「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

老兵はただ消え去るのみ

2024年03月24日 | 独り言

いつぞやの「日経新聞」に興味深い記事があった。

題して「死者のプライバシーは守れるか」。

デジタル遺産の話題はこのブログでも以前に取り上げたことがあるが、最新情報になるので無視するわけにもいかない。

この ”冴えないブログ” だっていずれデジタル遺産になるのだから、当人にとってはかなり切実感がありますよ~(笑)。

   

解像度がイマイチのため読みずらいでしょうから要約してみよう。

「著名な人物が残した言葉や写真は社会的、歴史的な価値を持つ。ただ今はごく普通の人でも思いがけずたくさんの情報を死後に残す時代だ。

SNSへの書き込みやスマホやパソコン内のデータなど、死後に残る「デジタル遺品」への関心が高まっている。

60人の大学生を対象にアンケートをとったところ、「削除したい」が51%、「残しておきたい」が13%、「遺族に任せる」が23%だった。

ただし、死後にそのまま放置すると乗っ取られて悪用される危険がある。

その辺を留意しつつ、逆に故人を追悼するホームページをつくったり、亡くなった人が綴ったブログを保存したりするケースも増えてきた。

親しい人の写真や遺品を長く残したいとの思いは自然だ。ネットの上ならいつでも遠くからでも訪れることができる。

死後に残したデジタルデータは誰のものなのだろうか。死後のプライバシーというのはあるのだろうか。

研究者によると「はっきり定めた法律はない」。プライバシー保護に熱心な欧州の保護規則も対象となっているのは生きている人だけだ。

結局「生前のプライバシーと同様に故人の意向に沿って取り扱われるのが望ましい」。

理化学研究所の人工知能の研究家は次のように述べる。

日々の生活や行動の一切を記録した画像や音声などを「ライフログ」と呼ぶが、一生分を残すことは可能だ。このデータを活用すればあたかもその人がまだ生きて話すかのように応答する「AIもどき」がつくれる。それも本人そっくりに巧妙にデザインされたCG動画付きで。

そんなことが当たり前になれば、親しい人を弔うという慣習や個人を偲ぶ気持ちも次第に今とは変わったものになっていくのかもしれない。

人生は短くデータは長生きだ、そんな時代の入り口にいる。」

とまあ、かいつまむと以上のような内容だった。

そこで、このブログについてだが・・、本日現在(2024・3・24)で存続期間が「17年4か月」、記事の本数は「3371件」となっている。

長続きした方かな・・、1件当たりの文章の長さもおよそ3500字前後で原稿用紙およそ8枚分と、コツコツと足跡を刻んできた。

で、ブログ主がオワとなって(このブログの)行く末となると、「妻」と「娘」の双肩にかかっているわけだが、前者は「パソコンに疎い」のでまったく当てにはならない、残る頼りの娘(他県在住)は現在仕事の面で人生で一番忙しいポストに就いており、亡き親父のブログの管理に構っている余裕なんてないはず~。

それに加えて、そもそも「更新しないブログ」ってただただ忘れ去られていくのみ・・、ちなみにこのブログの読者はとてもシビヤで少しでも内容に新味というかヒネリがないとアクセス数がガクッと落ちる、それはもう鮮やかなほど・・、まあ逆に発奮させられますけどね~(笑)。

また、いつぞやのこと・・、心臓にステントを入れる手術をして1週間ほどブログを休んだところ、途端にアクセスが急降下だったのも記憶に遺っている。

そもそも読者なんて、なんの縁もゆかりもなく記事だけの繋がりなんだからそういうもんでしょうよ~。

というわけで、家族も読者も当てにできないし、またすべきではない。

したがって老兵はただ消え去るのみ・・、生前からわざわざ(ブログの存続を)話題にするほどのこともなさそうですね、それよりも遺された「オーディオ機器」の行く末の方が心配だよね~(笑)。



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