呑む気オヤジ/蔵王山麓蓬莱庵便り

蔵王山麓暮らしのオヤジの日記。合唱も映画もドライブも温泉も、たまには俳句も・・・😄

東海道品川宿

2005-09-09 | 徒然なるままに
☆9月7日(水) ジムの帰りに気がついた
 こんな私でもたまにはスポーツジムに通っている。
今日ジムの帰りにトボトボと京急青物横丁駅に向かって歩いていたら、すっかりシャッターの下りた商店街の街灯に「東海道品川宿」とあるのに気がついた。
 「そうだよ、ここは旧東海道なんだ」と思い至り、妙に感心し嬉しくなった。以前から東海道には多少の興味があり、数年前に「東海道を走破する」夢を持った会社のH先輩と藤沢から平塚を目指して歩いたことがある。
 9月の残暑厳しき折で、結局茅ヶ崎で「今日はここまでにしようか・・・」と二人でリタイア。スーパー銭湯で汗を流し、ビールを呑んで帰ってきてしまったが、今でも東海道筋には一里塚が残っていて、普段では気づかない古い史跡などを見ることができた。
 品川あたりの旧東海道を歩いてみたいなぁ、と常々思いながらそのままになっており、なんとなくめぐり合わせのようなものを感じたのだ。

 旧東海道もそうだが、古い町並みとか史跡とかを訪れると、私は何百年も前の風景を空想することがある。(妄想癖?)
 ご存じない方には恐縮だが、以前住んでいた目黒近辺のこと。JR目黒駅から西に向かって権之助坂を下ると目黒川があり、その先は山手通で左角に大鳥神社がある。さらに左奥に入ってゆくと有名な目黒不動尊があり、さらに奥は林試の森公園。
 この辺を歩いていると、江戸時代はどんな風景だったかと空想が膨らむ。多分に池波正太郎の「剣客商売」の影響があるのだが、目黒不動尊の周りは茶店などあってそれなりに栄えていたようだが、その奥に進むと雑木林と草原が広がり、農家が点在するだけでなにもなかったのだろう。
 現代でも相当の高低差のある目黒通りだが、その当時の曲がりくねったあぜ道(獣道?)をさらに上り下りして南西に進めば多摩川に至る。途中には「鷹番」の地名も残り、殿様の鷹狩場や鷹匠の訓練場であったらしい。
 鷹狩りに疲れた殿様が付近の農家によって秋刀魚を馳走になる・・・で、落語「目黒の秋刀魚」に話が結びつくのだが、秋刀魚は旨い!の話はまた今度。でもなんとなく殿様が馬を引かれて草原の中の農家に入ってゆく光景が目に浮かぶ。周りは薄野かな。

 旧東海道の商店街もなかなか風情がある。今度の休みはカメラ持参で散歩してみようか。多分一里塚や古い石碑など江戸時代の面影がいくつも見つかるに違いない。

追伸)
このままじゃ、呑む気父さんにならないので、一言。今週は一回も外で飲んでいない。もっとも、いつもいつも外で呑んだくれている訳ではないのだが、特に今週は控えめ。明日から大イベントが始まるので多少は節制している。
明日は呑むぞ~!

 
コメント
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