明日(水曜)は浅草の実家のお店の手つだいのため
朝6時半に出発し、日野駅から中央線で神田、
山手線で上野で降り、そこから30分ほど歩いて行く予定。
でも発つまえに自宅でふろしき本をすすめたいので、
4時の目ざましですっきりと覚められれば、立ち上がらむとおもう。
本のために文章をつくったり絵を描くのはエネルギーを
つかいながらも楽しいので、今から3時間睡眠でも何とかなろう。
心の体へ及ぼすはたらきは想像以上なのだ。
このたびの新刊本(自作)のタイトルは今は伏せますが、
そのまえに副題のように「ひめとにんじゃの」が、はじめはありました。
結局そこは削ったのですが、
この経緯のおかげで、ページ毎のイメージイラストには忍者
(忍び衣装ではないふだん着)と
姫(西洋服。お嬢さま系)が代る代る登場するです。
その姫が、自分でいうのもですが
大変愛らしいために、ますます描くのがたのしくなっています。
何度も同じ顔を描くうちに情が湧くというばかりでなく、
今回はいつもの即興とはことなり、一応はキャラクターデザインを
したので、何度となく顔や着る服を調整して、ようやく
ととのって誕生したよろこびがあります。
ほんのさじ加減で微妙に変わる表情に出会うと、
まるで生きているかとまで感じています。
彼そして彼女は、必ず、ひとり/ふたり歩きして、
全世界じゅうへ、風呂敷の魅力を伝えひろげていくでしょう。
ただ、今描いている絵は習作であり、
清書は墨とフデのいっぱつ描きの予定です。
鉛筆で描いた絵と、筆でそのまま完成さす絵では、
またまったく情緒のことなるはず。
どんなものも、多くも少なくも産みの痛みはあり、
苦の花さかせるともいう。
逆行こそが進化を呼ぶのであるし、
案じすぎず、じぶんで決めてすすんでいけば必ず大丈夫
ということを肝に命じたい。
困難があるとして、そこへつよく立ち向かうというよりは、
その困難をやさしく撫でるように、
柔らかな指さきでほぐしていけば、
問題こそが最大の助けへと転じる。
泣ける毎 君が瞳の 清らなり
| Trackback ( 0 )
|