の文化史:舶来品からみた日本』(岩波新書) 岩波書店 2014.3

 異国からもたらされた貴重な品々。前近代には、それらを総称する「唐物(からもの)」という言葉があった。本来は、中国からの舶来品、もしくは中国を経由した舶来品を示す言葉であったが、近世には、南蛮もの、さらにオランダものを含めて、舶来品を総称するようになった。

 そこで本書は、舶来品すなわち唐物が、古代から近世までどのように日本文化に息づいているのか、明らかにすることを目指している。テーマは面白いけど、ちょっと大きく構え過ぎじゃないかと思った。

 私は前半が非常に面白かった。最初に登場する舶来趣味の重要人物は、聖武天皇。その象徴的な場として挙げられているのが難波宮である。そうか、そうであったか…先日、難波宮跡を見てきたばかりなので感慨深かった。難波宮跡には桜が植わっていたが、本当なら梅林にすべきだったな。天平4年には、中国皇帝の冕冠を着用した記録があり、小泉淳作さんがその姿を描いている(※先日、東大寺本坊襖絵とともに公開されたらしい)。コスプレみたいな哀愁とともに、海の向こうの先進文化を慕った聖武天皇の本気が偲ばれる。

 鑑真の招来品のリストは興味深い。「王羲之の真蹟行書一帖」を日本に持ってきていたというのは驚いた。よく持ち出せたな~超国宝級じゃないか…。国風文化の象徴のような「薫物」も、唐代の練り香がもたらされたことがルーツになるという。本書は全く触れていないけれど、リストの中にある「天竺の草履」が、私は気になる。

 さて平安初期といえば、私の学生時代は「国風暗黒時代」という、あらためて思うとトンデモな名前で呼ばれていた。しかし、中心人物である嵯峨天皇は、書にも音楽にも茶にも造詣の深い、いまの呼び方ならグローバル文化人であったことが分かる。国風文化の端緒を開いた仁明天皇も然り。894年の遣唐使廃止によって唐風文化の影響が薄れ、国風文化に推移したというのは、まことしやかなウソで、8世紀の新羅商人や渤海商人、9世紀の唐商人の活躍によって、唐物の流入は遣唐使時代よりも増加していたという。

 醍醐天皇による唐物御覧。『竹取物語』『うつほ物語』『源氏物語』など、王朝文学の中に描かれた唐物趣味を掘り起こす段は非常にスリリングに感じた。『枕草子』にさりげなく描かれた中宮定子の「白い衣に紅の唐綾」も、舶来ブランドファッションだったんだな。そして、藤原道長! 政治家のイメージが強くて、こんなに書物愛に満ちた文化人だったとは気がつかなかった。そして、和漢の文化の輝きをまとった道長のイメージは『源氏物語』の光源氏に重なる。

 「光源氏になりたかった男たち」と名指されるのが、平清盛、足利義満。なるほど、「光源氏」を単に多くの女性たちを愛し、愛された色男で、王朝文化=国風文化の体現者と見てしまうと、疑問符のつく見立てだったが、光源氏=藤原道長のイメージを前段のように修正すると、とても納得がいく。

 武士の世に入り、茶の湯の流行とあわせた戦国武将の唐物熱狂は、だいたい既知の事実を裏切るものはなかった。江戸時代は「蘭癖の将軍」徳川吉宗がやはり傑出していて、ある意味、このひとも「光源氏になりたかった男」の末裔かもしれない、と思った。朝鮮から、輸出禁止の朝鮮人参の種子と生草を入手し、国産化に成功するなど、すごい話だ。今の日本に、こういう政治家は出ないものかなあ。

 このほか気になった存在は、吉田兼好の、時流に反した唐物嫌い。そういえば、現代の保守派の政治家・思想家って、妙に『徒然草』が好きだなあ。古い時代では、唐物かぶれの祖ともいうべき天智天皇の記述がないのが、やや残念。
コメント
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