呑む気オヤジ/蔵王山麓蓬莱庵便り

蔵王山麓暮らしのオヤジの日記。合唱も映画もドライブも温泉も、たまには俳句も・・・😄

呑む気父さんの読書感想文・亥の10 「深追い」

2007-06-04 | 本の話
深追い

新潮社

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♪「深追い」横山秀夫著 新潮文庫

横山の警察ものということで、相当の期待を込めて読んだ。
でもちょっと期待はずれ。
もちろん横山特有の切れの良さと警察官の深層に迫る筆致は十分。
短編の連作なので、イマイチ重厚感に欠けた印象だったのかな。

三ツ鐘署に勤務するいろいろな職務を担当する署員の、その心の内が切ない。
警察官は滅私奉公当たり前、反面人を人と思わない捜査がまかり通る?
一般社会とは一線を画す世界に身を置く署員の
ある意味普通の人間と変わらない喜怒哀楽がきめ細やかに描かれていると思う。
やはりお勧めの一編だ。
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通夜と告別式、そしてこれから

2007-06-04 | 家族のこと
先日、妻のそばでブログを更新した後はあっという間に時が過ぎた。
もう初七日も終わり、息子たちは今日から普通に学校に通い始めた。
僕はもう一週間忌引きが続く。
しかし少しずつ全てが普通の生活に戻りつつある。
妻が入院して一ヶ月、家に妻がいないことにある程度慣れていた。
だから、和室に妻の遺骨と遺影が祭ってある以外は、この前までとさほど変わらない生活が続いている。
こうやって段々妻のいない生活に慣れてゆくのだろうか。

妻の通夜と告別式を催した葬祭場は、家から目と鼻の先。
正直言って、この日を薄っすらと予感してはいた。
だから「その時」のことを、少しずつ考え始めていたことは事実だ。
マンションのすぐそばに小奇麗な葬祭場があるので「万一の時は、ここかなぁ」という漠然とした思いは前からあった。
でもこんなに早くこの会場を使うとは。

夕方から喪服に着替えて葬祭場へ。歩いて3分。
あまりにも便利。ちゃんと前からお膳立てしたように、あまりにも便利。
家族や親族が集まって、妻に最後の旅支度を行った。
相変わらず安らかに眠っている表情だ。
亡くなって時間が経った遺体特有の青白い顔色ではない。
不思議と普通の肌色のほっぺただ。
でも、手や足に脚半などを巻いてやっていると、自然に涙が溢れた。
いよいよ本当に行ってしまうのだ。

通夜には私の友人、会社のメンバーが大勢駆けつけてくれた。
北海道からこのために(?)来てくれたT、妻の病状を最後まで心配してくれた十和田のA。
その他にも、以前の職場のメンバーは立川や藤沢、平塚など遠方から参加いただいた。
また現職場のメンバーも含め、百数十名の皆さんにご焼香を頂いた。
本当にありがたいことだ。
夜は葬祭場の妻に義母と息子二人が付き添った。
僕は実家の母と家に戻ることにした。
父が人工透析中のため、今回の葬儀にはどうしても参加できず、大変残念がっていた。
母は前日父と仙台へ帰り、この日の朝早くとんぼ返りで戻ってきてくれた。
義母と同い年で喜寿を越えている。
二人とも疲れが出なければ良いが、と心配になる。

翌日の告別式は午後から。
午前中早くに葬祭場に行こうと思いながら、結局昼近くなってしまった。
相変わらず要領が悪い。
祭壇の前でお線香をあげ、棺の蓋を開けて妻の顔を見る。
やっぱり普通に眠っているようで、まだ亡くなったことが信じられない。
そろそろ告別式に参列いただく方が受付を始めた。
昨日に引き続き会社を休んで告別式も参加してくれた友人達が集まってきた。
実家の母に紹介した。勿論顔馴染みや名前を知っているメンバーばかりだ。
母が「今日はありがとう。皆さんも体には気をつけて」と話しているそばで、また涙がこみ上げてきた。
子供が小さい頃は妻も含め家族ぐるみの付き合いをした連中ばかりだ。
心から妻の死を悼み、冥福を祈ってくれるメンバーだ。
通夜は間に合わなかったけど、告別式に参列してくれた仙台のM。
名古屋からわざわざ駆けつけてくれた会社の友人E、そして昨日に引き続き会社を抜けて来てくれたO。
同期のOにM、本当にありがとう。

妻との最後のお別れとなった。
参列者一同で妻の棺に花を入れる。
このときは、息子も僕も声を上げて泣いてしまった。
義母は「ごめんね、体のこと気づいてやれずに。ゆっくり休んでね」
みんなそれぞれに後悔と悔しさが心に渦巻いている。
でも今は妻に、お母さんに、家族に、感謝してお別れしよう。
息子も母も妹も、そして勿論妻自身も、ここ数ヶ月みんなで頑張ってきたじゃないか。
特に息子たちは本当に成長したと思う。
人を気遣うこと、思いやること、心配すること、我慢すること、努力すること
いろいろ学んだと思う。
ついこの前まで何も考えず、言いたいことを言い、やりたいことをやっていたのに
とてつもない成長だと思う。
同年齢の若者が、まだ経験していないことを経験したのだから、ぜひこのことをこれから活かして欲しい。

火葬場の炉に棺を入れる瞬間は、息子も僕も思いのほか落ち着いていた。
なにか一つの区切りがつき、一種の諦念の気持ちのほうが強かったのだろうか。
火葬を待つ間も、骨を拾っている最中も、もうあまり悲しみは沸いてこなかった。
考えてみれば、妻は逝くことによって苦しみや不安から解放されたのだ。
だからあんなに安らかな顔で棺に横たわっていたんだと思う。
だとすれば、ひょっとしたらそんなに悲しむことではないのかもしれない。

初七日法要も終えて、遺骨と遺影を持って家に帰ってきた。
簡易祭壇で妻の遺影はそれこそ穏やかな表情で微笑んでいる。
お帰り、漸く帰ってきたね。またこれから4人の生活が始まるね。
お母さんはそこで見ていてね。大丈夫さ、炊事も洗濯も任せておいてよ。
YuだってWaだってちゃんとやれるさ。
でも、これからはお母さんに手紙を書くね。
このブログに載せるけど、パソコンに弱いお母さんでも読めるよね。
本当にお疲れ様。そしてありがとう。これからも宜しく!


追伸
妻の体調が思わしくなくなってから、このブログとは別に妻の闘病記を立ち上げた。
妻の病状のことはあまり公にしていなかったので、ご紹介は控えていたが
妻が逝ってしまった今、もし宜しければ読んで欲しい。
こんなに急に病状が悪化するとは思っていなかったので
妻と家族の闘病記を記録し、いろいろな方にアドバイスや情報を頂きたくて始めたが
結果的には僕の心の叫びを吐露する場となってしまった。
あまり前向きな内容とは言えず、読後感もあまり宜しくないかもしれない。
同じ病気を持つ方々の参考にもならないだろう。
でも妻がどれだけ辛い思いや不安を抱えて闘病したか、その時家族はどうしたか
少しでも長く記憶に留めておくための記録になると思い、続けてきた。
このブログは妻の逝去を以って終了としたが
これさえも、こんなに短い期間で終了するとは思ってもみなかった。
返す返すも残念である。

http://blog.goo.ne.jp/my-bach-2007/


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