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【COGHCC聖書通読】 2019/01/20

2019-01-20 19:15:33 | 一日一章・聖書通読日記
使徒行伝 27:1-8

さて、わたしたちが、舟でイタリヤに行くことが決まった時、パウロとそのほか数人の囚人とは、近衛隊の百卒長ユリアスに託された。 そしてわたしたちは、アジヤ沿岸の各所に寄港することになっているアドラミテオの舟に乗り込んで、出帆した。テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも同行した。 次の日、シドンに入港したが、ユリアスは、パウロを親切に取り扱い、友人をおとずれてかんたいを受けることを、許した。 それからわたしたちは、ここから船出したが、逆風にあったので、クプロの島かげを航行し、 キリキヤとパンフリヤの沖を過ぎて、ルキヤのミラに入港した。 そこに、イタリヤ行きのアレキサンドリヤの舟があったので、百卒長は、わたしたちをその舟に乗り込ませた。 幾日ものあいだ、舟の進みがおそくて、わたしたちは、かろうじてクニドの沖合にきたが、風がわたしたちの行く手をはばむので、サルモネの沖、クレテの島かげを航行し、 その岸に沿って進み、かろうじて「良き港」と呼ばれる所に着いた。その近くにラサヤの町があった。

ローマ皇帝に上訴したパウロは、船で至りや半島に向かうことになりました。護衛兵として任命された百卒長ユリアスはパウロに対して親切で、友人たちが来て世話をすることを許可しました。囚人として護送される者がこのような寛大な扱いを受けることは、異例中の異例です。神様は主に忠実に仕える者に良くしてくださるお方です。しかし当時の船旅は陸路よりも早いものの危険が伴い、天候次第、風向き次第で進路が左右され、沿岸の各地に寄港しながら何日も待たされたりする、様子見となる旅でした。私たちも周囲の環境や時代の流れなど、自分の意志ではどうにもならない人生を歩むことが多々ありますが、最善以外をなさらない神様にすべてを委ねて、忍耐を学ばせていただく私たちでありますように。

https://www.bible.com/81/act.27.1-8.ja1955

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使徒行伝 27:9-17

長い時が経過し、断食期も過ぎてしまい、すでに航海が危険な季節になったので、パウロは人々に警告して言った、 「皆さん、わたしの見るところでは、この航海では、積荷や船体ばかりでなく、われわれの生命にも、危害と大きな損失が及ぶであろう」。 しかし百卒長は、パウロの意見よりも、船長や船主の方を信頼した。 なお、この港は冬を過ごすのに適しないので、大多数の者は、ここから出て、できればなんとかして、南西と北西とに面しているクレテのピニクス港に行って、そこで冬を過ごしたいと主張した。 時に、南風が静かに吹いてきたので、彼らは、この時とばかりにいかりを上げて、クレテの岸に沿って航行した。 すると間もなく、ユーラクロンと呼ばれる暴風が、島から吹きおろしてきた。 そのために、舟が流されて風に逆らうことができないので、わたしたちは吹き流されるままに任せた。 それから、クラウダという小島の陰に、はいり込んだので、わたしたちは、やっとのことで小舟を処置することができ、 それを舟に引き上げてから、綱で船体を巻きつけた。また、スルテスの洲に乗り上げるのを恐れ、帆をおろして流れるままにした。

港で長い間待たされている間に、既に航海が危険な季節に入ってしまいました。パウロは無理に出向すると身に危険が及ぶことになるだろうと警告しましたが、百卒長ユリアスは航海の専門家である船長や船主たちの言葉を信頼し、冬を過ごすのに適した温暖な港までたどり着きたいと考えました。すると航海に適した南風が吹き始めたため、これ幸いと出向しましたが、沖合に出ると暴風に遭い、船を制御することもできず、風に流されるままに任せる外ありませんでした。私たちの人生も、絶好のチャンスと思って行動を起こしても、実際にはすぐに壁が立ちはだかり、前にも進めず、後にも引けなくなってしまうことがあります。人の判断のみに頼らず、天地万物を統べ治められる神に尋ね求めることを、私たちは決して忘れてはなりません。

https://www.bible.com/81/act.27.9-17.ja1955

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使徒行伝 27:18-26

わたしたちは、暴風にひどく悩まされつづけたので、次の日に、人々は積荷を捨てはじめ、 三日目には、船具までも、てずから投げすてた。 幾日ものあいだ、太陽も星も見えず、暴風は激しく吹きすさぶので、わたしたちの助かる最後の望みもなくなった。 みんなの者は、長いあいだ食事もしないでいたが、その時、パウロが彼らの中に立って言った、「皆さん、あなたがたが、わたしの忠告を聞きいれて、クレテから出なかったら、このような危害や損失を被らなくてすんだはずであった。 だが、この際、お勧めする。元気を出しなさい。舟が失われるだけで、あなたがたの中で生命を失うものは、ひとりもいないであろう。 昨夜、わたしが仕え、また拝んでいる神からの御使が、わたしのそばに立って言った、 『パウロよ、恐れるな。あなたは必ずカイザルの前に立たなければならない。たしかに神は、あなたと同船の者を、ことごとくあなたに賜わっている』。 だから、皆さん、元気を出しなさい。万事はわたしに告げられたとおりに成って行くと、わたしは、神かけて信じている。 われわれは、どこかの島に打ちあげられるに相違ない」。

地中海上で暴風に巻き込まれ、大切な積み荷も、航海に必要な船具まで捨てても更に暴風は激しさを増すばかりで、いよいよいのちの助かる最後の希望すら失ってしまった同船者たちに、パウロは出港前の忠告を聞いていればこんな目に遭うことはなかったと語るだけでなく、自分たちは必ず助かると、励ましの声を掛けました。その根拠は、パウロにローマでカイザルの前に立たなければならないと命じられた神様の真実な御言葉と、これまでの経緯がすべてパウロの忠告した通りになっているという事実に基づく確信でした。神様が私たちに御心を示されるのは、御言葉に確信を抱く私たちが希望を見失った人々を励まし、勇気づけ、これから神様が成し遂げようとされる大いなる御業を現実のものとするためです。私たちが御言葉に確信を抱かずに、誰が確信を抱くでしょうか。

https://www.bible.com/81/act.27.18-26.ja1955

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使徒行伝 27:27-32

わたしたちがアドリヤ海に漂ってから十四日目の夜になった時、真夜中ごろ、水夫らはどこかの陸地に近づいたように感じた。 そこで、水の深さを測ってみたところ、二十ひろであることがわかった。それから少し進んで、もう一度測ってみたら、十五ひろであった。 わたしたちが、万一暗礁に乗り上げては大変だと、人々は気づかって、ともから四つのいかりを投げおろし、夜の明けるのを待ちわびていた。 その時、水夫らが舟から逃げ出そうと思って、へさきからいかりを投げおろすと見せかけ、小舟を海におろしていたので、 パウロは、百卒長や兵卒たちに言った、「あの人たちが、舟に残っていなければ、あなたがたは助からない」。 そこで兵卒たちは、小舟の綱を断ち切って、その流れて行くままに任せた。

生きる希望を見失った乗船者たちを励まし続けたパウロの語った通り、船は徐々に岸辺に向かって進み続けました。その事実に気付いた船員たちが、これ以上漂流しないよう錨を降ろすと見せかけて、小舟に乗って逃げだそうとしましたが、彼らの行動に気付いたパウロが百卒長とローマ兵たちに、船を操れる彼らが逃げ出したらもはや自分たちは助からないと提言し、間一髪で最悪の事態を回避することができました。もはや護衛兵と囚人との関係が逆転し、パウロの指示に従って人々が行動するようになったのです。私たちもまたパウロのように、まことの神を信じる堅い信仰と、人々に希望を与える信仰に基づく言動を通して、周囲の人々に良い影響を与えるインフルエンサー、正しい道を指し示す人生の導き手とならせていただきたいと願います。

https://www.bible.com/81/act.27.27-32.ja1955

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使徒行伝 27:33-38

夜が明けかけたころ、パウロは一同の者に、食事をするように勧めて言った、「あなたがたが食事もせずに、見張りを続けてから、何も食べないで、きょうが十四日目に当る。 だから、いま食事を取ることをお勧めする。それが、あなたがたを救うことになるのだから。たしかに髪の毛ひとすじでも、あなたがたの頭から失われることはないであろう」。 彼はこう言って、パンを取り、みんなの前で神に感謝し、それをさいて食べはじめた。 そこで、みんなの者も元気づいて食事をした。 舟にいたわたしたちは、合わせて二百七十六人であった。 みんなの者は、じゅうぶんに食事をした後、穀物を海に投げすてて舟を軽くした。

夜が明けるとパウロは、すべての乗船者たちに、食事を充分にとって上陸に備える体力をつけておくように勧めました。そして、すべての人の前で神様に感謝を捧げてパンを割き、自ら食事をとりました。このパウロの預言的行動は、人々に必ず助かると希望を与えて元気づけることとなり、全員に最後の食事を充分にとらせた後、万が一にも沈没しないようにすべての穀物を海に投げ捨てました。パウロに倣い、祈りの結果を先取りして自ら率先して行動で示す私たちでありますように。

https://www.bible.com/81/act.27.33-38.ja1955

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使徒行伝 27:39-44

夜が明けて、どこの土地かよくわからなかったが、砂浜のある入江が見えたので、できれば、それに舟を乗り入れようということになった。 そこで、いかりを切り離して海に捨て、同時にかじの綱をゆるめ、風に前の帆をあげて、砂浜にむかって進んだ。 ところが、潮流の流れ合う所に突き進んだため、舟を浅瀬に乗りあげてしまって、へさきがめり込んで動かなくなり、ともの方は激浪のためにこわされた。 兵卒たちは、囚人らが泳いで逃げるおそれがあるので、殺してしまおうと図ったが、 百卒長は、パウロを救いたいと思うところから、その意図をしりぞけ、泳げる者はまず海に飛び込んで陸に行き、 その他の者は、板や舟の破片に乗って行くように命じた。こうして、全部の者が上陸して救われたのであった。

夜が明けると船が砂浜のある入江に近付いていることが判明したため、船員たちは何とか接岸しようと試みましたが、激しい潮流に舵を取られ、浅瀬に乗り上げて破船してしまいました。するとローマ兵たちは囚人たちが逃げ出すことを恐れて全員を殺害しようとしましたが、百卒長はパウロを救いたいと願い、泳げる者は海に飛び込んで泳ぎ、その他の者は船の破片に掴まって全員上陸するようにと命令を出しました。百卒長の心はパウロを神の人と認め、彼を救うためにいかなるリスクも背負う覚悟を決めたのです。しかし同船者たちも同じ思いで、結果的に逃げ出す囚人は一人もなく、パウロが語った通り全員が島に打ち上げられ、一人残らずいのちが助かる結果となりました。パウロがそうであったように、神様は神を信じる人を通して、周りにいるすべての人を救おうと願っておられます。その神様の御心に応え、たった一人しかいなくても、すべての人々のいのちを救うために神の真実を証し、御言葉によって人々を励まし、希望を与え続け、神の大いなる救いの御業を実現に至らしめる私たちでありますように。

https://www.bible.com/81/act.27.39-44.ja1955
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【今日の聖句】 2019/01/20

2019-01-20 08:15:09 | 今日の聖句
創世記 1:27 新共同訳

神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。

神様は私たち人間をご自身のかたちに、男と女として創造されました。それは私たちが互いの欠けを補い合い、一致団結して神に似る者となることを、何よりも願っておられるからです。私たちを造られたお方の御心に適う者となり、神の義と愛と平和を世に証する私たちでありますように。

https://www.bible.com/1819/gen.1.27.新共同訳
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