11月に入って例年のごとく年賀状が発売された。
いつどんなことが起こるか分からないから購入はまだ先のことだが、今年は早々に年賀に書く文章が思い浮かんだ。他人の言葉の寄せ集めでまだ洗練されていないが言いたいところはそんなところである。
人はいのちを輝かせるために生まれてきた
自らを燈明とし 法を燈明とす
そのいのち輝く尽十方の自己世界は一個の明珠でありそれを浄土という
人は何のために生まれてきたのか?
こんな問にきちんと答えられる人はどれだけいるだろうか。もう18、9年前の人権週間の啓発ポスターに「人はいのちを輝かせるために生まれてきた」というのがあった。「そうだ。そういうしか外はない」とその時奇妙に納得したことである。
そう考えてみると、涅槃経に「自灯明 法灯明」という言葉あるし、また、「尽十方世界は是れ一顆の明珠」は大宋国の玄沙師備大師の言葉もそれに合う。
いずれもいのちが輝く話なのである。佛様はみな輝いている。成佛とはいのちを輝かせることなのである。浄土とはいのちが輝く世界なのである。