佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

友人長島氏のお遍路続き

2015-10-20 12:35:56 | 日々の思い

第28番 法界山 大日寺(ほうかいざんだいにちじ)

 

御詠歌・・露霜と罪を照らせる大日寺 などか歩みを運ばざらまし

 

第27番 竹林山 神峯寺から第28番 法界山 大日寺の遍路道は、本によると38,3キロ

と書かれている、道中遍路道の休憩所にて、寝袋を広げて、今夜はここにとまることにする。

 

朝早くに目が覚めて、涼しい間に大日寺めざして歩く、太平洋沿いの道やきびしい山道を

歩いてきた遍路にとってはこのお寺は親しみやすい札所と本にはかかれている。

 

ここには、遍路無料接待所という場があったので今夜はここに泊まることにした。

 

本山は右手に大師堂があり正面に本道そして左手にたくさんの石仏がならんでいる

本尊は大日如来で行基が開山したという、その後、弘法大師が訪れ楠の大木に爪で

薬師如来を刻み、奥の院に安置して霊場と定めたと伝えられている、この

「爪彫り薬師」は首から上の病に霊験があるといわれ信仰をあつめていると書かれてある。  

 

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友人長島氏のお遍路続き

2015-10-19 12:34:42 | 日々の思い

第27番 竹林山 神峯寺(ちくりんざんこうのみねじ)

御詠歌・・みほとけの恵みの心神峯(みほとけのめぐみのこころこうのみね)

     山も誓いも高き水音(やまもちかいもたかきみずおと)

 

標高430mの山の上にあるお寺でかなりきつい登りで土佐の関所と言われるだけある。

 

先の26番金剛頂寺から29キロある国道55号線沿いを歩きこの国道沿いで眠ることにした

そしてあくる朝、早く起きて歩きもって昨晩買っておいたパンをかじりながら神峯寺に

向かった。

 

杉木立の中、険しい山道を歩いていくが、ついたお寺はきれいに手入れされた庭園がある。

つらい遍路のたびの疲れをホットさせてくれる。

 

その昔神功皇后の時代に開かれたという歴史の古い寺とのこと。

 

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JAZZ

2015-10-18 11:21:12 | 趣味

一月ぶりにJAZZライブに行きました。

いつもの横田さんの息子さんのお店です。

前から一度行きたいといっていた、谷本夫妻と梅田で待ち合わせて一緒に心斎橋の大丸の筋向い

にある、ORE心斎橋ビルの地下にある「ブルックリンパーラー大阪」に

 

今回は大阪に拠点を置く「HIPHOPBAND」韻(シスト)BANDという名の3人の

ビートのみにこだわるバンド。

 

そのサウンドは、SOUL,FUNK,JAZZ

私らのような年代のJAZZと少しかけ離れた若い人のリズムですが、ビートの利いた楽しい

演奏で楽しませてくれました。

 

お客さんも若い女性が多くおられました、びっくりしたのは若いお母さんに連れてこられていた

1歳のお子さんがお母さんと一緒にリズムに合わせて手をふりまわせておられるシーンが

見受けられ唖然としました、名前を聞くと「いつき」さんとのことでしたが、

 

お母さんが手を持って振るのでなく自らリズムに合わせてふっておられたのには感心しました。

よほど日ごろからお母さんのjazzに感化を受けておられるのでしょう。

 

ここ「BUROOKLYN parlor」では来月26日にはスペシャルライブとして

「CHICO&THE、GYPSIES」を招いてのライブがあります

大阪にはなくなりましたがブルーノートの東京と同じように大阪ではこのブルックリンパーラーで演奏が行われます。

 

予約は早い目に申し込まなくては満員御礼になるでしうょう。

このライブに関してはテーブルチャージがいりますので、ご注意を。

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いそつり10月号より

2015-10-17 11:10:48 | 釣り界の歴史

全関西磯釣連盟の機関紙「いそつり」のNO788号(10月号)が出ました

表紙を飾っているのはイシダイ

知夫里島の白岩で釣られた、石鯛釣技会の河東竜司氏の50,6センチと

知夫里島の松ヶ崎で釣られた、マッドストンの薗田雄二氏の61,0センチ 

いずれも夏の隠岐の島の磯でつられたものですが、立派なものです。

 

今月の中での「釣りキチDIARY」で木村氏が書かれているように、イシダイ釣り師は

年々減少の一方、逆に現役のイシダイ師はおかげで少しは好きなところ(磯)にあがれる

ようにはなってきますが、仲間が少なくなるというのはさびしいものです。

 

この号にイシダイ竿師の方がなくなられたと書かれています、昔はイシダイは皆さん竹で

釣られておられた、今でこそ竹竿で釣られている方は本当におられない。

私も先日いただいていた竹竿を淡路じやのひれリゾートの山形社長が集められておられる釣りの蔵書や道具の館に寄付させてもらいました。

私のところにおいて朽ちてしまうより少しでも多くの皆さんに見てもらうようにと。 

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懐かしい釣場と記事2

2015-10-16 17:57:59 | 釣り界の歴史

サイパンのバンザイクリフに「太平洋の塔」の慰霊碑を建てる話が全関西磯釣連盟と

全日本サーフ、にアジア太平洋学生会が手をつないで募金を集めて立てることになり

みんなで寄付を募り石の塔を建てた。

 

塔は当時、アジア太平洋学生会の中心である拓殖大学がサイパン、テニアンの島の復興に

奉仕してきた、そしてこのバンザイクリフに倒れた家の廃材で白木の墓標を建てた、

その場所に学生会の了承を得て立てることになった。そしてそのカンパの募金バッジを作り

1個150円で各団体に数量をまとめて買ってもらうことにした。

 

釣りの団体がこのような慰霊碑を建てることとの取り合わせが変だなーと思うところもあったようですが、この戦場が平和になり多くの観光客や釣り人が訪れるようになればいいのになー

とのことや、釣りも世の中が平和でなければできないとの思いで建立された。

 

この記事については1969年の12月号の「いそつり」に書かれた、今は亡き小西氏が

かかれたものです。

 

写真はそのときに作られた募金バッジです。

私のバッジの中からです。

 

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