使徒行伝 22:1-5
「兄弟たち、父たちよ、いま申し上げるわたしの弁明を聞いていただきたい」。 パウロが、ヘブル語でこう語りかけるのを聞いて、人々はますます静粛になった。 そこで彼は言葉をついで言った、「わたしはキリキヤのタルソで生れたユダヤ人であるが、この都で育てられ、ガマリエルのひざもとで先祖伝来の律法について、きびしい薫陶を受け、今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者であった。 そして、この道を迫害し、男であれ女であれ、縛りあげて獄に投じ、彼らを死に至らせた。 このことは、大祭司も長老たち一同も、証明するところである。さらにわたしは、この人たちからダマスコの同志たちへあてた手紙をもらって、その地にいる者たちを縛りあげ、エルサレムにひっぱってきて、処罰するため、出かけて行った。」
パウロがユダヤ人たちを前にしてヘブル語で語り始めたため、わめき立てていた群衆はすっかり静まりました。するとパウロは、改心する前の厳格なパリサイ派であった自分の姿について語り始め、この道、すなわちイエスを神の御子、救い主と仰ぐキリスト教の信者を迫害してきた経緯を証しました。これは大祭司たちもエルサレムの長老たちも認める事実でした。パウロの証言は表も裏もない確かな経緯を順を追って説明する、至ってシンプルでまぎれもない事実の積み重ねでした。私たちの人生も、今という現実の積み重ねです。今を大切に、真実に生きることが、私たちの生きた証となります。
https://www.bible.com/81/act.22.1-5.ja1955
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使徒行伝 22:6-16
「旅をつづけてダマスコの近くにきた時に、真昼ごろ、突然、つよい光が天からわたしをめぐり照した。 わたしは地に倒れた。そして、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と、呼びかける声を聞いた。 これに対してわたしは、『主よ、あなたはどなたですか』と言った。すると、その声が、『わたしは、あなたが迫害しているナザレ人イエスである』と答えた。 わたしと一緒にいた者たちは、その光は見たが、わたしに語りかけたかたの声は聞かなかった。 わたしが『主よ、わたしは何をしたらよいでしょうか』と尋ねたところ、主は言われた、『起きあがってダマスコに行きなさい。そうすれば、あなたがするように決めてある事が、すべてそこで告げられるであろう』。 わたしは、光の輝きで目がくらみ、何も見えなくなっていたので、連れの者たちに手を引かれながら、ダマスコに行った。 すると、律法に忠実で、ダマスコ在住のユダヤ人全体に評判のよいアナニヤという人が、 わたしのところにきて、そばに立ち、『兄弟サウロよ、見えるようになりなさい』と言った。するとその瞬間に、わたしの目が開いて、彼の姿が見えた。 彼は言った、『わたしたちの先祖の神が、あなたを選んでみ旨を知らせ、かの義人を見させ、その口から声をお聞かせになった。 それはあなたが、その見聞きした事につき、すべての人に対して、彼の証人になるためである。 そこで今、なんのためらうことがあろうか。すぐ立って、み名をとなえてバプテスマを受け、あなたの罪を洗い落しなさい』。」
次いでパウロは、ダマスコへの途上でのイエスとの出会い、そして不思議な目の癒しを通して、自分が迫害しているイエスこそまことの神の御子、メシヤであったと気付くに至った経緯を告白しました。ここでイエスはパウロに対し、わたしの弟子を迫害しているとは言わず、わたしを迫害しているのだと語りました。イエス様は御名を信じる者すべてに対して全責任を負っておられ、自分の痛みとして、身代わりとなって苦難を受けておられることがわかります。真実に気付いたパウロがためらわずにまず採った行動が、イエスの御名を唱えてバプテスマを受け、悔い改めて罪を洗い流すことでした。どれほど罪を犯しても、たといパウロのようにイエスを迫害しても、心から悔い改めてイエスの御名によるバプテスマを受けるならば、イエス様はその罪を赦し、「わたしの民」として受け入れてくださいますから感謝いたします。
https://www.bible.com/81/act.22.6-16.ja1955
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使徒行伝 22:17-21
「それからわたしは、エルサレムに帰って宮で祈っているうちに、夢うつつになり、 主にまみえたが、主は言われた、『急いで、すぐにエルサレムを出て行きなさい。わたしについてのあなたのあかしを、人々が受けいれないから』。 そこで、わたしが言った、『主よ、彼らは、わたしがいたるところの会堂で、あなたを信じる人々を獄に投じたり、むち打ったりしていたことを、知っています。 また、あなたの証人ステパノの血が流された時も、わたしは立ち合っていてそれに賛成し、また彼を殺した人たちの上着の番をしていたのです』。 すると、主がわたしに言われた、『行きなさい。わたしが、あなたを遠く異邦の民へつかわすのだ』」。
自らの改心について証したパウロは、次いで異邦人伝道に専心するようになった経緯を証言しました。ここでパウロは、自分は当初クリスチャンたちを迫害し、ステパノ殺害にも深く関与していた者であったことを主に申し上げ、そのような者が伝道に携わってよいのかと主に問いましたが、主の答えは、行きなさい、わたしがあなたを遣わすのだ、とのご命令でした。福音宣教は、自分が相応しいと思うかどうか、資格があるかどうかではなく、主から力強い召しの声を掛けられたならば直ちに従うのみです。
https://www.bible.com/81/act.22.17-21.ja1955
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使徒行伝 22:22-30
彼の言葉をここまで聞いていた人々は、このとき、声を張りあげて言った、「こんな男は地上から取り除いてしまえ。生かしおくべきではない」。 人々がこうわめき立てて、空中に上着を投げ、ちりをまき散らす始末であったので、 千卒長はパウロを兵営に引き入れるように命じ、どういうわけで、彼に対してこんなにわめき立てているのかを確かめるため、彼をむちの拷問にかけて、取り調べるように言いわたした。 彼らがむちを当てるため、彼を縛りつけていた時、パウロはそばに立っている百卒長に言った、「ローマの市民たる者を、裁判にかけもしないで、むち打ってよいのか」。 百卒長はこれを聞き、千卒長のところに行って報告し、そして言った、「どうなさいますか。あの人はローマの市民なのです」。 そこで、千卒長がパウロのところにきて言った、「わたしに言ってくれ。あなたはローマの市民なのか」。パウロは「そうです」と言った。 これに対して千卒長が言った、「わたしはこの市民権を、多額の金で買い取ったのだ」。するとパウロは言った、「わたしは生れながらの市民です」。 そこで、パウロを取り調べようとしていた人たちは、ただちに彼から身を引いた。千卒長も、パウロがローマの市民であること、また、そういう人を縛っていたことがわかって、恐れた。 翌日、彼は、ユダヤ人がなぜパウロを訴え出たのか、その真相を知ろうと思って彼を解いてやり、同時に祭司長たちと全議会とを召集させ、そこに彼を引き出して、彼らの前に立たせた。
パウロの証言を黙って聞いていたユダヤ人の群衆は、異邦人伝道に話が及ぶと、こんな男は生かしておけないと再び騒ぎ立て、劇場は大混乱に陥りました。そこでローマの千卒長はパウロを縛り上げて鞭打ちの拷問によって取り調べようとしましたが、パウロが生まれながらのローマ市民であると知ると、彼に手を掛けていた兵士たちは皆、恐れおののいて身を引きました。それほどまでに当時の西洋世界を支配していたローマ帝国の市民権は、絶大な権威があり、千卒長でさえ多額の金で買い取るほどの価値のあるものだったのです。今の私たちは、日本に生まれ、日本の国籍を持っています。これがどれほどの価値があるものか知っているでしょうか。日本国籍を持つ者は、生存の権利が守られ、信仰の自由があり、発言権もあり、正当な裁判を受ける資格があり、生存権があり、人権が保証されています。ほぼ世界中どの国々へも自由に渡航することもできます。これは世界中のほんの一握りの人々にしか与えられていない権利です。更に私たちは、イエス・キリストの御名により、天の国籍を持つ者ともされました。これがいかにかけがえのない恵み、絶大な価値あるものか、私たちはとくと知り置かなければなりません。そしてこの権利を無駄にすることなく、主のために、真理のために、福音のために、賢く用いて神の栄光を現すことができるならば、私たちの人生は真にさいわいな生涯となります。
https://www.bible.com/81/act.22.22-30.ja1955
「兄弟たち、父たちよ、いま申し上げるわたしの弁明を聞いていただきたい」。 パウロが、ヘブル語でこう語りかけるのを聞いて、人々はますます静粛になった。 そこで彼は言葉をついで言った、「わたしはキリキヤのタルソで生れたユダヤ人であるが、この都で育てられ、ガマリエルのひざもとで先祖伝来の律法について、きびしい薫陶を受け、今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者であった。 そして、この道を迫害し、男であれ女であれ、縛りあげて獄に投じ、彼らを死に至らせた。 このことは、大祭司も長老たち一同も、証明するところである。さらにわたしは、この人たちからダマスコの同志たちへあてた手紙をもらって、その地にいる者たちを縛りあげ、エルサレムにひっぱってきて、処罰するため、出かけて行った。」
パウロがユダヤ人たちを前にしてヘブル語で語り始めたため、わめき立てていた群衆はすっかり静まりました。するとパウロは、改心する前の厳格なパリサイ派であった自分の姿について語り始め、この道、すなわちイエスを神の御子、救い主と仰ぐキリスト教の信者を迫害してきた経緯を証しました。これは大祭司たちもエルサレムの長老たちも認める事実でした。パウロの証言は表も裏もない確かな経緯を順を追って説明する、至ってシンプルでまぎれもない事実の積み重ねでした。私たちの人生も、今という現実の積み重ねです。今を大切に、真実に生きることが、私たちの生きた証となります。
https://www.bible.com/81/act.22.1-5.ja1955
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使徒行伝 22:6-16
「旅をつづけてダマスコの近くにきた時に、真昼ごろ、突然、つよい光が天からわたしをめぐり照した。 わたしは地に倒れた。そして、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と、呼びかける声を聞いた。 これに対してわたしは、『主よ、あなたはどなたですか』と言った。すると、その声が、『わたしは、あなたが迫害しているナザレ人イエスである』と答えた。 わたしと一緒にいた者たちは、その光は見たが、わたしに語りかけたかたの声は聞かなかった。 わたしが『主よ、わたしは何をしたらよいでしょうか』と尋ねたところ、主は言われた、『起きあがってダマスコに行きなさい。そうすれば、あなたがするように決めてある事が、すべてそこで告げられるであろう』。 わたしは、光の輝きで目がくらみ、何も見えなくなっていたので、連れの者たちに手を引かれながら、ダマスコに行った。 すると、律法に忠実で、ダマスコ在住のユダヤ人全体に評判のよいアナニヤという人が、 わたしのところにきて、そばに立ち、『兄弟サウロよ、見えるようになりなさい』と言った。するとその瞬間に、わたしの目が開いて、彼の姿が見えた。 彼は言った、『わたしたちの先祖の神が、あなたを選んでみ旨を知らせ、かの義人を見させ、その口から声をお聞かせになった。 それはあなたが、その見聞きした事につき、すべての人に対して、彼の証人になるためである。 そこで今、なんのためらうことがあろうか。すぐ立って、み名をとなえてバプテスマを受け、あなたの罪を洗い落しなさい』。」
次いでパウロは、ダマスコへの途上でのイエスとの出会い、そして不思議な目の癒しを通して、自分が迫害しているイエスこそまことの神の御子、メシヤであったと気付くに至った経緯を告白しました。ここでイエスはパウロに対し、わたしの弟子を迫害しているとは言わず、わたしを迫害しているのだと語りました。イエス様は御名を信じる者すべてに対して全責任を負っておられ、自分の痛みとして、身代わりとなって苦難を受けておられることがわかります。真実に気付いたパウロがためらわずにまず採った行動が、イエスの御名を唱えてバプテスマを受け、悔い改めて罪を洗い流すことでした。どれほど罪を犯しても、たといパウロのようにイエスを迫害しても、心から悔い改めてイエスの御名によるバプテスマを受けるならば、イエス様はその罪を赦し、「わたしの民」として受け入れてくださいますから感謝いたします。
https://www.bible.com/81/act.22.6-16.ja1955
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使徒行伝 22:17-21
「それからわたしは、エルサレムに帰って宮で祈っているうちに、夢うつつになり、 主にまみえたが、主は言われた、『急いで、すぐにエルサレムを出て行きなさい。わたしについてのあなたのあかしを、人々が受けいれないから』。 そこで、わたしが言った、『主よ、彼らは、わたしがいたるところの会堂で、あなたを信じる人々を獄に投じたり、むち打ったりしていたことを、知っています。 また、あなたの証人ステパノの血が流された時も、わたしは立ち合っていてそれに賛成し、また彼を殺した人たちの上着の番をしていたのです』。 すると、主がわたしに言われた、『行きなさい。わたしが、あなたを遠く異邦の民へつかわすのだ』」。
自らの改心について証したパウロは、次いで異邦人伝道に専心するようになった経緯を証言しました。ここでパウロは、自分は当初クリスチャンたちを迫害し、ステパノ殺害にも深く関与していた者であったことを主に申し上げ、そのような者が伝道に携わってよいのかと主に問いましたが、主の答えは、行きなさい、わたしがあなたを遣わすのだ、とのご命令でした。福音宣教は、自分が相応しいと思うかどうか、資格があるかどうかではなく、主から力強い召しの声を掛けられたならば直ちに従うのみです。
https://www.bible.com/81/act.22.17-21.ja1955
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使徒行伝 22:22-30
彼の言葉をここまで聞いていた人々は、このとき、声を張りあげて言った、「こんな男は地上から取り除いてしまえ。生かしおくべきではない」。 人々がこうわめき立てて、空中に上着を投げ、ちりをまき散らす始末であったので、 千卒長はパウロを兵営に引き入れるように命じ、どういうわけで、彼に対してこんなにわめき立てているのかを確かめるため、彼をむちの拷問にかけて、取り調べるように言いわたした。 彼らがむちを当てるため、彼を縛りつけていた時、パウロはそばに立っている百卒長に言った、「ローマの市民たる者を、裁判にかけもしないで、むち打ってよいのか」。 百卒長はこれを聞き、千卒長のところに行って報告し、そして言った、「どうなさいますか。あの人はローマの市民なのです」。 そこで、千卒長がパウロのところにきて言った、「わたしに言ってくれ。あなたはローマの市民なのか」。パウロは「そうです」と言った。 これに対して千卒長が言った、「わたしはこの市民権を、多額の金で買い取ったのだ」。するとパウロは言った、「わたしは生れながらの市民です」。 そこで、パウロを取り調べようとしていた人たちは、ただちに彼から身を引いた。千卒長も、パウロがローマの市民であること、また、そういう人を縛っていたことがわかって、恐れた。 翌日、彼は、ユダヤ人がなぜパウロを訴え出たのか、その真相を知ろうと思って彼を解いてやり、同時に祭司長たちと全議会とを召集させ、そこに彼を引き出して、彼らの前に立たせた。
パウロの証言を黙って聞いていたユダヤ人の群衆は、異邦人伝道に話が及ぶと、こんな男は生かしておけないと再び騒ぎ立て、劇場は大混乱に陥りました。そこでローマの千卒長はパウロを縛り上げて鞭打ちの拷問によって取り調べようとしましたが、パウロが生まれながらのローマ市民であると知ると、彼に手を掛けていた兵士たちは皆、恐れおののいて身を引きました。それほどまでに当時の西洋世界を支配していたローマ帝国の市民権は、絶大な権威があり、千卒長でさえ多額の金で買い取るほどの価値のあるものだったのです。今の私たちは、日本に生まれ、日本の国籍を持っています。これがどれほどの価値があるものか知っているでしょうか。日本国籍を持つ者は、生存の権利が守られ、信仰の自由があり、発言権もあり、正当な裁判を受ける資格があり、生存権があり、人権が保証されています。ほぼ世界中どの国々へも自由に渡航することもできます。これは世界中のほんの一握りの人々にしか与えられていない権利です。更に私たちは、イエス・キリストの御名により、天の国籍を持つ者ともされました。これがいかにかけがえのない恵み、絶大な価値あるものか、私たちはとくと知り置かなければなりません。そしてこの権利を無駄にすることなく、主のために、真理のために、福音のために、賢く用いて神の栄光を現すことができるならば、私たちの人生は真にさいわいな生涯となります。
https://www.bible.com/81/act.22.22-30.ja1955