懇意にさせていただいているメル友さんから、このほど「このところブログが、ほぼ日刊になっていますね。読者として大歓迎です。」というご連絡をいただいた。
そう言っていただくと光栄ですが、実は読者のためではなく自分のためなんですよ(笑)。
というのも・・、
ブログを始めてからこの10月下旬で丸17年になるが、これまではほぼ2日に1回のペースだった。
実を言うと「この程度のブログでも安売りなんかしないぞ」(笑)という気概を持っていたのだが、このところ(ブログの)投稿にやや疲れとマンネリ感を覚えてきた。
1日休みを置くと次に投稿するのがつい億劫になってサボりたくなってくる、そこで連日投稿すればそういう気にならないかもしれないと自分を奮い立たせて追い込もうという魂胆だ。
今のところ生活の「リズム」の一部になっているせいか「億劫感」もないが、何しろ移り気な性格なのでいつまで続くことやら・・。
ただし、量が増えたことによる内容の吟味がおろそかになっていることはたしかで、流れ作業みたいになって勘違いやミスも多くなっているし、これまでも大した内容ではなかったが、ますます粗製濫造気味かなあ~(笑)。
たとえば、どうでもいいようなことをぐだぐだと引っ張って「水増し」しているケースもあったりするので賢明な読者はきっとお気づきのことだろう。
「水増し」する能力ってのもあるなあ・・・。
で、「水増し」といえばついブルックナーの「交響曲」を思い出す。
音楽とオーディオの大先達だった「五味康佑」さん(故人)はブルックナーの交響曲について「芳醇な美酒だけどやや水増し気味」といった趣旨のことをたしか記載されていたはずだ。
五味さんの著書はほとんど目を通しているので、探してみるとやっと見つけました!
22頁に載ってた。長くなるが引用させてもらおう。
小題は「明けても暮れてもブルックナー」
「今はそれほどでもないが、一時やたらとブルックナーのレコードが発売されFMの時間帯にも登場した。ちょっとしたブルックナー・ブームだった。なぜ、そうなのか?
アントン・ブルックナーの交響曲はたしかにいい音楽である。しかし、どうにも長すぎる。酒でいえばまことに芳醇であるが、量の多さが水増しされた感じに似ている。
これはブルックナーの家系が14世紀までさかのぼることのできる(むろんマーラー同様彼もユダヤ人だが)農民の出であることに関係がありそうだ。
つまり、のどかな田園の明け暮れ、生い立ち、音楽的にも地方の教会オルガニストとして出発したので~晩年までこれは変わらなかった。一時パリのノートルダム大聖堂のオルガン奏者だったこともある~都市の喧騒や苛立ちとは無縁な農夫の鈍重さ、ともいうべき気質に馴染んだためだろう。
それにしても、だからといって彼の膨大な交響曲ばかりが発売される理由にはなるまい。
理由は、うがった見方をすれば、ほかに売り出すレコードがなかったからだと私はみている。LPがステレオになって、クラシックでは当然ながらまずベートーヴェンやモーツァルト、大バッハの名曲が相次いで発売され、名のある指揮者やオーケストラは競ってこれらを録音した。
なかには極め付きと称される名盤もできた、そうなれば月々なにかを発売しなければならぬレコード会社は他に新分野を開拓せねば営業が成り立たず、そこでクラシック盤が一応出そろうと、あと、売れやすいワーグナーの楽劇からマーラーにいたり、ついにブルックナーに手を出した。出さざるを得なかった(一曲でレコード2,3枚買わされるのだから)と私は思う。
まあ、そのおかげで以前はあまり聴く機会もなかった彼の芳醇な曲を味わえたのだから文句はないが、でもやっぱり長いなあ。水増しされてるなあ。
それをまた丹念に抜粋もせず放送局は流している。なにかブルックナーさえ鳴らしとけば放送時間がうずまると担当者は横着に考えるからではないか、と僻みたいくらいで、要するにその程度の音楽にすぎない。明けても暮れてもブルックナーでは閉口である。」
以上のとおりだが、「水増し」という言葉から意外な方向に展開してしまい、おかげさまで今回のブログも随分「水増し」させてもらいました(笑)。
ちなみに、ブルックナーの極めつけの名曲と録音は周知のとおり指揮者チェリビダッケによる「第八番」(リスボン・ライブ盤)ですよね。
これまでオークションで海賊版としてずっと高値を呼んできたが、このほど正式に発売された由。
でも、こうやって並べて書いてみると、作曲家と指揮者ともにゆったりとしたテンポといい「水増し気味」といい、似たような共通点があると思いませんかね(笑)。
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