「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

「村上ワールド」に思う

2023年12月15日 | 独り言

作家の「村上春樹」さんについては、人によってかなり好き嫌いがハッキリ分かれているような気がする。

あの独特の「村上ワールド」が鼻につくか、否かが「分かれ目」かな・・。

かくいう自分はといえば、まともに長編小説に取り組んだことはないし、取り立ててファンということではないが、彼の音楽についてのコメントにはハッとさせられることが多い。

たとえば一例を挙げると、以前のブログにも書いたことがある「バイロイト音楽祭」についての紀行文。(抜粋)

 僕は思うのだが、優れた芸術とは多くの奥深い疑問を我々に突き付けるテキストのことだ。そしてたいていの場合、そこには解答は用意されていない。解答は我々一人ひとりが自分の力で見つけていくしかない。

 おまけにそのテキストは~もしそれが優れたテキストであればだが~休みなく動き続け、形を変え続ける。そこには無限の可能性がある。時には間違った解答も出てくることもあるかもしれない。そこにはそんな危険性もある、しかし可能性とは危険性の同義語でもあるのだ。

はたと、
膝を打ちながら、そうなんです!(笑)

モーツァルトの「この世のものとは思えないほど美しい」音楽を聴くたびに、いつも胸を揺さぶられ、そしていくつもの疑問が湧き上がってくる

k136 K165 K364 K427 k620 、etc.

 200年以上も前の作品がどうしてこれほど胸を打つのか・・、人間の命はこんなに”はかない”のに芸術の生命はなぜ永続するのか?

 芸術と娯楽の違いって何? 人間を慰め、鼓舞し、明日への活力を生み出すという点ではそれほど変わりがないように思うが・・。

 両者とも終局的には「美」の有無に尽きるのか、そして「美の本質」とはいったい何か・・。

 「五味康佑」氏に言わせると音楽の背後に「民族の興亡を象徴する神」の存在が感じられるかどうかが決め手・・。

等々、もちろん、解答なんか用意されていないので永遠に自問自答するしかない。

で、先日のこと、図書館では絶対に見かけない本を大型書店で購入した。


相変わらず「村上ワールド」が展開されている。

この中に「私的読書案内」として51冊の本が紹介されており、「痛快極まりないご機嫌な本だ」というのが「カーク・ダグラス自伝~くず屋の息子~」だ。


カーク・・といえば1950年代前後のハリウッドを代表する男優だ。

興味を引いたのがこの部分(抜粋)

「とくに実名入りで列挙される「この女優とやった」「あの女優ともやった」という総天然色カラフルな自慢話(ほとんどやりまくり状態)は読んでいて唖然としてしまう。ええ、ほんとかよ‥みたいな感じで。日本ではこんな本は絶対に陽の目を見ないだろう。そういう意味でも貴重な記録かも」

アハハ・・。

ところがこの本と偶然出くわしたのである。

我が地元の「図書館」は10万以上の都市では何から何までおそらく最低レベルである。さすがに恥ずかしくなったのか、2年後に新図書館の完成に至ることになり、それに向けて古くなった「蔵書」の整理が行われている。


つまり、どうか自由に持ち帰ってくださいというわけで、入り口のところに山積みされていたうちの本がこれ。



「下巻」だけだったが「野次馬根性」とともに読んでみた(笑)。

ところが、意外と真面目な本で「やった」話はまったく出てこないので、おそらく「上巻」に集中しているのだろう。

なかなか複雑な人物のようで、けっして自慢話ばかりではなかった。

たとえば、有名スターにありがちだが、監督にいちゃもんを付けて自分の好きなようにシナリオを変更させるのは「朝飯前」のこと、とうとう自分が監督をやるということで2作ほど作ったが、これが大不評・・。やはり自分は監督の器ではない、いちゃもんを付けるのが関の山だった、というような素直な自省の弁が出てきたりする。

ほかの男優たち、ジョン・ウェイン、バート・ランカスター、グレゴリー・ペックなどとの交流も出てくるので、往年の洋画ファンにお薦めの本です。

「村上ワールド」に関わると退屈しないのはたしかですね(笑)。



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