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個性の発展

2016-04-18 07:46:11 | 日記

自民・公明など、追い詰められると必ず
出てくるのが「共産主義は独裁」、「自
由と民主主義を抑圧」という攻撃である。

独裁と弾圧を繰り返してきたのが、もと
もと資本主義の社会であった。

現代では・・・
「ブラック企業」、「社畜」などと言わ
れる今の状況。「もの言えば唇寒し」、
これは「自由と民主主義」の後退である。
会社を辞めれば、貧困や生活苦が待って
いる。

「保育園落ちた」に代表されるように、
個人の力では、みずからの自由が大幅に
制限されている。

現代のこうしたもとで、個人・個性の発
展は大きな壁につきあたっている。

マルクスは、人間一人ひとりの個性の発
展に重大な関心をよせていた。

170年前に執筆した「経済学・哲学草稿」
は、資本主義社会を分析した鋭い批判の
書である。そしてこれが「資本論」へと
結実した。

個人・個性の発展を、歴史的に三段階に
分析している。
①人格的な依存諸関係
②物象的依存性の上に築かれた人格的独
 立性
③諸個人の普遍的な発展の上に築かれた
 また諸個人の共同体的、社会的生産性
 を諸個人の社会的力能として服属させ
 ることの上に築かれた自由な個体性

①は封建時代まで。②が資本主義時代
であり、③が社会主義・共産主義の時
代となる。

「第2段階は第3段階の諸条件をつくり
だす」と述べている。

日本国憲法第13条は「すべて国民は、
個人として尊重される。」と規定されて
いる。まさに第2段階である。
この憲法の規定、「個人として尊重」
本当に花開くにはど
うしたらよいのか。
私たち現代人に問わ
れている課題だ。

自民党の憲法草案は、この「個人」を
「人」と置き換えている。みごとなす
り替えである。
「人一般」にして、「公益」に従属さ
せようとする魂胆がみえみえである。

自民・公明が、「自由と民主主義」を
叫ぶが、その抽象的な、中身のない言
葉を現実から鋭く射抜かなければなら
ない。

戦前、「自由と民主主義」を弾圧して
きた自民党の先輩たち。いままた、そ
れを「美しい日本」として復活させよ
うとしている。

かれらの反共主義は「自由と民主主義」
の反対物であることを、理性をもって
批判していかなければならない。