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【COGHCC聖書通読】 2019/01/02

2019-01-02 10:50:12 | 一日一章・聖書通読日記
使徒行伝 9:1-9

さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、 ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。 ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。 彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。 そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」。 サウロの同行者たちは物も言えずに立っていて、声だけは聞えたが、だれも見えなかった。 サウロは地から起き上がって目を開いてみたが、何も見えなかった。そこで人々は、彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。 彼は三日間、目が見えず、また食べることも飲むこともしなかった。

ステパノの殉教をきっかけに初代教会を迫害し、多くの聖徒たちを獄屋に捕らえたサウロは、イエスの弟子たちがエルサレムから逃れていった先で福音を宣べ伝えている状況に我慢がならず、ダマスコでもイエスに従う者を見つけ次第、捕縛してエルサレムに強制連行するための認可を取り付けて、意気揚々とダマスコに向かいました。しかし道を急いでダマスコに近付いたとき、突然天からの光が彼を照らし、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」という声を聞きました。サウロが「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねると、その声の主は「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と答えられました。なんとイエスご自身が、迫害者サウロに語りかけられたのです。イエスはサウロの聖徒たちに対する迫害を、ご自身への迫害として受け止め、サウロに直接出会って執り成してくださったのです。その日の後サウロは3日間目が見えず、断食をしていましたが、これは陰府に下ったキリストの追体験を通して、キリストの復活を身を以て経験させ、キリストが今も生きておられることをサウロが納得できるように確かめさせたのかもしれません。いずれにせよイエスは、聖徒たちに対する迫害をご自身に対する迫害と受け止めて、仲立ちとなってくださるお方です。

http://bible.com/81/act.9.1-9.ja1955

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使徒行伝 9:10-16

さて、ダマスコにアナニヤというひとりの弟子がいた。この人に主が幻の中に現れて、「アナニヤよ」とお呼びになった。彼は「主よ、わたしでございます」と答えた。 そこで主が彼に言われた、「立って、『真すぐ』という名の路地に行き、ユダの家でサウロというタルソ人を尋ねなさい。彼はいま祈っている。 彼はアナニヤという人がはいってきて、手を自分の上において再び見えるようにしてくれるのを、幻で見たのである」。 アナニヤは答えた、「主よ、あの人がエルサレムで、どんなにひどい事をあなたの聖徒たちにしたかについては、多くの人たちから聞いています。 そして彼はここでも、御名をとなえる者たちをみな捕縛する権を、祭司長たちから得てきているのです」。 しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。 わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」。

ダマスコの町にいたアナニヤは、主から突然、迫害者ペテロのために祈りなさいと命じられました。サウロが何のためにダマスコまできたのか知っていたアナニヤは当初、彼がイエスの弟子たちを捕縛するために来たのにどうして自分が行かなければならないのですか?と主に答えましたが、主の答えは「行きなさい」でした。神様は私たちに時折、納得のできないこと、理解できないことをお命じになることがあります。しかし神様は私たちに無理難題を押しつけて困らせるためにではなく、当初から目的を持って命じられるのですから、私たちの取るべき応答は、ただ主の御言葉の通りに聞き従うのみです。

http://bible.com/81/act.9.10-16.ja1955

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使徒行伝 9:17-22

そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。 するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。そこで彼は立ってバプテスマを受け、 また食事をとって元気を取りもどした。サウロは、ダマスコにいる弟子たちと共に数日間を過ごしてから、 ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、このイエスこそ神の子であると説きはじめた。 これを聞いた人たちはみな非常に驚いて言った、「あれは、エルサレムでこの名をとなえる者たちを苦しめた男ではないか。その上ここにやってきたのも、彼らを縛りあげて、祭司長たちのところへひっぱって行くためではなかったか」。 しかし、サウロはますます力が加わり、このイエスがキリストであることを論証して、ダマスコに住むユダヤ人たちを言い伏せた。

アナニヤが主の御言葉に従ってサウロの元に行き、手を置いて祈ったところ、彼の目から鱗のようなものが落ちて、サウロは再び見えるようになりました。「目から鱗」とはこの出来事が語原となった故事成語です。サウロはイエスの御名によるパプテスマを受け、食事をとって元気を取り戻すと、直ちにイエスこそ神の子であると諸会堂で教え始めました。サウロを知っていた人は、まさに180度方向転換した彼の豹変ぶりに、ただただ呆気にとられていましたが、サウロはますます熱心にイエスがキリストであると、ダマスコにいるユダヤ人たちを論破しました。サウロは他の律法学者や祭司長、パリサイ人たちのように自らの立場や既得権を守るためには嘘偽りを平気で語る者とは異なり、ただ自分の信じるところに従い、真実を曲げて語ることのできない人でした。私たちもまたサウロのような真っ直ぐな信仰を持つ者でありたいと願います。

http://bible.com/81/act.9.17-22.ja1955

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使徒行伝 9:23-31

相当の日数がたったころ、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をした。 ところが、その陰謀が彼の知るところとなった。彼らはサウロを殺そうとして、夜昼、町の門を見守っていたのである。 そこで彼の弟子たちが、夜の間に彼をかごに乗せて、町の城壁づたいにつりおろした。 サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間に加わろうと努めたが、みんなの者は彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。 ところが、バルナバは彼の世話をして使徒たちのところへ連れて行き、途中で主が彼に現れて語りかけたことや、彼がダマスコでイエスの名で大胆に宣べ伝えた次第を、彼らに説明して聞かせた。 それ以来、彼は使徒たちの仲間に加わり、エルサレムに出入りし、主の名によって大胆に語り、 ギリシヤ語を使うユダヤ人たちとしばしば語り合い、また論じ合った。しかし、彼らは彼を殺そうとねらっていた。 兄弟たちはそれと知って、彼をカイザリヤに連れてくだり、タルソへ送り出した。 こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地方にわたって平安を保ち、基礎がかたまり、主をおそれ聖霊にはげまされて歩み、次第に信徒の数を増して行った。

しばらくするとサウロはユダヤ人たちからキリストに寝返った者との烙印を押され、暗殺計画が持ち上がるほどになりました。それと知ったサウロの弟子たちは彼を夜の内に篭に乗せて城壁伝いに町の外に逃がしました。ダマスコを出たサウロはエルサレムに上り、イエスの弟子たちの仲間に入ろうとしましたが、人々はかつての迫害者サウロを恐れて仲間に加えようとしませんでした。しかし慰めのことの異名を持つバルナバは改心したサウロを寛大に受け入れ、ダマスコで彼の身に起きたことを説明して聞かせて、使徒たちの仲間入りを果たすために尽力しました。私たちもバルナバのように、教会の一員としてなかなか馴染めずにいる人を受け入れて、仲間入りの仲介を果たす者となりたいと願います。その後のサウロはますます力が加わり、エルサレムに住むギリシャ語を話すユダヤ人たちを論破したため、またもや彼は暗殺計画が持ち上がるほどになりました。そこで教会は彼の生まれ故郷であるタルソに送り出し、身の安全を守りました。このようにしてユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地方に信徒の数がますます増え広がり、初代教会の基礎が固まってきました。

http://bible.com/81/act.9.23-31.ja1955

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使徒行伝 9:32-43

ペテロは方々をめぐり歩いたが、ルダに住む聖徒たちのところへも下って行った。 そして、そこで、八年間も床についているアイネヤという人に会った。この人は中風であった。 ペテロが彼に言った、「アイネヤよ、イエス・キリストがあなたをいやして下さるのだ。起きなさい。そして床を取りあげなさい」。すると、彼はただちに起きあがった。 ルダとサロンに住む人たちは、みなそれを見て、主に帰依した。 ヨッパにタビタ(これを訳すと、ドルカス、すなわち、かもしか)という女弟子がいた。数々のよい働きや施しをしていた婦人であった。 ところが、そのころ病気になって死んだので、人々はそのからだを洗って、屋上の間に安置した。 ルダはヨッパに近かったので、弟子たちはペテロがルダにきていると聞き、ふたりの者を彼のもとにやって、「どうぞ、早くこちらにおいで下さい」と頼んだ。 そこでペテロは立って、ふたりの者に連れられてきた。彼が着くとすぐ、屋上の間に案内された。すると、やもめたちがみんな彼のそばに寄ってきて、ドルカスが生前つくった下着や上着の数々を、泣きながら見せるのであった。 ペテロはみんなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。それから死体の方に向いて、「タビタよ、起きなさい」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起きなおった。 ペテロは彼女に手をかして立たせた。それから、聖徒たちや、やもめたちを呼び入れて、彼女が生きかえっているのを見せた。 このことがヨッパ中に知れわたり、多くの人々が主を信じた。 ペテロは、皮なめしシモンという人の家に泊まり、しばらくの間ヨッパに滞在した。

一方パウロはユダヤの各地方を巡回してイエスの福音を語り続け、ルダに住む8年間も寝たきりの人アイネヤを癒し、また海沿いのヨッパに下って、数々の善行と奉仕に励んでいた女性信徒ドルカスをよみがえらせたり、数々の力ある奇跡を通して主イエスに帰依する人々が多く起こされました。そしてしばらくヨッパに滞在したことが、ペテロにとっても、教会にとっても大きな転機となるのです。

http://bible.com/81/act.9.32-43.ja1955
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【今日の聖句】 2019/01/02

2019-01-02 06:50:48 | 今日の聖句
詩編 90:12

生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。

人の齢は長くても120年、悠久の歴史の中ではほんの一瞬に過ぎません。この短い生涯の日々を輝いて生きるために、永遠の神の知恵を求め、御言葉に聞き従って正しい心を宿し、真に意義のある人生を送らせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/1819/psa.90.12.新共同訳
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