”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話(ウォーキング14-06)美濃金山城址

2014年05月18日 19時40分52秒 | 趣味

5月18日(日)晴

昨日飲み過ぎで少々疲れ気味でしたが、久しぶりのウォーキングを兼ねて、美濃加茂のS木さん宅におじゃまし、田舎の畑用の敷き藁をいただきました。ついでにいろいろの野菜をいただいてしまいました。そらまめ、玉ねぎ、キヌサヤ、ブロッコリー、レタス、キャベツ。昨年より野菜作りに挑戦しているところですが、こちらは中々成果が出ていません。玉ねぎもキヌサヤも未だに収穫できるほどに成長していないのが今回よくわかりました。

さて一休みした後、S木さん父子と三人で美濃金山城址をウォーキング。金山城は織田信長の家臣森氏三代の居城となったところです。森氏と言ってもピンと来ない人が多いと思いますが、信長の小姓をしていた森蘭丸の生家と言えばわかりやすいと思います。元々は斎藤道三の配下斎藤正義の居城でしたが斎藤一族が信長に排除され、織田方の家臣、森可成が入り、その三男が蘭丸でした。ご存知のように蘭丸は本能寺の変で信長とともに討ち死にしてしまいますが。森家は四男坊丸、五男力丸も信長の近習として仕えていたため、本能寺の変で三人とも討ち死にしています。更にその前の浅井・朝倉攻めで父、森可成、長男可隆も討ち死にしており、跡を継いだ二男長可も長久手の合戦で討ち死にし父子6人の悲報に接した蘭丸の母、妙向尼の深い悲しみは我々には想像もつきません。たった一人生き残った六男、忠政が三代目となり、後に美作の津山城を築城することになります。森氏が転封後の金山城は犬山城の所領となり、天守等取り壊しとなり、犬山城の増改築の材料になったようです。

ちょっと説明が長くなってしまいました。信長と共に戦い、父子7人のうち6人が討ち死にした森氏の本拠金山城ですが、現在はほとんど人も訪れることのない城跡です。



参道は新緑に囲まれ気持ち良い。
本丸跡には碑が。



金山城址の直下には木曽川が見えます。多分天守等取り壊した物はこの木曽川を使って下流の犬山まで運ばれたのでしょう。何もない城跡ですが信長配下の猛将たちの故郷として一度は見ておくべき価値はあると思う。
今回は昨年S木氏と行く予定をしていたところですが半年遅れでやっと実現しました。案内していただいたS木さん、息子のヒナ君ありがとうございました。
今回は百名城ではありませんが、機会あれば今回のように歴史に名を残した森蘭丸の故郷のような場所も歩いていきたいと思っています。

 

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