千の風になって(考)にコメントをもらったのでもうちょっと考察を膨らませてみたい。
人が死んだらどうなるか。構成要素がバラになる。バラになったものが新たな生命の構成要素となる。その循環が地球上で地球的広がりの中で行われているのは容易に想像がつく。それがどの程度のものか、深く追求されたことはないと思う。
分りやすくするために水を例にとって考えてみよう。ネットを閲覧していたらいいのがあった。
コップ一杯の水を全世界の海水に混ぜるという記事。
コップ一杯180ccの水を海水に注いで均一になるようにかき混ぜたとして、そのコップで水を汲んだら元のコップにあった水の分子はいくつ戻ってくるか。 答えは700個というもの。
さて、死体に含まれる水分子の量は体重の60~70%、痩せた死体が多いだろうから、50Kgの人の60%として30Kg。コップの水の166.7倍。700個にこの倍数を掛けると116,690個
次にそれを生まれたから死ぬまで人体を循環する水分子の数も考えてみよう。
一日に必要な水分摂取量は2.5Lといわれている。
2.5L×365日×80年=73000L(Kg)
コップ一杯当り 700個×73000/0.18=28389万個
水分量30Kgの人には 473億2446万個
子供など1日2.5Lも摂取しない人も多いし、話半分としても途方のない数となる。
御釈迦さんの寿命は80年、その身体を廻った水分子がそれだけ常時自分の身体に来てるとなると感慨が深い。
「千の風になって」に話を戻すと、雪や鳥を〇としたのは、ご理解いただけると思う。
光と星はそうはいかない。人間が出した空気中の水分や炭酸ガスの影響の屈折が変わったりすることは考えられるが、無視できるものでしかないと思う。とても太陽光や星になるとは言えない。