ここ数日、別府(東九州)はどんよりした天気が続いているが、時折り晴れ間がさすので空を見上げてみると雲が高く感じる。
そろそろ梅雨明けかもねえ・・。
今年の梅雨の訪れは珍しく早くて5月中旬から始まったので終わりも早仕舞いしてほしいが、ここ数年、九州地方は相次ぐ豪雨災害に見舞われており、これで済めばほんとうに「めっけ物」だが、はたして。
さて、先日、図書館から借りてきた本の中にこういうのがあった。
「薬石としての本たち」(文芸春秋社刊)。
著者は「南木 佳士」(なぎ けいし)さん。医師にして、作家の二足草鞋で1989年「ダイヤモンド ダスト」で芥川賞を受賞された方である。
タイトルにある「薬石」とは聞き慣れない言葉なので、「広辞苑」の出番となった。
「石は石針のことで古代の医療器とあり、① 種々の薬及び治療法 ② 身のための益となるものごと」とある。
本書の内容を一言でいえば、身の回りの事柄と医療にまつわるエッセイ集だった。
持病(狭心症)を抱えているので日頃から健康オタクのじぶんには恰好の本である。
いつも有益な情報があれば取り入れようとアンテナを張っているものの、今のメディアには売らんがための健康情報が氾濫しているので、正か邪か、あるいは、じぶんに合っているかどうかその見極めがたいへん難しい。
その点、本書はさすがにお医者さんが書いただけあって、なかなか頷かせるものがあった。そのうちでも著者がすっかりはまってしまい、とても有益だったという本が紹介してあった。
「脳を鍛えるには運動しかない」(J・レイティ:ハーバード大学医学部準教授ほか共著、NHK出版)。
センセーショナルなタイトルに魅かれて解説箇所を熟読したが、なかなか面白そうなので抜き書きしてみた。
「運動すると気分がスッキリすることはだれでも知っている。けれども、なぜそうなるかわかっている人はほとんどいない。ストレスが解消されるから、筋肉の緊張がやわらぐから、あるいは、脳内物質のエンドルフィンが増えるから・・・。たいていの人はそんなふうに考えている。
でも本当は、運動で爽快な気分になるのは、心臓から血液がさかんに送り出され、脳がベストの状態になるからなのだ。わたしに言わせれば運動が脳にもたらすそのような効果は、体への効果よりはるかに重要で、魅力的だ。筋力や心肺機能を高めることは、むしろ運動の副次的効果にすぎない。
わたしはよく患者に運動をするのは、脳を育ててよい状態に保つためだと話している。現代の文化は心と体を別もののように扱っているが、わたしはそれをふたたび結び付けたいと思っている。長らく私は、心と体の結びつきというテーマを夢中になって追及してきた。」
改めて人間は脳ありきの動物だということを再認識させられるが、そういえば、はるか昔の高校時代のこと、片道3kmほどの距離を徒歩で通学していた時期とバスで通学していた時期とがあって、何故だかテストの成績が前者の方がきまって良かったことを、ふと思い出した。
肝心の適度な運動の中身については次のとおり。
「最大心拍数の60~70%の運動は脳の血流を増し、それによってBDNF(脳由来神経栄養因子)をはじめとする物質がつくられるようになり、それらはあたかも植物における肥料のごとき働きを示し、脳内のニューロンの枝を増やしてあらたな神経回路を形成する。また神経伝達物質であるセロトニンも脳の血流が増えればそれにつれて増えてくるので、運動習慣を身につけた者とそうでない者とではうつ病の再発率に決定的な差が出てくる。」
長年「うつ病」に苦しんできたという著者(南木氏)にこの言葉は、ひときわ福音だったようだ。
ちなみに最大心拍数とは「220-年齢」だが、適度な運動とはこの60~70%ということになる。たとえば70歳だとすると、90~105の間の脈拍数で運動すればOK。じぶんの場合、運動ジムでエアロバイク(30分間)を漕ぎながら心拍数をみるといつも95前後になるので、どうやら今のままのペースでいいようだ。
現在のささやかな願いといえば、ボケを少しでも遅らせて周囲に迷惑をかけないで済めばこれ以上のものはない。
とかく運動不足に陥りやすい「音楽&オーディオ」愛好家にとって脳を鍛えることは喫緊の課題だと思う。そのためには日常的に意識して体を動かすことに尽きるようだ。
最後に本書の中で「薬石」として紹介してあった本の一部を列挙しておこう。
「脳と自然と日本」「手入れ文化と日本」(養老孟司)、「流れとよどみ 哲学断章」(大森荘蔵)、「マンネリズムのすすめ」(丘沢静也)
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