goo blog サービス終了のお知らせ 

十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

”だんだん”におけるガン告知

2009年03月12日 | 人生

 毎日家にいる関係で朝の連続テレビ小説”だんだん”を視聴している。三倉茉奈・佳奈ちゃんも好感が持てるし、父母に対し「お父ちゃん」、「お母ちゃん」と呼んでいるのがぴったり好ましい。父親役の吉田栄作も自分の母親(三林京子)に対しても「お母ちゃん」、日本の家庭はこうでなくては思う。


 私も幼少の頃は「お父ちゃん」、「お母ちゃん」、中学生になって「ちゃん」で呼べなくなって「さん」付けで呼ぶようになった。ずっとそれで通して来たが母が90歳になったのを機に「お母ちゃん」と呼ぶようにした。


 子が親を呼ぶのは魂の叫び、気ママでパーパーはご免こうむりたい。


 さて、”だんだん”のストーリーは祖母が膵臓ガンを患ってガン治療を始めなければならないが告知をどうするか。父親は告知しないという。本人には告知しないで治療が始まった。しかし、これが問題なのである。


 医師は告知義務を負う。告知せずに治療すると医療法違反となる、つい数年前に最高裁判決で確定した。それで誰に告知するか、家族でよいのかとなるとそうはいかない。個人情報保護法ができて本人の了解なしに本人の重要な個人情報を本人以外の者に、家族といえども洩らしてはならないのである。


 客観的に見て本人が判断力を失っている場合は別として、本人に説明と納得を経ずに治療できない。”だんだん”のストーリーのように息子がたとえ善意であったとしても親の生命を勝手にできないし、医師はそれに加担はできない。訴えられたら負けである。宅麻伸演じる医師の扱いは間違いである。告知なければ治療できない旨を伝えるべきなのである。実際治療する上でも本人にその気がなければ治療しにくいし効果も期待できない。


 したがって、ガンになった場合告知はされることを承知していなければならないし、いつ死ぬことになるかもしれないことを前もって覚悟しておかなければならない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 閻魔大王 | トップ | 日の丸ー日本精神の象徴 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

人生」カテゴリの最新記事