「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

モーツァルト全集を楽しむ

2013年02月05日 | 音楽談義

2~3日前からおかしくなっていた炊事場兼食堂の電気温水器が、昨日(4日)の朝からからとうとう水が出ないようになった。とても素人工事では収まりそうにないので出入りの業者を通じて水道屋さんに来てもらった。

10時ごろにお見えになったが、30歳前後のはきはきした好青年で、蛇口のパッキンも含めて全体的に経年劣化とのことで部品取り寄せによる交換と相成った。

待ち時間の間中、仕方なく音楽を聴いていたら、その青年が帰り際に「僕もクラシックが好きでいつも聴いてます。いい音ですねえ。まるで目の前で演奏しているみたいにリアルに聴こえます。トランペットを吹くので音の原理は空気中の波紋だと分かっていますが、このスピーカーは波紋の起こし方が違うように思います。」

自分のシステムを褒められて誰も悪い気はしない。「ホウッ、分かるかね!このスピーカーはね・・・・・」とつい夢中になって、ひとしきり薀蓄を傾ける自分がいる。しかし、次の仕事を控えて忙しそうなので、「この次は時間にゆとりを持って、聴きにおいで」とアッサリ解放してあげた(笑)。

聴いていたシステムは「AXIOM80」で、曲目はモーツァルトの「管楽とピアノのための五重奏曲」(K452)である。

24日にCD55枚組の「モーツァルト全集」が来てから、以降ずっと聴くとなるとモーツァルトである。1枚目から順番に聴いていって、昨日が10日目で30枚のCDを聴き終ったので、1日3枚当たりのCDを聴いたことになる。

           

何しろ40年以上音楽に親しんできたがこういうCDの聴き方をしたのは初めてである。いつもは、聴きたい曲をわざわざラックから選んできて肩肘を張ってじっと耳を澄ますのだが、こういう全集をはじめから順番に聴くとなると与えられた曲目を完全に受け身の態勢で拝聴させてもらうという感じ。

いざやってみると、こういう聴き方の方が随分楽だということを発見した。自分の意志はそっちのけなので与えられるままに聞き流すといった風情で、当然、本などを読みながらBGM風の流し方も出来る。

また、この全集のうち大半の曲目はすでに持っていたのだが、幸いほとんどといっていいほど演奏家が違うのが購入した動機のひとつだったが、狙いは見事に当たった。

演奏の解釈が違えば曲目に対するイメージも驚くほど変わるし、さすがにドイツ・グラモフォンレーベルだけあって演奏の水準が高い。奇を衒うことなく、きわめてオーソドックスで地味な演奏ばかりだが、非常に味わい深いし録音もいい。

(取り分け、パールマン(ヴァイオリニスト)のヴァイオリン協奏曲(3~5番)、カラヤン・ベルリンフィルの「交響曲32,35、36番」には感銘を受けた。カラヤンは嫌いだったが少し見直した。)

しかも、すべての曲目から、メロディーとは関係なく「モーツァルトの声」が共通して聞えてくるのには驚いた。「モーツァルトに限っては、曲目をあれこれ詮索することは無意味である。どの作品ひとつとってみても、それはモーツァルトそのものである」と発見できたのは大きかった。

以前、彼のヴァイオリン協奏曲を1番から5番まで何度も聴いたとき、それぞれ番号を付けて区別するのは無意味で全体がヴァイオリン協奏曲だと思ったことがあるが、それと似た感慨である。

生涯に600曲以上作曲したモーツァルトにも当然駄作とされるものがあるのだろうが、そういう駄作でさえからもきっと共通した「モーツァルトの声」が聞えてくるに違いない。

こういう心境になればしめたもので、後に控えていてまだ聴いたことのないオペラ「クレタの王イドメネオ」「後宮からの逃走」もまったく退屈せずに聞き流せそうなので大いに楽しみである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする