去年に続いて、再び公道走行が行われた。
それも巨大な自走式155ミリりゅう弾砲だ。
9月25日深夜、国道44号線
りゅう弾砲6両、戦車回収車2両と昨年より
倍加した。戦車回収車は戦車の砲塔の代わり
にクレーンをつけたもの。
巨大なりゅう弾砲が、並んで3台も通過する
とさすがに音が大きい。
住宅街の愛国の方は、突然にゴーという大き
な轟音、さらにヘリコプターといったい何が
起きたのかと驚いたと述べていた。
釧路西港から矢臼別演習場まで60キロ。その
距離を時速20キロの縦列。片側1車線となる
と普通の車は追い越すしかないが、何列も並
んでいたら無理。
帰りはトレーラーに載せて帰るというが、そ
の方が機動力は全く違う。
それでは何のためか。
はっきり言えば、市街地訓練であり、市民へ
の示威行動として、慣れさせるためだ。
そもそも、りゅう弾砲が釧路市街地で戦闘状
態になるということは、戦場となることであ
り、時系列的には最後の方である。
それまでどれほど悲惨な状況が生まれている
か。
今、戦争の悲惨さ、痛みを知らない世代が圧
倒的な多数となっている。
戦後が長くなると痛みを知らない世代が政治
指導者となっていく。だからこそ憲法で権力
者を縛ったのだ。いわゆる立憲主義だ。
安倍首相は「専守防衛」をなし崩し的に壊し
てきた。今は自衛隊を危険なシナイ半島に送
ろうとしている。
りゅう弾砲や戦車の市街地訓練は、その目的
が他国の市街地にあると考えるのは私だけで
はないだろう。
日常のなかに、いつも戦車がある、兵隊がい
る風景だけはごめんだ。
戦争への歯車を、平和への歯車にしなければ。