日本経済新聞の「土曜・日曜」版は、日頃のお堅い「経済記事」のほかに読書や音楽などの誌面が充実していてなかなか楽しい。
去る12日(土)付けの記事にこういうのがあった。
文豪「芥川龍之介」のご子息「芥川比呂志」さんのエッセイは話題に滋味があるだけでなく、上質なユーモアとウィットに富んでおり、そして文章に魅力があるとくれば、放っておくわけにはいかない。
さっそく2冊のエッセイを借りてきてここ2日ばかり読みふけった。
タイトルは「憶えきれないせりふ」と「肩の凝らないせりふ」
読後感想としては、期待したほどではなかったが「流石!」と頷けるもので、まずは及第かな~。
どういうエッセイか試しに小編をご紹介するので気が向いた方はご一読を。
タイトルは「優雅散録」。(「憶えきれないせりふ」255頁)
「優雅についてあれこれと論じるのは、どうもあまり優雅なことではないような気がする。
やさしく気品があって、しとやかで、美しいだけでは優雅とはいえない。
言葉づかい、立ち居振る舞い、生活のあらゆる面にわたって世俗の気を帯びず、前代の良い慣習や遺風をごく自然に身をつけている人でなくては、優雅な人とはいえない。すなわち優雅は、風流や伝統と切り離せない。
したがって、優雅は、人間ばなれや時代ばなれを起こし易い。優雅は薄気味悪さや滑稽と紙一重であり、鼻持ちならぬ嫌味とぴったり背中を合わせている。
イギリス人にとって優雅な狩猟とはたとえば次のようなものだ。
友人としかるべき話題(政治や宗教、とりわけ狩猟を除く)について、楽しいおしゃべりをしながら、ゆっくり歩いていく。
「今度のオリヴィエのシャイロックは少し悲劇的すぎやしないかい?」
「そう。しかし思い切って現代風にしたところがなかなか面白かったじゃないか」と、茂みから鳥が飛び立つ。それを横目で見ながら、平然と会話を続ける。(ここが大切)
「まあ、悪くはないがね」
それから素早く銃を構え、射程距離に逃れようとする寸前の鳥に向けて、引き金を引く。(この行動は一瞬のうちに行われなければならぬ。ここも大切)、再び会話をつづけながら、またゆっくりと歩き出す。
ある成果を上げるために費やした努力を、できるだけ隠し、人に感じさせぬこと。優雅はいつも涼しい顔をしていなければならぬ。
~以下、省略。
が~んと頭を殴られた感じがした。
そういうイギリス人がつくったスピーカー・・、たしかに「優雅の極み」ともいうべき音を出してくれるのだが、溺愛している自分はといえば「優雅」とは程遠く、あまりに落差が激しい・・。
涼しい顔どころか、厚顔無恥ともいえる一連の「オーディオ闘争録」に穴があったら入りたくなる(笑)。
とはいえ、あからさまに書かないと、とうてい読者にはわかってもらえそうもないし~。
どういう取り組みと表現が適切でベターなのか、これは永遠のテーマですね。このエッセイを読んで大いに考えさせられました。
※ 芥川比呂志さんは1981年に61歳で死亡(肺結核)。「劇団四季」の創設者で演出家兼俳優。「ハムレット」の名演技は今でも語り草になっているとのこと。
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