使徒行伝 21:1-7
さて、わたしたちは人々と別れて船出してから、コスに直航し、次の日はロドスに、そこからパタラに着いた。 ここでピニケ行きの舟を見つけたので、それに乗り込んで出帆した。 やがてクプロが見えてきたが、それを左手にして通りすぎ、シリヤへ航行をつづけ、ツロに入港した。ここで積荷が陸上げされることになっていたからである。 わたしたちは、弟子たちを捜し出して、そこに七日間泊まった。ところが彼らは、御霊の示しを受けて、エルサレムには上って行かないようにと、しきりにパウロに注意した。 しかし、滞在期間が終った時、わたしたちはまた旅立つことにしたので、みんなの者は、妻や子供を引き連れて、町はずれまで、わたしたちを見送りにきてくれた。そこで、共に海岸にひざまずいて祈り、 互に別れを告げた。それから、わたしたちは舟に乗り込み、彼らはそれぞれ自分の家に帰った。 わたしたちは、ツロからの航行を終ってトレマイに着き、そこの兄弟たちにあいさつをし、彼らのところに一日滞在した。
かなりの強行スケジュールでエルサレムへの船旅を続けていたパウロ一行は、港に寄港する度にその町にいる弟子たちを探し出して共に滞在しました。彼らは御霊によって示しを受け、エルサレムに上らないようにとパウロに勧めましたが、すでに覚悟を決めていたパウロは彼の意見を聞き入れず、船出に合わせて旅を続けたため、弟子たちは家族を引き連れて町外れまでパウロを見送りに来て、海岸に共にひざまづいて祈り合ってパウロを送り出しました。私たちもまた、同じ神様を信じる兄弟姉妹たちと心を合わせて祈り合い、送り出すことができるならばさいわいです。
https://www.bible.com/81/act.21.1-7.ja1955
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使徒行伝 21:8-16
翌日そこをたって、カイザリヤに着き、かの七人のひとりである伝道者ピリポの家に行き、そこに泊まった。 この人に四人の娘があったが、いずれも処女であって、預言をしていた。 幾日か滞在している間に、アガボという預言者がユダヤから下ってきた。 そして、わたしたちのところにきて、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って言った、「聖霊がこうお告げになっている、『この帯の持ち主を、ユダヤ人たちがエルサレムでこのように縛って、異邦人の手に渡すであろう』」。 わたしたちはこれを聞いて、土地の人たちと一緒になって、エルサレムには上って行かないようにと、パウロに願い続けた。 その時パウロは答えた、「あなたがたは、泣いたり、わたしの心をくじいたりして、いったい、どうしようとするのか。わたしは、主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことをも覚悟しているのだ」。 こうして、パウロが勧告を聞きいれてくれないので、わたしたちは「主のみこころが行われますように」と言っただけで、それ以上、何も言わなかった。 数日後、わたしたちは旅装を整えてエルサレムへ上って行った。 カイザリヤの弟子たちも数人、わたしたちと同行して、古くからの弟子であるクプロ人マナソンの家に案内してくれた。わたしたちはその家に泊まることになっていたのである。
カイザリヤに到着したパウロ一行は、エルサレム教会の初代執事の一人であり、御霊に導かれて異邦人伝道の道を開いたピリポの家に滞在しました。そこにユダヤから下ってきたアガボという預言者が来て、パウロの帯を取って自分の手足を縛り、これからパウロに待ち受けている苦難を預言しました。するとパウロと共にエルサレムに向かっていた同志たちまでも、エルサレムに上らないようにとパウロを説得しました。使徒行伝の著者であるルカでさえ、エルサレム行きの真の意味を理解していなかったことがわかります。しかし死さえも覚悟していたパウロは、わたしの心をくじけさせるなと告げて、その決心が固いことを表明しました。そして数日後、陸路での旅支度を調えて、いよいよエルサレムに向かって上り始めました。私たちは人間的な情に流されて、その人の聖なる決意をくじけさせてしまうことがないように気を付けなければなりません。
https://www.bible.com/81/act.21.8-16.ja1955
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使徒行伝 21:17-26
わたしたちがエルサレムに到着すると、兄弟たちは喜んで迎えてくれた。 翌日パウロはわたしたちを連れて、ヤコブを訪問しに行った。そこに長老たちがみな集まっていた。 パウロは彼らにあいさつをした後、神が自分の働きをとおして、異邦人の間になさった事どもを一々説明した。 一同はこれを聞いて神をほめたたえ、そして彼に言った、「兄弟よ、ご承知のように、ユダヤ人の中で信者になった者が、数万にものぼっているが、みんな律法に熱心な人たちである。 ところが、彼らが伝え聞いているところによれば、あなたは異邦人の中にいるユダヤ人一同に対して、子供に割礼を施すな、またユダヤの慣例にしたがうなと言って、モーセにそむくことを教えている、ということである。 どうしたらよいか。あなたがここにきていることは、彼らもきっと聞き込むに違いない。 ついては、今わたしたちが言うとおりのことをしなさい。わたしたちの中に、誓願を立てている者が四人いる。 この人たちを連れて行って、彼らと共にきよめを行い、また彼らの頭をそる費用を引き受けてやりなさい。そうすれば、あなたについて、うわさされていることは、根も葉もないことで、あなたは律法を守って、正しい生活をしていることが、みんなにわかるであろう。 異邦人で信者になった人たちには、すでに手紙で、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行とを、慎むようにとの決議が、わたしたちから知らせてある」。 そこでパウロは、その次の日に四人の者を連れて、彼らと共にきよめを受けてから宮にはいった。そしてきよめの期間が終って、ひとりびとりのために供え物をささげる時を報告しておいた。
エルサレムに到着したパウロ一行をイエスの一番弟子であるペテロが迎え、エルサレム教会の重鎮であるヤコブの家に案内すると、そこには長老たちが皆、集まっていました。そしてパウロの宣教報告を聞いて喜びを分かち合い、神の御名をほめたたえました。一方で、パウロについての誤解がユダヤ人たちに根強いことを伝え聞いていたヤコブは、それが根も葉もない噂であることを証明するために、ユダヤの慣習に基づきエルサレムの神殿で誓願を立てる4人の者をパウロが支援することを提案し、パウロ自身も7日間のきよめの儀式に立ち会いました。私たちも時折、人から誤解を受けることがあります。そのようなときこそ、むやみやたらに反論したり自己弁護することよりも、正しい言動を通して自ら誤解を解くために努めることも、私たちには必要です。
https://www.bible.com/81/act.21.17-26.ja1955
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使徒行伝 21:27-36
七日の期間が終ろうとしていた時、アジヤからきたユダヤ人たちが、宮の内でパウロを見かけて、群衆全体を煽動しはじめ、パウロに手をかけて叫び立てた、 「イスラエルの人々よ、加勢にきてくれ。この人は、いたるところで民と律法とこの場所にそむくことを、みんなに教えている。その上に、ギリシヤ人を宮の内に連れ込んで、この神聖な場所を汚したのだ」。 彼らは、前にエペソ人トロピモが、パウロと一緒に町を歩いていたのを見かけて、その人をパウロが宮の内に連れ込んだのだと思ったのである。 そこで、市全体が騒ぎ出し、民衆が駆け集まってきて、パウロを捕え、宮の外に引きずり出した。そして、すぐそのあとに宮の門が閉ざされた。 彼らがパウロを殺そうとしていた時に、エルサレム全体が混乱状態に陥っているとの情報が、守備隊の千卒長にとどいた。 そこで、彼はさっそく、兵卒や百卒長たちを率いて、その場に駆けつけた。人々は千卒長や兵卒たちを見て、パウロを打ちたたくのをやめた。 千卒長は近寄ってきてパウロを捕え、彼を二重の鎖で縛っておくように命じた上、パウロは何者か、また何をしたのか、と尋ねた。 しかし、群衆がそれぞれ違ったことを叫びつづけるため、騒がしくて、確かなことがわからないので、彼はパウロを兵営に連れて行くように命じた。 パウロが階段にさしかかった時には、群衆の暴行を避けるため、兵卒たちにかつがれて行くという始末であった。 大ぜいの民衆が「あれをやっつけてしまえ」と叫びながら、ついてきたからである。
どれほど正しいことを行っていても、人から誤解を受けることは避けれません。特に偏見を持った人からは、事実を曲げて解釈されることもあります。パウロに敵対心を燃やしていたアジア地方から来たユダヤ人たちが、パウロの姿を神殿の中で見かけると、異邦人を神聖な宮の中に入れて汚したと誤解して、群衆を扇動してパウロを捕らえ、袋叩きにして殺そうとしました。すると騒ぎを聞きつけたローマの千卒長兵が、兵隊を引き連れて鎮圧に駆けつけると、人々はパウロから身を引きました。パウロを捕らえて鎖で縛った千卒長は、彼が何をしたのかと群衆に尋ねましたが、人々はちぐはぐな証言ばかりするため、ひとまずパウロを兵営に連行することにしましたが、群衆はパウロを殺せと叫び続けて追ってきたために、ローマ兵たちに担ぎ出される始末でした。神様は私たちの身の安全を守るために、この世の権力をも用いられるお方です。
https://www.bible.com/81/act.21.27-36.ja1955
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使徒行伝 21:37-40
パウロが兵営の中に連れて行かれようとした時、千卒長に、「ひと言あなたにお話してもよろしいですか」と尋ねると、千卒長が言った、「おまえはギリシヤ語が話せるのか。 では、もしかおまえは、先ごろ反乱を起した後、四千人の刺客を引き連れて荒野へ逃げて行ったあのエジプト人ではないのか」。 パウロは答えた、「わたしはタルソ生れのユダヤ人で、キリキヤのれっきとした都市の市民です。お願いですが、民衆に話をさせて下さい」。 千卒長が許してくれたので、パウロは階段の上に立ち、民衆にむかって手を振った。すると、一同がすっかり静粛になったので、パウロはヘブル語で話し出した。
兵営に連行される途中、パウロは千卒長にギリシャ語で語り掛け、自分が生まれながらのローマ市民であると身分証明しました。そして弁明の機会を設けてくれるようにと頼み、ユダヤの人々に対してはヘブル語で語り始めました。神様が私たちに授けてくれた国籍も、語学力も、すべて神様の栄光のために尊く用いられます。中には好き好んで選んだ道ではないと思うものもあるかも知れませんが、生まれながら自分に与えられた権利も、家柄も、学習して得た能力も、経験も、神様の御前に何一つ無駄になることはありません。ですから今の自分にできること、学び取るべきことを、みすみす拒絶することなく、神の栄光のために、将来の自分のために、積極的にとらえて身に着ける勤勉さを持つ者でありたいと願います。
https://www.bible.com/81/act.21.37-40.ja1955
さて、わたしたちは人々と別れて船出してから、コスに直航し、次の日はロドスに、そこからパタラに着いた。 ここでピニケ行きの舟を見つけたので、それに乗り込んで出帆した。 やがてクプロが見えてきたが、それを左手にして通りすぎ、シリヤへ航行をつづけ、ツロに入港した。ここで積荷が陸上げされることになっていたからである。 わたしたちは、弟子たちを捜し出して、そこに七日間泊まった。ところが彼らは、御霊の示しを受けて、エルサレムには上って行かないようにと、しきりにパウロに注意した。 しかし、滞在期間が終った時、わたしたちはまた旅立つことにしたので、みんなの者は、妻や子供を引き連れて、町はずれまで、わたしたちを見送りにきてくれた。そこで、共に海岸にひざまずいて祈り、 互に別れを告げた。それから、わたしたちは舟に乗り込み、彼らはそれぞれ自分の家に帰った。 わたしたちは、ツロからの航行を終ってトレマイに着き、そこの兄弟たちにあいさつをし、彼らのところに一日滞在した。
かなりの強行スケジュールでエルサレムへの船旅を続けていたパウロ一行は、港に寄港する度にその町にいる弟子たちを探し出して共に滞在しました。彼らは御霊によって示しを受け、エルサレムに上らないようにとパウロに勧めましたが、すでに覚悟を決めていたパウロは彼の意見を聞き入れず、船出に合わせて旅を続けたため、弟子たちは家族を引き連れて町外れまでパウロを見送りに来て、海岸に共にひざまづいて祈り合ってパウロを送り出しました。私たちもまた、同じ神様を信じる兄弟姉妹たちと心を合わせて祈り合い、送り出すことができるならばさいわいです。
https://www.bible.com/81/act.21.1-7.ja1955
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使徒行伝 21:8-16
翌日そこをたって、カイザリヤに着き、かの七人のひとりである伝道者ピリポの家に行き、そこに泊まった。 この人に四人の娘があったが、いずれも処女であって、預言をしていた。 幾日か滞在している間に、アガボという預言者がユダヤから下ってきた。 そして、わたしたちのところにきて、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って言った、「聖霊がこうお告げになっている、『この帯の持ち主を、ユダヤ人たちがエルサレムでこのように縛って、異邦人の手に渡すであろう』」。 わたしたちはこれを聞いて、土地の人たちと一緒になって、エルサレムには上って行かないようにと、パウロに願い続けた。 その時パウロは答えた、「あなたがたは、泣いたり、わたしの心をくじいたりして、いったい、どうしようとするのか。わたしは、主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことをも覚悟しているのだ」。 こうして、パウロが勧告を聞きいれてくれないので、わたしたちは「主のみこころが行われますように」と言っただけで、それ以上、何も言わなかった。 数日後、わたしたちは旅装を整えてエルサレムへ上って行った。 カイザリヤの弟子たちも数人、わたしたちと同行して、古くからの弟子であるクプロ人マナソンの家に案内してくれた。わたしたちはその家に泊まることになっていたのである。
カイザリヤに到着したパウロ一行は、エルサレム教会の初代執事の一人であり、御霊に導かれて異邦人伝道の道を開いたピリポの家に滞在しました。そこにユダヤから下ってきたアガボという預言者が来て、パウロの帯を取って自分の手足を縛り、これからパウロに待ち受けている苦難を預言しました。するとパウロと共にエルサレムに向かっていた同志たちまでも、エルサレムに上らないようにとパウロを説得しました。使徒行伝の著者であるルカでさえ、エルサレム行きの真の意味を理解していなかったことがわかります。しかし死さえも覚悟していたパウロは、わたしの心をくじけさせるなと告げて、その決心が固いことを表明しました。そして数日後、陸路での旅支度を調えて、いよいよエルサレムに向かって上り始めました。私たちは人間的な情に流されて、その人の聖なる決意をくじけさせてしまうことがないように気を付けなければなりません。
https://www.bible.com/81/act.21.8-16.ja1955
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使徒行伝 21:17-26
わたしたちがエルサレムに到着すると、兄弟たちは喜んで迎えてくれた。 翌日パウロはわたしたちを連れて、ヤコブを訪問しに行った。そこに長老たちがみな集まっていた。 パウロは彼らにあいさつをした後、神が自分の働きをとおして、異邦人の間になさった事どもを一々説明した。 一同はこれを聞いて神をほめたたえ、そして彼に言った、「兄弟よ、ご承知のように、ユダヤ人の中で信者になった者が、数万にものぼっているが、みんな律法に熱心な人たちである。 ところが、彼らが伝え聞いているところによれば、あなたは異邦人の中にいるユダヤ人一同に対して、子供に割礼を施すな、またユダヤの慣例にしたがうなと言って、モーセにそむくことを教えている、ということである。 どうしたらよいか。あなたがここにきていることは、彼らもきっと聞き込むに違いない。 ついては、今わたしたちが言うとおりのことをしなさい。わたしたちの中に、誓願を立てている者が四人いる。 この人たちを連れて行って、彼らと共にきよめを行い、また彼らの頭をそる費用を引き受けてやりなさい。そうすれば、あなたについて、うわさされていることは、根も葉もないことで、あなたは律法を守って、正しい生活をしていることが、みんなにわかるであろう。 異邦人で信者になった人たちには、すでに手紙で、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行とを、慎むようにとの決議が、わたしたちから知らせてある」。 そこでパウロは、その次の日に四人の者を連れて、彼らと共にきよめを受けてから宮にはいった。そしてきよめの期間が終って、ひとりびとりのために供え物をささげる時を報告しておいた。
エルサレムに到着したパウロ一行をイエスの一番弟子であるペテロが迎え、エルサレム教会の重鎮であるヤコブの家に案内すると、そこには長老たちが皆、集まっていました。そしてパウロの宣教報告を聞いて喜びを分かち合い、神の御名をほめたたえました。一方で、パウロについての誤解がユダヤ人たちに根強いことを伝え聞いていたヤコブは、それが根も葉もない噂であることを証明するために、ユダヤの慣習に基づきエルサレムの神殿で誓願を立てる4人の者をパウロが支援することを提案し、パウロ自身も7日間のきよめの儀式に立ち会いました。私たちも時折、人から誤解を受けることがあります。そのようなときこそ、むやみやたらに反論したり自己弁護することよりも、正しい言動を通して自ら誤解を解くために努めることも、私たちには必要です。
https://www.bible.com/81/act.21.17-26.ja1955
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使徒行伝 21:27-36
七日の期間が終ろうとしていた時、アジヤからきたユダヤ人たちが、宮の内でパウロを見かけて、群衆全体を煽動しはじめ、パウロに手をかけて叫び立てた、 「イスラエルの人々よ、加勢にきてくれ。この人は、いたるところで民と律法とこの場所にそむくことを、みんなに教えている。その上に、ギリシヤ人を宮の内に連れ込んで、この神聖な場所を汚したのだ」。 彼らは、前にエペソ人トロピモが、パウロと一緒に町を歩いていたのを見かけて、その人をパウロが宮の内に連れ込んだのだと思ったのである。 そこで、市全体が騒ぎ出し、民衆が駆け集まってきて、パウロを捕え、宮の外に引きずり出した。そして、すぐそのあとに宮の門が閉ざされた。 彼らがパウロを殺そうとしていた時に、エルサレム全体が混乱状態に陥っているとの情報が、守備隊の千卒長にとどいた。 そこで、彼はさっそく、兵卒や百卒長たちを率いて、その場に駆けつけた。人々は千卒長や兵卒たちを見て、パウロを打ちたたくのをやめた。 千卒長は近寄ってきてパウロを捕え、彼を二重の鎖で縛っておくように命じた上、パウロは何者か、また何をしたのか、と尋ねた。 しかし、群衆がそれぞれ違ったことを叫びつづけるため、騒がしくて、確かなことがわからないので、彼はパウロを兵営に連れて行くように命じた。 パウロが階段にさしかかった時には、群衆の暴行を避けるため、兵卒たちにかつがれて行くという始末であった。 大ぜいの民衆が「あれをやっつけてしまえ」と叫びながら、ついてきたからである。
どれほど正しいことを行っていても、人から誤解を受けることは避けれません。特に偏見を持った人からは、事実を曲げて解釈されることもあります。パウロに敵対心を燃やしていたアジア地方から来たユダヤ人たちが、パウロの姿を神殿の中で見かけると、異邦人を神聖な宮の中に入れて汚したと誤解して、群衆を扇動してパウロを捕らえ、袋叩きにして殺そうとしました。すると騒ぎを聞きつけたローマの千卒長兵が、兵隊を引き連れて鎮圧に駆けつけると、人々はパウロから身を引きました。パウロを捕らえて鎖で縛った千卒長は、彼が何をしたのかと群衆に尋ねましたが、人々はちぐはぐな証言ばかりするため、ひとまずパウロを兵営に連行することにしましたが、群衆はパウロを殺せと叫び続けて追ってきたために、ローマ兵たちに担ぎ出される始末でした。神様は私たちの身の安全を守るために、この世の権力をも用いられるお方です。
https://www.bible.com/81/act.21.27-36.ja1955
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使徒行伝 21:37-40
パウロが兵営の中に連れて行かれようとした時、千卒長に、「ひと言あなたにお話してもよろしいですか」と尋ねると、千卒長が言った、「おまえはギリシヤ語が話せるのか。 では、もしかおまえは、先ごろ反乱を起した後、四千人の刺客を引き連れて荒野へ逃げて行ったあのエジプト人ではないのか」。 パウロは答えた、「わたしはタルソ生れのユダヤ人で、キリキヤのれっきとした都市の市民です。お願いですが、民衆に話をさせて下さい」。 千卒長が許してくれたので、パウロは階段の上に立ち、民衆にむかって手を振った。すると、一同がすっかり静粛になったので、パウロはヘブル語で話し出した。
兵営に連行される途中、パウロは千卒長にギリシャ語で語り掛け、自分が生まれながらのローマ市民であると身分証明しました。そして弁明の機会を設けてくれるようにと頼み、ユダヤの人々に対してはヘブル語で語り始めました。神様が私たちに授けてくれた国籍も、語学力も、すべて神様の栄光のために尊く用いられます。中には好き好んで選んだ道ではないと思うものもあるかも知れませんが、生まれながら自分に与えられた権利も、家柄も、学習して得た能力も、経験も、神様の御前に何一つ無駄になることはありません。ですから今の自分にできること、学び取るべきことを、みすみす拒絶することなく、神の栄光のために、将来の自分のために、積極的にとらえて身に着ける勤勉さを持つ者でありたいと願います。
https://www.bible.com/81/act.21.37-40.ja1955