十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

仏に成ってから死ぬべし

2024年03月30日 | 一法言

 仏式で葬式する人の多くは死んで仏になるように思っているようである。死んでから戒名(法名)をつけたり、年忌に追善供養したりしている。人としてその存在が無くなるのであるから成仏のしようがないのである。

 人の生涯は、仏教では十二支縁起で示されている。無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死である。しかし、この生以前なんて考えてみても意味がない。

 さて、私が考えてみた生から死を示してみたい。

 「人として生まれ、人間として生き、人格を作り、仏格を得て、涅槃に入る」

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