水木と、川崎の溝の口で風呂敷講座でした。
どちらも午前中で、水曜は帰宅後に山の畑へ出向き、
昨日は終了後、浅草の実家で用事をした。
さて、ところは多摩の田舎の自宅。
そが庭にはでっぷりと貫禄ありすぎなひきがえるが、
何匹も鎮座ましましていましたが、このごろは、
野菜くずバケツのそばの大将を見かけなくなった。
この暑さで移住したのかと思っていたら、
サワガニの水槽の裏のすきまに
なんと3匹もの大蛙が折り重なって避難していた。
そんなモーレツ暑さも、水曜の夜に多摩地方で降った
かなりの夕立によって峠をこえたかと、楽観したいきぶん。
話は変わり、外来種問題について思うこと。
何でも外来種のせいにして、目の敵にしている風をかんじるが、
在来種が減少したのは、水質悪化や護岸工事など
環境汚染も大きな要因でないか。
僕は、環境の再生による棲み分けも、ある程度可能と考えている。
大型の捕食者の入りこめない浅瀬やすき間が多様に存在すれば、
共存共生も可能だろう。
さらに、家庭排水や農薬・肥料の流入をふせぎ、
ヨシや砂利による水質浄化も加われば、外来種がいながらでも
在来種が復活したりふえたり、という現象は起こり得るだろう。
池の水を抜いて外来種を殺すのをイベントにする前に、
生態系の精査が求められよう。
川辺のみちをミシシッピアカミミガメが歩いていたとして、
それを車に跳ねられないように捕まえて川に放すのは、
法律違反の犯罪のようになってしまうようだ。
もし捕まえたら、飼うか、(どこかに託すか)殺すしかないようだが、
受け入れ先を探すのも、殺すのも、子どもにはハードルが高い。
各小学校にカメ池を設置し、捕らえた亀はそこに持ち込んで
地域のみなで育てるのも一つの方法だ。
餌は近所の人や児童が、残飯や給食で余った野菜くずなどを
やる。
家で飼いたい人はそこからもらって、もし飼えなくなったら
野生へ捨てず、ふたたび学校の亀池にもどす。
以前、もう20年以上前になるが、浅草寺の境内のはずれに
うっそうとした一角があり、その中に淀んだきたない池があった。
しかしそこには、たくさんの亀が住んでいた。
閉鎖されたる池であるし、捨てられた亀たちであろうが、
さほど広くもないところに百匹以上いて、たまに餌をやったりして楽しんでいた。
その後、改装されて錦鯉が泳ぐようになったが、
あのまま亀の駆け込み寺であってもよかったと思う。
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