8月2日(水) 晴
この日は久しぶりの城巡りウォーキングでした。翌日から田舎に行く用事ができたため近場での城巡りです。ほんとうは百名城を巡る予定でしたが時間がないので日帰りウォーキングとなりました。先般ヨットに遊びに来ていただいたゲストさんが大垣の方達だったのでついでに立ち寄ることにして墨俣城(一夜城)と大垣城を歩きました。
墨俣城は大垣駅からバスで30分ほど行った長良川のほとりにあります。美濃攻めのため織田信長が木下藤吉郎(豊臣秀吉)に作らせたことで有名ですね。実際には3日ほどかかって砦を築いたと言うのが史実のようです。ただそれまでにも城を築こうとしても、すぐに斎藤勢に攻められてうまくいかなかったようです。藤吉郎がすごかったのは川を利用して木材を運び、しかもすべて組み立て式に加工して墨俣に運んだことや斎藤勢に邪魔されないように一晩で馬柵を城の周囲に二重に作ったことです。
実は墨俣城は写真のような天守閣を持った城ではなく砦のような城だったようです。まぁそれでもこれはこれで良いかもしれません。墨俣は江戸時代は美濃路の宿場町として栄えたところでした。今は少し名残りはあるものの何も無い街道です。しかも交通の便も悪くバスは一時間に1,2本のところです。街道沿いを少し歩いてバス停に戻ったのですが丁度バスが過ぎたばかりで1時間後までバスがなく、暑い中を大垣方向に歩いてしまいました。
途中でバスに乗って大垣に戻り、次の目的地、大垣城に。大垣城は関ヶ原の戦いの最初の舞台となった所です。西軍の石田光成が拠点として使い、東軍の家康の部隊は大垣の西側の山に陣を構えました。もっとも家康は京都に進軍する素振りをしたため光成はあわてて関ヶ原の西側にまわり陣を引いたようです。一晩で陣を移した西軍とゆっくり移動していた東軍の戦いは結果的に東軍有利と言えたでしょう。
その後江戸時代には三河以来の旗本であった戸田氏が大垣城主となり明治まで比較的安定した藩として栄えたようです。
大垣城は戦前までは国宝でしたが、戦災により焼失し、再建された城となったため国宝から外されたようです。城のすぐ近くに米軍の爆弾が投下された跡が現在も残っているそうです。
結構疲れていましたが7月のヨットに来ていただいたメンバーのお店を2軒訪ねて、飲んで食べて楽しい時はあっという間に過ぎて、何とか大垣から快速電車で帰って来た。夜も遅いし名古屋で馴染みの居酒屋に立ち寄る元気も無くただただ疲れた一日でした。
さて今日は新幹線で御殿場の田舎に行ってきます。来週までごきげんよう!