四半世紀になろうとしている。
3月20日で23年、地下鉄サリン事件のこと
だ。
霞が関駅では慰霊祭が行われた。
今でもナゾが多い事件だ。
そもそも、ひとつの新興宗教団体がここま
での殺人事件にいたるまで、どうして放置
されていたのか。
サリン製造工場があった上九一色村では、
住民からさまざまな訴えが警察に寄せられ
ていた。
坂本一家失踪事件も、繰り返し警察に要請
していたが・・・
真摯に対応していれば、この事件は起きな
かったのではないかと思う。
現場でのたたかいの本がある。
「上九一色村発 オウム2000日戦争―富士
山麓の戦い」―1995年8月 竹内精一著
戦前の「国家神道」を中心とする国家に
よる宗教弾圧などが行われた。
その反省から日本国憲法による「信教の自
由」が高らかに掲げられた。
だからといって、新興宗教団体による住民
との軋轢・トラブルに対して、しり込みを
してはならない。
法的なものだけでなく、社会的・道議的な
対応も必要であったのではないか。
さらにオウム真理教に対して、一部の知識
人が天までもちあげ、テレビでも、大きく
とりあげていた時期があった。またオウム
の「超能力や悟り」の宣伝に加担したマス
コミもある。
この影響も無視できない。
宗教は「私事」に徹すること。
ましてや、新聞倫理綱領とともに広告倫理
に照らし合わせて、宗教団体の公然たるコ
マーシャルは止めるべきだ。
今日はお彼岸、多くの方がお墓参りに。
先祖を偲ぶ行事のほとんどは宗教行事とし
て行なわれるが、オウム真理教はまったく
異質もの。
サリン事件から23年目、あらためて宗教と
は何か、そして、宗教との付き合い方も考
えたい。