伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2019/01/26

2019-01-26 13:00:49 | 一日一章・聖書通読日記
ローマ人への手紙 5:1-5

このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。 わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。 それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。

信仰が私たちに与える希望は、いかなる苦難や試練をも乗り越える忍耐が結ばせてる豊かな実りです。これは人の努力や頑張りでできるものではなく、私たちの心の内に住んでくださるきよい御霊が、神の変わらない愛が注がれていることを思い起こさせてくださるからこそ、耐え忍ぶことができるのです。私たちの人生に襲い来る試練を通して、信仰によって練りきよめられた品性を備えさせていただき、光り輝く神の栄光に与る私たちでありますように。

https://www.bible.com/81/rom.5.1-5.ja1955

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ローマ人への手紙 5:6-11

わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。 正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。 わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。 もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。 そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである。

キリストはご自身に聞き従う者だけのために十字架に掛かられたのではなく、まだキリストを知らぬ人々、更にはキリストに敵対し自身を十字架に掛けた人々のためにさえ、尊いいのちを賭して罪を購い、神との和解の生け贄となってくださることによって、永遠のいのちの豊かな恵みに導き入れてくださいました。それゆえ私たちは十字架を福音のシンボルとして見上げ、このお方以外に救いはないとの堅い信仰に至ることができたことを心より喜び感謝いたします。

https://www.bible.com/81/rom.5.6-11.ja1955

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ローマ人への手紙 5:12-16

このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。 というのは、律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである。 しかし、アダムからモーセまでの間においても、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった者も、死の支配を免れなかった。このアダムは、きたるべき者の型である。 しかし、恵みの賜物は罪過の場合とは異なっている。すなわち、もしひとりの罪過のために多くの人が死んだとすれば、まして、神の恵みと、ひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、さらに豊かに多くの人々に満ちあふれたはずではないか。 かつ、この賜物は、ひとりの犯した罪の結果とは異なっている。なぜなら、さばきの場合は、ひとりの罪過から、罪に定めることになったが、恵みの場合には、多くの人の罪過から、義とする結果になるからである。

なぜ主イエスのたった一度の十字架が、すべての人を救いに至らしめることができるのか不思議に思うかも知れません。しかし私たち全人類に罪が入ったのは、最初の人アダムたった一人の神に対する不信仰から始まったことを考えれば、さほど不思議なことではありません。神はアダムによって人を造られましたが、御子イエスを完全な人としてこの世に送ることでアダムの過ちを塗り替え、イエスの御名による信仰によって罪から完全に解放する道を開いてくださったのです。アダムから後、モーセによって律法が与えられるまでの間も罪の性質は代々受け継がれ、結果として人は死を免れることはできませんでしたが、イエスの到来と十字架によって罪の連鎖を完全に断ち切ることができるようになり、神と共に永遠に生きる希望が与えられたのです。

https://www.bible.com/81/rom.5.12-16.ja1955

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ローマ人への手紙 5:17-21

もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。 このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである。 すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。 律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。 それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。

イエスは罪をパン種にたとえました。それはほんの少しのパン種がパン生地全体を大きく膨らませるように、私たちの心の奥底に潜むほんのわずかな罪の根が私たち全体に広がって、罪を幾重にも重ねるようになるのと似ています。しかし神様の恵みは罪の支配をはるかに越えて増殖し、神の義が私たちを支配することができるように罪を完全に覆い尽くしてくださいますから感謝いたします。聖歌に「罪汚れはいや増すとも、主の恵みもまたいや増なり」とあるように、私たちの罪を完全に押さえ込んでくださる神様の愛と恵みに心から感謝いたします。

https://www.bible.com/81/rom.5.17-21.ja1955
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【今日の聖句】 2019/01/26

2019-01-26 08:05:10 | 今日の聖句
マタイによる福音書 18:20 新共同訳‬‬

「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」

私たちが数名イエスの御名の下に集まるならば、そこに主は共にいてくださると約束してくださいました。独りよがりの信仰に陥らないように、信仰の仲間たちと共に集い、主イエスと共に歩み続ける私たちでありますように。

https://www.bible.com/1819/mat.18.20.新共同訳
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