昔から本が好きでヒマさえあれば何か読んでいる。まあ一種の「活字中毒」みたいなものだが、読んでいる中身が中身なのであまり褒められたものではない。
”自分さえ面白ければそれでいい”という割り切りの中での濫読、しかもミステリー中心なので自己を高めるような「高尚な本」がほとんど見当たらない。
それを反映してかブログにも「高尚な話題」がまったく見受けられないのがちょっと残念!
とはいえ、中には「考え込まされる」記事に時々出会うこともあり、その都度こまめにコピーして保管しているが、先日何気なく整理していたらそのうちの一つに次のようなものがあった。
それは、2002年12月24日号の「エコノミスト」誌に特別寄稿されていた河合隼雄氏(故人:元文化庁長官)の「現代病が中高年を襲う」だ。河合隼雄(かわいはやお)氏といえば国際的な「ユング心理学」研究の第一人者。
この記事は現在でも社会問題となっている中高年の自殺についてその原因と対策を心理学の立場から分析したものである。
少々舌足らずだが要約して、箇条書きにしてみた。
1 人生の前半と後半では生きることの意味が変化することに早く気づく。つまり、前半は地位、財産が向上するが、後半は死に向かって下降していく
2 中年期は価値観の転換とともに「老」「死」に対する準備を始める時期
3 そのためには、仕事だけでなく幅広く文化的なことや芸術に関心を向ける
4 一流の文化や芸術はその底流に「死」を内在させていることに気付くことにより、「死」をいかに受け止めるか自然と考えるようになる。
5 しかし忙しい現代人にはあまり悠長なこともいっておられないのでとりあえず「こころの出家」を薦める。
6 「こころの出家」とは、日々の生活の中で今まで居たところから「出て」外から自分を眺めてみること。
大要は、「中高年はもっと異なる文化や芸術に関心を持ち、心のゆとりを持って自分の世界を広げてみよう」ということのようである。
幸い趣味が音楽なので「こころの出家」は自分なりに実行しているつもりだが、4の項目の「一流の文化や芸術はその底流に”死”を内在させている」の真意がちょっと分かりづらい。
たいへん含蓄に富む言葉だと思うのだがこれは一体どういう意味だろうか?
「死は最良の友だちです」とは父親あての手紙に書き記したモーツァルトの言葉だが、一流の芸術作品には何代に亘っても朽ち果てない永遠の生命力が吹き込まれていることと関係するのだろうか。
「五味康祐」さん流に解釈すると「一流の芸術には神があり死がある。神とは民族の発生から終末にいたるその民族の人格に他ならない」ということになる。
最終的には書いたご本人にお伺いするのが一番よいのだが、河合さんは既にお亡くなりになっているので永遠に未解決。
しかし、むしろこうしたテーマは漠然とした意味のままに折にふれときどき考えることに意義があるのかもしれない。
今年の猛暑には閉口したが、23日を境にようやく涼しくなるという。
さあ、いよいよ「物思う芸術の秋」の到来です。