どんなによい言葉を聞いても、かたちに還元しなきゃ、あまり
意味がない。
そういう意味では、実務できる時間、そしてセットで休息ぼーっと
できる時間が要るが、緊張・集中・消耗しながらも
生産性のない時間は減らさなければならない。
たとえば、やはり寿司詰めの移動時間、人気店に行列すること、
時間つぶしと半分中毒のゲーム三昧、重要性の薄いニュースに
目を奪われること。
おうち(地域)に引きこもりながら、身近な環境や人々との
掛け合いを通して生み出されるものこそ、いのちと直結する。
公園で集めた落ち葉を、ナマズのいる水槽に沈めて
寒さよけにすること。
枯れたヨシを刈ってよしずを作って、来年のブラインドを準備すること。
はぎれを縫い合わせて、誰かの暮らしに役立つ風呂敷をつくること。
人の暮らしの基本なんて昔からそれほど変わらず、
ちょっとした、やるべきことがごまんとあり、余れる時間など存在しない。
純粋に休んでチャージする時間も必要なんだ。
仕事を引退してからが、本当は、ちょっとした重要なことを
やれる境遇と、責任が生じる。
レレレのおじさんが、道を掃き清めながら、声がけを続けるように。
引退してからこそが、世の中への真の貢献、還元がはじまるのではないか。
働いているうちは、まず自分が生きていくのに必死であるから、
その段階を卒業したなら、後進がため、
知恵と経験と時間と実作業に費やしながら、自然と枯れて土へもどる、
そういう生き方ができればよいと思う。
| Trackback ( 0 )
|