goo blog サービス終了のお知らせ 

十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

死者の霊魂とは

2009年08月15日 | 人生
 今日は終戦記念日、武道館で全国戦没者追悼式が行われた。祭壇には白木の柱に「全国戦没者之霊」とあって追悼の言葉や献花があった。

 あの柱が霊なのか、あの中に霊が存在するのか。ノーである。木の柱に「全国戦没者之霊」と書いてあるだけのもの。

 霊はどこに存在するのか。墓、仏壇、位牌などに神妙に拝んだりするがそこには実体として存在するものでない。

 内山興正老師はこう定義されている。
 「死者の霊魂とは生き残った者の間にただよう亡き人の残映である」

 まさにそのとおり。遺族にとっては亡き人の霊魂は墓においておくものではなく常に心の内に抱き、いつでも呼び起こすことのできるものである。

 墓にあれば墓に行かなければ会えない、仏壇の前に坐らなければ思い出せないというものではない。靖国神社に行かなければ英霊に会えないというものではない。

 亡き人を偲べばいつでもその人に会える。自分の心のうちの亡き人と対話し慰めるこれが慰霊である。時、所を選ばない。

 寺に預け、神社に預けてはいつも会えないことになる。
 盆行事もおかしなもの、盆の間だけ霊が帰ってくる、終われば帰ってしまう。
 そんなものではない、愛しき人はいつも心のうちに抱いておくべきもの、偲べばいつでも目の前に現れる、それが霊である。

 してみれば慰霊は一人密かに行うべきものであることが分る。この観点からすると、政治家の靖国神社の公式参拝というもののいかがわしさが明白であろう。 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする