ふろしき王子のブログ◎
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今日はあめ。

この季節はひと雨ごとに涼しさを深めそうだが、
明日は台風到来か天候は荒れるという。

その、明日はドイツに留学中の友達と
我が家で数年ぶりの再会予定。
ドイツ人の彼もいらして、二人で浴衣を着たいというので
知り合いのリサイクル着物屋さんで浴衣は買いましたが、
帯のちょうどよいのが無かったので、
僕が持っている6尺(鯨尺、216cmくらい)の
長い絞り帯を半分の3尺に割いて作りました。
腰ひもと同じ2周分で、このくらいほうが結びやすいかと。

これによって、帯が2本できたので1本は自分用にし、
さっそく今日、青梅の小学校での風呂敷講座で
着物をきてこの帯を締め、ハカマをはきました。

体育館で、元氣な小学生とともに楽しく結びました。




明日はつよい台風の来(き)ぬべしという予報なりが、
ドイツからの2人はちゃんと来れるのだろうか。

友達の、女性の方の浴衣の帯も合うのがなく、
黄色いすてきな帯も、紺地にピンクの模様の浴衣に浮いてしまう。
イメージすると、緑系ならしっくりする。
そこで、今朝、この黄色の半幅の帯を藍染して緑色にしました。
まだ乾かし中ですが、浴衣に合うといいな。
帯の裏は元々薄ピンクでしたが、すこやかな青に染まったので
両面使えそう。

浴衣の季節は過ぎているが、彼/女たちはこの後沖縄へ行くというので、
おきなわで、外国人とのカップルで着るなら
この季節でも行けるかと。

探しても見つからなかった帯、結局2本とも、我が家に潜在していた。

お店で買う氣がしなかったのはこういうことか。

全てのことに意味があるというが、好きな意味を持たすことができるともいえる。

ただ、ちょっとしたトラブルが起きたり、重なるときは
何か不安定、氣がかりが存在するというサインの場合がある。

頭や足をぶつける、指をはさむ、皿やコップを落として割る、
ジュースやスープの器を倒してこぼす、というのは
その場所の不安定を表しているから、
そこを片付けて、掃除するとよい。
というよりも、割ったりこぼしたりすれば掃除せざるを得なくなるので、
だからそこで壊れた、という解釈もできる。

絶対的に汚いとか、散らかっているという状態は無く、
森の中のように循環していれば、ゴミというものは存在しない。
本人が氣にしているかどうかが問題で、いつもきにかかっているのに
掃除しないでいると、思いが臨界点を超えて、そこにコップが割れる。
逆に、本人が全く氣にならないならば、ゴミ部屋と化していても
思いの集積によるトラブルはない。しかし、疲れはとれにくくなるでしょう。

体をぶつけるのは、ちょっとたるんでるぞ、注意せよ、という
からだからのメッセージかな。
ぶつけることで毒が抜けて、凛とするので、事故が自己治癒でもある。

子どもがいたずらや粗相をしでかすのも、純粋な遊びもあるけど、
構ってほしくて、というのもあるでしょう。
コップのお水をこぼしたら、自分で拭かせるのと併せて、
もっと構ってあげたり、思うままに遊べる時間や環境を増やせば、
そのうち、倒さなくなってくる。


うちの息子が、優しくていじめられるかもしれないから、格闘技を
習わせたら?と親戚からちょいとすすめられました。
日常生活すべてに生かせる体づかいとして、相撲や合気道で心身を練りたいとは
考えています。
ただ、いじめに遭うのは、単に弱いとかおとなしいの表面的なものではなく、
醸し出される自信の無さ、というのもあるように見える。
だから、親がいつもがみがみと命令して、それに逆らうくらいならまだしも、
いつも顔色を伺ってびくびくしているようでは、外に出ていじめられる可能性が増す。

(後から読み返して、 家で抑圧されている子は、どちらかというと
 ストレス発散でいじめる側になりやすい。そして、あまり構ってもらえず
 寂しい思いをしている子の方がいじめられやすい。
 いじめによって構ってもらえるわけだが、もちろん本人の望む形とはかけ離れている。)


僕は、こう見えて いかづちを落としたり、ビン太を食らわせることもある。
そして、アフターケアのバランスを見極めなければならない。

いじめには、いじめられても本人が平氣な場合と、苦しい場合がある。
いじめ自体が無くなればよいけど、コミュニケーションにおける
線引きが難しいから、たとえいじめっぽい境遇におかれようが、
ちっとも歯牙にかからないような強い心であるように、
それは腰のつよさともつながりますが、日々の暮らしで
そうなるように鍛えているつもりです。

机に落書きされても、消さずに平然と授業を受けていけるし、
上履きを隠されたなら、裸足で教室に行く。
先生に問われたら、「何か無くなっていたので。別に裸足でも大丈夫ですが」と
本音からそう言える。
給食にごみを入れられたら、おかわり用がまだ入っている鍋にごみごと戻し、
図書室に行って普通に好きに本を読む。一食くらい抜いてもどうってこたない。
逆に問題をあからさまにして、はっきりさせる。
全員から無視されても、本当に全く氣にならない。
こころの中で「ばかじゃん」と笑える余裕がある。
そのくらいの、自治心を持てるように。

そのためには、自分でできることを増やして、自活の自信を増やすことか。
いつも誰かを頼りにしていると、味方がいなくなったときに絶望してしまう。

根本的な解決は、僕は、体をもっと動かし、日常的に他人とよく
触れ合って生きることで、他者感、そして自我さえも無くなるくらいに
大自然の風に乗ることだと思っている。

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コメント
 
 
 
Unknown (神水の馬 壬午)
2019-02-19 23:08:52
私の小学校時代をよく知ってるな
 
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