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政治対決の弁証法

2023-09-09 07:04:22 | 日記

今日はすこし「哲学」を。

日本共産党は「弁証法」という哲学的用語をよく使う。
それは日本共産党が依拠する科学的社会主義の理論にもとづくものだからだ。

そもそも「弁証法」という言葉は一般的に普及していないし、使われていない。言葉からして難しい。

一つは訳語としての漢字からだ。「弁証法」はギリシャ哲学(ソクラテス)からきており、日本語の翻訳はそこからきている。

中世でほぼ途絶えて、近代で復活させたのがヘーゲルであった。日本では正反合の「三段論法」が有名だが、弁証法はこれだけではない。もっと多様で豊かな内容を持つ。

もう一つの要因として、「弁証法」は革命的な考えにつながり、権力者・支配者からは嫌われる面があるからだ。

「弁証法」は発展の科学ともいわれる。ものごとを連関と変化・発展といしてみる。

弁証法の見方は、
1 ものごとを、バラバラでなく、連関のなかでとらえる。
2 ものごとを、不動の、固定したものとしてではなく、変化、運動、発展のなかでとらえる。
3 不動の対立や固定した境界線を認めず、ものごとのなかにある対立した側面の全体をとらえる。

弁証法の反対は「形而上学」だが、これまたわかりにくい哲学用語だ。

政治の世界は、権力が中心の利害関係、階級や階層を代表するさまざまな政治勢力がぶつかり合うダイナミックな運動だ。

こうした全体像とともに、自由と民主主義を目指す民衆の、労働者階級を代表する日本共産党としては、「弁証法」の見方がかかせない。

「弁証法」を学ぶ古典としては、
「空想から科学へ」「反デューリング論」「自然の弁証法」などに詳細に書かれている。
マルクスの資本論は、弁証法の宝庫といえる。

自然や人間社会をどうとらえるか。
部分的、一面的に陥らず、常に全体的、かつ発展的にみること。これが弁証法考え方だ。

過去、ブログでいくつか掲載した。
 ⇒現象と本質:唯物弁証法
 ⇒真理の絶対性と相対性

政治対決の弁証法は「日本共産党の100年」を太くつらぬいている。

私たちが陥りやすいのが、弁証法を学んで形而上学者に、唯物論を学んで観念論者になってしまうことだ。
頭が柔軟でなければ。

形式論理学とともに弁証法的論理学を。