所属している横浜のI男声合唱団の定期演奏会があった。演奏者としてオンステした立場なので、もちろん演奏そのものの評価はよく分からない。お聴きいただいたみなさんの感想などをお聞きして感じたことをまとめる。
お客様の評判は、一言で言えばすこぶる良かった。第15回目の定演にして、今までで一番良かったというお話もあった。
うーん、なんなんでしょう。
演奏している側としては心配だらけの本番だった。前回の定演を終え、第15回に向けて曲目を決定し練習を始めた矢先に、指揮者の一人Yさんの海外転勤の辞令発令。
僕は、第15回定演は延期すべきと主張した。でも運営委員会の他のメンバーは、このままのスケジュールで、Yさんが担当していた第3ステージも第2ステージ担当のIクンが振ることで乗り切ることに同意し、取り敢えずやってみようということになった。
僕は仙台にいて毎回練習に参加できるわけではないし、運営委員会も然りで、離れている分だけ不安が強かったこともあると思う。でも、それにしても予定通りに進めることは冒険だし、ある意味無謀だと考えていた。
実際、直前までうまくいかない部分が多かったし、下手したら本番で演奏がストップしたり、各パートがバラバラになって、収拾がつかなくなる可能性だってあった。そして完全破綻はなかったが、細かいミスやズレは結構あった。
でも結果的には、Iクンの相当の頑張りもあって、かつみんなで一生懸命練習した甲斐があり、僕の心配は杞憂に終わったことになる。
あれだけ不安もあり、実際の演奏では細かいミスも多かったのに、なぜお客様は満足して褒めていただいたんだろう。
そこで思うことは、音楽の演奏、特に合唱は単にミスのないテクニック的に優れた演奏が感銘を与えるわけではないということ。多少ミスがあっても、荒削りでも、歌い手の人となりというか、人間性というか、そういうものが大きくモノを言うのかもしれない。
本来の合唱としての完成度は決して高くなかったと思う。ミスもあった。でもみなさんが「良かったねー」と言っていただけるのは、団員一人ひとりの日頃の人間性、団員同士の融和、聴きに来ていただいたお客様との絆など、直接的に演奏テクニックとは次元の違う部分で充実しているからではないだろうか。
まさにコンクールで高い評価を受けて上位入賞することと、ある意味対極の音楽表現なのかもしれない。自分で歌っていても、そこは良く分からない。
とにかくみなさんが「良かった!」と言っていただけるのだから、素直に喜ぼう。もう細かいところはいいさ、みんなが良いと心から言ってくれるんだもの。
団員もみんな日頃から良い付き合いをし、良い友人たちを持っている。その人たちはただ単にお付き合いで聴きに来たり、お世辞で褒める方々ではない、本気の応援者だ。だからこそ僕たちの演奏に感動してくれる。
深謝、多謝!