ふろしき王子のブログ◎
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究極的なことをいえば、
役割を果たすというのは、
その役割を終えることである。

たとえば僕は、20年前から
ふろしきの結び方や魅力、その心を
全国で伝えつづけていますが、
もしこれが江戸時代であったら
そのような需要はほぼ無いでしょう。

老若男女みなみなが風呂敷を、
自分なりに工夫して日常つかっているのが
当たり前の時代だったから。

もともと僕は、環境をもっとよくして
都会でも身近にいきものを触れあいたいという
思いから、その一環として使い捨てのごみを
減らそうと、ふろしきをつかいはじめた。

これが、エコのために我慢して仕方なく
つかうような風呂敷だったら
当然長続つづきはしなかっただろうが、
環境問題をぬきにしても、これほど便利で、
かつ創造のよろこびに満ちたものがあるかという
感動と歓びのもと、氣がつけば手放す理由もなく
ずっと使いつづけ、かつ、ありがたくも
その魅力を伝えることを、仕事としても
呼んでいただけるようになった。

こうして20年を経ても、街なかでは誰もが
風呂敷を提げて、背負って、あるいている
という光景には至っていない。
無論、それを目的としているわけではないが、
願うらくは、子どものうちから、ひと通り
風呂敷の扱いを知って慣れて身につけた上で、
あとは各人が好きな道具をえらんだらよいと思う。

あくまでも、風呂敷はたくさんの選択肢の一つである。
ただ、風呂敷が他の道具と違うところは、
完成品ではなく、材料にすぎないということ。
そこから、何でもすきなものをつくれる、DIYのプロセスが
ふろしきの真髄なのだ。

そしてその技術は、単に”むすぶ”だけなので、
完成してもほどけば材料にもどる。
次はまた違った形へ、用途に沿って変わってゆく。
材料~道具を永遠と循環する、ふしぎな存在だ。

だから、風呂敷を身につけるというのは
いくつもの結び方を習得するばかりでなく、
生き方、暮らし方、物と制作のコミュニケーションそのものの
新たな視点を得るということでもある。

さすれば、風呂敷自体がなくても、
何か問題が起きたときに、身のまわりにあるものを
工夫して、見立てて、少ない労力とコストと、
ゆたかな発想によって涼やかに解決し、
まわりの人や物や環境や社会と調和しながら、
みんなでまるく、やわらかく、協力して、
誰もがしあわせになってゆく、というところさえ目指すことになる。

ふろしきは、相手にあわせながら包みこんで、
一緒にすすんでゆくものだから、敵も味方もない。
より多くの方が、自由に風呂敷をつかって、
人に伝えて、やがて当たり前の存在と、ものの考え方になれば、
わざわざ風呂敷講座をひらく意義も薄れていくだろう。

次に出す本で、ハウツー的なものは最後にしてもよいと思っていて、
そのためにも、バランスのよい本にしたい。
これまで、
「ふろしき王子」という氣はずかしい愛称は、
自分から名乗ることははばかられていたが、

友人のつけたこのニックネームによって
風呂敷の活動を目立たせて、さまざまなご縁や出会いを
つないでくれたことは否めず、感謝すべきことである。

それで、今になってようやく、
本の著者名に、勇氣と誇りをもって
ふろしき王子と記すことにしました。

ちょうどそれを打ち込んでいる今このとき、
雨は降りながらも、お日さまのひかりが
ぱああっと射してきて、
子どもたちが「梅雨がおわる!」と歓声をあげました。

ふろしき王子として、いよいよ最後の活動に入ります。
風呂敷が、人々の暮らしにとって当たり前のものになり、
僕が誰からも呼ばれなくなることが、役割としてのゴール。
そこをくぐれば、また新しいステージが待っているでしょう。
ふろしきは哲学。
それをもって、世の中から特別なことをなくしていく。
一部の誰かが抱え込むのではなく、
みんながみんなの、生きるために心と行動を注ぐことで、
せかいは、早く進化していく。



たとえるなら、テストの答えをみなで教えあって
考えあって、結果的に全員が100点をとれるように。
みなさま、どんどん、風呂敷をひろめてください。
僕は可能な限り、何だって協力いたします。
暮らしていくため、毎月の支払いの分は
いろんな形で得なければならないけれど、
お金のものさしで、機会を潰そうとはしません。
この20年ずっと、経済的にはぎりぎりの生活をしながらも、
借金ゼロ、貯金もゼロ(笑)で、しあわせに暮らしてきました。
人を信じ、社会を、大自然を、そして宇宙をしんじています。
これからも変わらず、自由に、マイペースに、
ふつつか者ながら、精進していきたいと思っています。

風呂敷の結び方なんて、とってもやさしくて、
達人技なんていう難しいものでも何でもない。
だけど、風呂敷を通して僕は、

・日常生活や旅が、大変便利でたのしくなった
・忍者あるきに変わって、とっても身軽になった
・いつも背負っていることで足腰や背中がしぜんに鍛えられている
・ミシンを使えるようになった
・人とコミュニケーションをとるきっかけとなった
(これは、似顔絵を描くことも同様)
・大勢の人まえで、話せるようになった
・各地から呼んでいただき、全国を旅して
 知らない町や人々と交流できるようになった



・何でも自分でつくってみようという意識に変わり、
 ものづくりの幅がひろがった
・ふろしきの在り方から、生き方を教わった

いちばんの宝ものは、
風呂敷を通して出会った、
たくさんの人、友達、なかま。

たまたま同じ時代のおなじ星にうまれて、
こうして出会ったのは偶然ではない。
人には感情があるから、面倒なことだって
起こるものだけど、それ以上のよろこびに
つながるように、みんなが、
嫌なことに負けず、積極的にうれしいことを
見つけて、生み出して、よりよい
未来をのこしていきましょう。

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