明治から大正・昭和にかけて「小説の神様」と謳われた文豪「志賀直哉」(1883~1971)に「リズムとマンネリズム」というタイトルのエッセイがある。その一部を紹介してみよう。
1 偉れた人間のする事、いう事、書く事、何でもいいが、それに触れるのは実に愉快なものだ。
自分にも同じものが何処かにある、それを眼覚まされる。精神がひきしまる。こうしてはいられないと思う。仕事に対する意志を自身はっきり(あるいは漠然とでもいい)感ずる。
この快感は特別なものだ。いい言葉でも、いい絵でも、いい小説でも本当にいいものは必ずそういう作用を人に起す。一体何が響いて来るのだろう。
2 芸術上で内容とか形式とかいう事がよく論ぜられるが、その響いて来るものはそんな悠長なものではない。そんなものを超絶したものだ。自分はリズムだと思う。響くという聯想でいうわけではないがリズムだと思う。
3 このリズムが弱いものはいくら「うまく」出来ていても、いくら偉らそうな内容を持ったものでも、本当のものでないから下らない。小説など読後の感じではっきり分る。作者の仕事をしている時の精神のリズムの強弱問題はそれだけだ。
4 マンネリズムが何故悪いか。本来ならば何度も同じ事を繰返していれば段々「うまく」なるから、いいはずだが、悪いのは一方「うまく」なると同時にリズムが弱るからだ。
精神のリズムがなくなってしまうからだ。「うまい」が「つまらない」という芸術品は皆それである。いくら「うまく」ても作者のリズムが響いて来ないからである。
以上のとおりだが、モーツァルトの音楽を聴くといつもワクワクして心が弾んでくるのもこの「リズム感」が伝わってくるからに違いない。絶妙に波長が合うのだろう。
人間同士でも、いちいち言葉にしなくても伝わってくる「以心伝心」もリズム感のおかげかな~。
それに引き換え、天と地ほどに差があるこのブログ(笑)。
文章も内容も陳腐化する一方で、大切な「リズム感」が読者に伝わっているかどうか非常に心もとない。
ここは「名文」を引用して自戒としておこう。なぜ名文なのかは賢明な読者のことなのできっとお分かりになるはず~。
「1943年初め、中国戦線に展開していた支那派遣軍工兵第116連隊の私たちの小隊に、武岡吉平という少尉が隊長として赴任した。早稲田大理工科から工兵学校を出たインテリ少尉は、教範通りの生真面目な統率で、号令たるや、まるで迫力がない。
工兵の任務は各種土木作業が主であり、力があって気の荒い兵が多い。統率する少尉の心労は目に見えていた。1944年夏、湘桂作戦の衛陽の戦いで、敵のトーチカ爆破の命令が我が小隊に下った。生きて帰れぬ決死隊である。指揮官は部下に命じればよいのだが、武岡少尉は自ら任を買い、兵4人を連れて出て行った。やがて大きな爆発音がした。突撃する歩兵の喚声が聞えた。爆発は成功したのだ。
決死隊5人は帰ったが、少尉だけが片耳を飛ばされ顔面血まみれだった。なんと少尉が先頭を走っていたという。戦後30年たった戦友会で武岡少尉に再会した。戦中と同じ誠実な顔をされていた。大手製鉄会社で活躍、常務となって間もなく亡くなった。」
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