昨日のニュース、驚きました。佐藤さとるさんが、なくなられていたのですね。
なにか、心の一部分がそぎおとされていくような、そんな気持ちです。
佐藤さんに最初にお会いしたのは、鬼ヶ島通信の忘年会でした。寡黙な方なのか、ほとんど話さない方で、となりにすわられた河原潤子さんは緊張して、壇上にあげられたお雛様のようにかたまってらっしゃいました。
ただ、鬼ヶ島通信の編集の方々は、佐藤さとるさんは、やさしい方だ、博学だと口をそろえておっしゃっていました。
昔は編集者は原稿をとりに行く仕事もあったそうで、佐藤さんの担当、「佐藤番」たちが佐藤さんの家で順番を待ったとか。そういう中から「鬼ヶ島通信」のメンバーも知り合ったそうです。
末吉先生も、折々、いろんなことを佐藤さとるさんに相談されていたとか。
いつも遠くからあこがれて見ていただけの佐藤さとるさんでしたが、それでも心のよりどころになっていました。児童文学、とくに戦後、日本のファンタジーを牽引されてきた、中心的な存在でした。
昨日は児童文学者協会にいましたが、松谷さん、今江さん、古田さん、など、児童文学界のスターともいえる巨星が次々にいなくなってしまい、さびしい話されている方がいました。
ご冥福をお祈りしています。
なにか、心の一部分がそぎおとされていくような、そんな気持ちです。
佐藤さんに最初にお会いしたのは、鬼ヶ島通信の忘年会でした。寡黙な方なのか、ほとんど話さない方で、となりにすわられた河原潤子さんは緊張して、壇上にあげられたお雛様のようにかたまってらっしゃいました。
ただ、鬼ヶ島通信の編集の方々は、佐藤さとるさんは、やさしい方だ、博学だと口をそろえておっしゃっていました。
昔は編集者は原稿をとりに行く仕事もあったそうで、佐藤さんの担当、「佐藤番」たちが佐藤さんの家で順番を待ったとか。そういう中から「鬼ヶ島通信」のメンバーも知り合ったそうです。
末吉先生も、折々、いろんなことを佐藤さとるさんに相談されていたとか。
いつも遠くからあこがれて見ていただけの佐藤さとるさんでしたが、それでも心のよりどころになっていました。児童文学、とくに戦後、日本のファンタジーを牽引されてきた、中心的な存在でした。
昨日は児童文学者協会にいましたが、松谷さん、今江さん、古田さん、など、児童文学界のスターともいえる巨星が次々にいなくなってしまい、さびしい話されている方がいました。
ご冥福をお祈りしています。