ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2019.1.23 大寒を過ぎて思うこと

2019-01-23 20:29:28 | 日記

 冬至から1ヶ月が過ぎ、大寒から3日経った。早いもので1月も余すところ1週間である。
 今年はセンター試験の両日ともお天気に恵まれ、雪に降られることもなかった。穏やかな寒の時期である。定時に職場を出ればまだ真っ暗ということもなくなった。いわゆるマジックアワーで、西の空が美しい橙色や紫色のグラデーションを作り、黒々とした木々のシルエットが鮮やかに浮かび上がっている。ああ、今日も一日無事働けた、と有り難く空を見上げながら家路を急ぐ。幸せで満ち足りた時間である。

 一昨日の満月は大きく明るく美しく、思わずスマホを取り出してシャッターを切った。やはりスーパームーンだったとのこと。最近、スーパームーンのタイミングがかつてより増えているように思うが、そんなことはないのだろう。
 それくらい、今までは特に気にしていなかったものが見えているということかもしれない。まだまだ寒さが厳しい時季だけれど、日照時間が30分延びただけで、日が長くなったな、陽射しが明るくなったな、春が近いのだな、と思える私も紛れもなく生物のひとつだなとしみじみ思う。

 さて、そんなことを思う日々、ここ数日の体調のこと。
 土曜日から胸部の痛み、重苦しさ、圧迫感が断続的に続いている。時折突き刺すような痛みも加わっている。とにかくしつこい。ロキソニンを食後3度3度飲んでも落ち着かず、コデインの助けを借りている。ロキソニンよりコデインの方が即効性があるから、最初からコデインを飲めばいいのかもしれないが、即効性がある分持続性がないので、なんとなく先にロキソニンに手が出てしまう。ロキソニンも胃が荒れると言われるが、食後に飲んでいればそんなこともない。

 痛むとどうしても顔が引きつるし、俄然愛想が悪くなる。こうして文章を綴っていても、ともすればネガティヴ路線になりかねない。だから、体調が少し上向きになってから書こう、とサボっていた。帰宅すれば最低限の家事をした後は、眠くなるまでリビングで横になってダラダラと撮り溜めたビデオを観てやり過ごしている。本を読む元気がない。

 昨日の昼食後はロキソニンを飲んでも痛みが退かず、コデインを足しても目に見えた改善がなく、ああ、早退して家で横になりたい・・・と思ってしまった。なんとか定時まで踏ん張って、迷ったけれどヨガスタジオに行ってリンパリラックスのクラスに参加した。暖かく湿度の高い室内でゆっくり深呼吸をしてセルフマッサージをしているうちに、痛みが和らぎ、気持ちが落ち着くのを感じた。結果オーライだった。

 とはいえ、そろそろ治療薬変更の潮時だろうか。主治医はマーカー値にはそれほど一喜一憂することはない、やはり画像とそして自分が感じる症状の両方が悪化したらそれがタイミングだ、と仰る。

 職場の繁忙期でもあり、息子の卒業や引越しが一段落するであろう3月まではせめて今のホルモン剤とハーセプチンで粘りたいと思ってはいるけれど、それで機を逸しては元も子もない。今の痛みの緩和策でこの体調が改善されないとなれば、CT撮影の上、早々に今後の治療方針を相談しなければならないだろう。
 かくいう息子は学生生活最後(の筈)の学年末試験ウィーク。悔いのないように頑張ってほしいと思う。
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2019.1.19 42年経ってもこの曲に胸が高鳴る!~クリードⅡ~

2019-01-19 20:51:02 | 映画

 表題の映画「クリードⅡ 炎の宿敵」を観た。ラッキーなことにペアチケットが当たったので、夫を誘って。
 ロッキーの新シリーズ、2作目である。1976年の「ロッキー」から2006年のシリーズ6作目「ロッキー・ザ・ファイナル」まで漏れなく観てきた。なんといってもあのロッキーのテーマ曲が大好きである。ブラバンでも演奏した思い出の曲だ。我ながら実に単純なのだが、頑張るぞ!の気力が湧いてくる。
 そんな私なのに2015年の「クリード チャンプを継ぐ男」をなぜか鑑落としていた。幸い先日WOWOWで放映されていたので、しっかり録画して予習し、満を持して映画館へ向かった。

 2002年、愛妻エイドリアンをがんで喪い(2006年の第6作でそれがわかるのだが、おりしも自分ががんに罹患した翌年でもあり、ロッキーがお墓の前に椅子を置き、妻に話しかける姿が切なくて涙を誘われたのを覚えている。)、ロッキーも寄る年波といった風貌ですっかりしょぼくれている。
 「クリード チャンプを継ぐ男」では奇しくも亡き親友アポロ・クリードの息子アドニスに請われてトレーナーとなる。トレーニングを続ける中、初期のリンパ腫が見つかる。妻の闘病を見てきたからだろうと思われる諦観した台詞が重い。当初、治療しないというが、アドニスに説得され、闘病しながら2人でチャンピオンベルトに挑む。実の親子を超えるほどの弟子との関係が築かれていく。一方、一人息子のロバートはカナダに住み、ずっと疎遠であることもわかる。孫もいるが、会ったこともないようだ。

 それから3年。本作では、33年前の第4作「ロッキー4 炎の友情」でアポロをリングの上で死に追いやった旧ソ連のボクサー、イワン・ドラゴとその息子ヴィクターが、ロッキーと今は世界チャンピオンとなったアドニスに挑戦状を叩きつけてくる。イワン・ドラゴはかつてロッキーに敗れたという因縁もある。アドニスとヴィクター、それぞれにとっての父親の弔い合戦である。憎しみしか持たない彼らと試合をする意味はない、とロッキーからセコンドを断わられ、リングに沈んだアドニス。その後、再起をかけてロッキーとデス・ヴァレーで地獄の特訓を重ねる。ロッキーが病を克服したことがうかがえる。

 イワン・ドラゴも60歳を超え、かつての氷のような殺人ファイターの面影は消え失せている。深く刻まれた皺から、ロッキーに敗れた後、悲惨な人生を送ってきたことが見て取れる。妻に去られ、「国辱!」と罵られ、一人息子を鍛えあげることだけを頼りに生きてきた30余年間。そのしごきに耐え、厳しい父と、自分を捨てた母に認めてもらいたいと願う息子の孤独とやり場のなさ。とんでもなく強い大男の胸に秘められたその切なさが胸に迫る。

 本シリーズではロッキーもドラゴも戦わない。セコンド役に徹している。ラストシーンで“It’s your time.”とロッキーが言うように、アドニスたちの時代の幕開けである。
 アドニスはアポロの息子とはいえ、愛人の子だ。父とは会ったこともない。施設で育っていたところ、アポロの正妻メリー・アンに引き取られともに暮らすようになる。歌手であるビアンカと交際を続け、本作で結婚、女の子の父となり、父の墓前で勝利を報告する。ロッキーも自らの息子ロバートを訪ね、和解する。このシーンも素敵。実生活ではスタローンは一人息子を亡くしているという。ロッキーの部屋に飾ってある息子とのツーショットは、実の子とのものであるということを知り、ぐっときた。イワン・ドラゴもアドニスとの死闘で最後にはヴィクターにタオルを投げ、すんでのところで息子の命を救う。

 ボクシングシーンのリアルな描写もさることながら、こうした3組の父と息子のドラマも効果的に組み込まれていて、胸が熱くなる。ドラゴ父子を捨てた母を演じたブリジッド・ニールセンがそのままの役で出演していたのにも驚いた。私生活では54歳で5番目の夫の子供を出産したという話にも恐れ入ったが、30年の重みを感じる登場だった。

 それにしても、あの「ロッキーのテーマ」が本当にここぞ、という絶妙なタイミングで鳴り出すのである。否応なく胸が高鳴る。横で観ていた夫曰く、あの音楽が流れ出した瞬間、私の身がぐっと前に乗り出したのがわかった、そうだ。そうなのである。身体を乗り出して2時間10分、涙も滲ませつつ堪能した。
 やっぱりいくつになっても私はロッキーが好き。42年もの間、この役を演じ続けているスタローンは凄い。大満足の1本だった。

 と、一晩過ぎても興奮冷めやらないのだけれど、今日は大ポカをやってしまった。月に1度のお楽しみマッサージWさんサロンの予約はいつも日曜日。手帳にも明日にチェックをしていた。すっかりその気で今日は土曜日恒例の寝坊をし、ごみ捨てと洗濯を済ませ、夕飯のポトフの仕込みをして、さて、お昼の時間・・・ふとラインを見ると、Wさんから「今日はご予約ではなかったでしょうか。ご体調が悪いのでは、と心配しております」と連絡が入っていた。なんということか。慌てて予約カードを見ると確かに明日ではなく今日であった。この思い込み・・・なんと間抜けなことか。平謝りをして明日はいかがでしょうか、と訊くと午前中は予約が入っていたが、午後からなら、と入れて頂いた。本当に申し訳ない。新年早々しっかりしなくては、という出来事である。

 今日は澄み切った青空が広がる穏やかな土曜日だった。センター試験初日。例年雪の心配をするのだけれど、暖かくてよかった。それでも空気が乾燥している。受験生には体調を崩さず頑張ってほしいと思う。
 午後から夫がクリーニング店に行くのに同行して、ついでにお散歩がてらカフェで遅いランチをしてきた。

 ところで体調のことであるが、久しぶりに胸痛が引かず、空咳も気になる。ロキソニンに加えてコデインのお世話になる。なんとか落ち着いてくれると良いのだけれど。そろそろアリミデックスの副作用で手指のこわばりも気になるレベルになってきた。うまく付き合っていかないと・・・。
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2019.1.18 幕引きはこの言葉で・・・週末雑感

2019-01-18 22:39:19 | 日記

 「わが土俵人生に一片の悔いなし」―。
 言わずと知れた、一昨日行われた横綱・稀勢の里の現役引退会見の台詞である。
 相撲に造詣があるわけでは全くないけれど、19年ぶりに誕生した日本人力士唯一の横綱ということで、ひそかに応援していた。悲運の怪我に泣かされ、休場続き。進退をかけての初場所は3連敗に終わり、現役人生のピリオドを打った。
 黒星が続く中、苦渋に満ちた表情で無言で土俵を去る姿には、素人の私でさえ胸が締め付けられた。

 引退は遅きに失したとかなんだとか、外野は色々なことを言う。けれど、日本人一人横綱の重圧は測り知れない。怪我をしたくてする人はいないし、ご本人の気持ちを慮れば、余計なことは言うべきではないだろう。当事者の気持ち、ひいては孤独や苦悩は想像することは出来ても実際のところ当事者にしかわからない。

 誰にとってもどんな選択も、その時その時に出来た最良のものであると信じたい。あの時、無理をしなければ、もっと長く活躍できたとは思わないか・・・などとタラレバのおこがましいことを言うのは失礼千万だ。
 その時その時に自分が出来る最善を尽くすーそうすれば世界はちゃんとうまく行くように出来ている。神様はちゃんと見ておられる。この後、きっと後進の気持ちを汲める年寄「荒磯」としての次の役割が待っている筈だ。
  
 翻って、私の人生。幕引きのときに果たして「わが人生、一片の悔いなし」と言えるだろうか。
 もちろん言うことが出来ればそれに越したことはない。そして、そう言うことが出来るように日々を精一杯送っていきたいと常に思っている。
 少なくとも2005年2月に闘病を始めて14年、2008年1月に再発・転移が分かって11年、我ががんサバイバー人生に悔いなし。それについては今のところ、自信を持ってそう言える。この先も生ある限り病と共に人生を進めるわけだから、そう考えれば、今のように日々を送っていくことが出来れば、いずれ迎える最期の瞬間(とき)にもこの言葉、言えるのではないだろうか。
 年の初め、そんなことを思わせる出来事だった。

 昨日は阪神淡路大震災から24年、鎮魂の日であった。
 もう四半世紀近くになるということだ。震災の後に生まれた子ども達が既に成人し、社会人になっている。
毎年この日を迎えるにつけ思うことがある。ちょうどこの地震の日、私は研修で国内にいなかった。部屋にテレビがなかったし、今のようにメールもネットも身近ではなかったから、夜中にうまくキャッチ出来た時のNHKの短波放送と、現地事務所で見せて頂く新聞だけが頼りだった。そのため震災の情報がかなりすっぽ抜けているし、映像にも圧倒的に触れていない。だから、何かリアリティを持って自分に引きつけてこられなかったという申し訳なさ、後ろめたさがある。
 平成もまもなく終わりを告げる。震災後に生まれた子ども達の時代がやってきている。主催者の高齢化により追悼行事の継続も難しくなってきているという。決して忘れないこと、語り継いでいくことがますます大事になるだろう。

 生きていることは宙ぶらりん。今ここにあることは奇跡の積み重ね。何気ない日常、家族や大切な人たちとの笑顔はかけがえのないもの。その有り難さを決して忘れずに、日々悔いなく生き切ることこそ、私たちに与えられた使命である。
 そんなことを改めて噛み締める週末の夜である。
 
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2019.1.17 乳がん患者さんのための瞑想ヨーガクラス1月開講分、キャンセル待ちを受付中です

2019-01-17 21:09:48 | お知らせ

 先日残席僅かとお知らせした「乳がん患者さんのための瞑想ヨーガクラス」の1月開講分は、おかげさまで定員に達し、現在キャンセル待ちを受付中だそうです。

 多数のお申込みを頂き、どうもありがとうございました。
 ご参加くださる皆様に少しでも心穏やかな時間を過ごして頂けるように、体調管理をしつつ、これからも精進してまいります。新しい年に相応しい試みの準備も進めております。
 皆様との御縁に感謝するとともに、お目にかかれるのを今から楽しみにしております。

 寒い日が続いております。空気も乾燥しておりますので、どうぞお風邪など召しませんようにご自愛ください。

 4月以降開講分についても準備が整い次第お知らせさせて頂きます。
 引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
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2019.1.16 知らぬが仏・・・は困るんです

2019-01-16 21:19:57 | 日記

 今日は母の直腸がん術後3年3か月の経過観察の日。短期介護休暇を頂いて実家傍の病院に向かった。
 これまで3か月に1度の採血、6か月に1度造影CT、年に1度の大腸内視鏡というペースで検査が行われており、今回は一番軽微な採血のみ。
 診察予約時間に先生にお目にかかるには(結果が出るまでに時間がかかるから)予約の1時間前に採血を済ませないといけないと何度か説明し、診察予約時間に外科の外待合いで(採血を終えた状態で)待ち合わせをしていた。
 バスが順調に到着し、そのまま2階の外科に直行したところ、母の姿がない。受付で訊いたところ、まだ採血にいるのでは、とのこと。再び1階に戻ると、確かにチョコンと座っている母の姿があった。

 まだ採血の順番も来ていないという。「え?1時間前に済ませておくのではなかったの?」と訊くと、「出がけになんだかもたもたしちゃって・・・」と要領を得ない返事。
 そして次の言葉でノックアウトされる。
 「帯状疱疹になっちゃったの」
 「は?!何、いつ?」 だって2週間前に年末年始の旅行から帰ってきたばかりである。その時は何ともなかったし、その後もほぼ毎日欠かさずご機嫌伺いの電話をしているのである。一言もそんなことは聞いていない。
 ただ、思えば母に百貨店の福袋が到着したかどうかと電話をした時に、なんとなく元気がないな、と感じたのは確かだ。あまり中身が気に入らなかったのかな、と思ったのだけれど、まさかそのタイミングで帯状疱疹になっていたとは。

 2日のお昼前に自宅に戻り、洗濯と最低限の片づけものをして早く休み、久しぶりに自分のベッドで熟睡したという。翌3日は終日デイサービスに出かけたが、なんとなく朝起きた時からお尻のあたりがチクチクしたのだそうな。そして4日になると火傷をしたように熱い感じで、お尻のあたりにおできのような感触があったらしい。ちょうどヘルパーさんが来てくださった日で、嫌でなければ・・・と見てもらったら、左の腰からお尻にかけて手の平ほどの範囲が真っ赤に腫れていたという。自分では見ることが出来ないし、寒くてカイロをあてていたので低温火傷だと思ったという。

 ヘルパーさんから薦められた皮膚科に行くと、あいにくお正月休み。もう1軒のクリニックに出向くと50数人待ちといわれ、とても待てない、と諦めて帰ってきたそうな。
 そして土日は痛みを我慢して、月曜日に再度皮膚科を受診したところ、火傷ではなく、帯状疱疹と即診断がくだったそうだ。抗ウィルス薬と塗り薬、カロナールの痛み止めを処方されて、それ以降1週間内服し、ようやく半分ほどかさぶたになって痛痒い程度に収まってきた模様。昨日再び受診してまた薬を頂いてきたという。

 ・・・なんということか。私には通院も仕事もあるので心配をかけたくなかったし、我慢出来ると思ったから黙っていた、というのだ。全くもって頼りにならない娘ではないか。
 もちろん、傍にいて痛みを代わってやることは出来ないし、言われてすぐに飛んでいけたかすら怪しいところだけれど、全く知らぬが仏・・・で、お気楽に結婚記念旅行等に出向いていたとは。

 その間、デイサービスの担当者やケアマネさんたちにもずいぶんご心配をかけたわけで・・・。お願いだから黙っていないで知らせるだけは知らせてほしい、と再三言っているのだけれど、いつも結果はこれである。自分の判断で我慢してそれで済むならいいけれど、もっと大ごとになったらどうするのだ、と言いたくない小言を繰り返し言うことになった。

 そして、前から気になってい手足の親指の爪の巻き爪が悪化して痛くて・・・と言う。昨年の夏から早く診てもらうように言っていたのに、旅行もあるから、と放置して結局年を越していた。爪乾癬だそうだ。完治には2年くらいかかるといわれたようだ。とはいえ、今は帯状疱疹が先決ということで、こちらが完治してから爪の本格的な治療に入ることになり、塗り薬だけ頂いてきたという。この状態では塗り薬だけでは不十分で、飲み薬も必要で、肝臓への副作用があるので、ひとまず昨日それに備えて採血をしてきたらしい。

 直腸がんの時も、黄斑前膜の時もそうだった。大丈夫だから、様子を見てから、と放置し、結局大ごとになったり、手術してもあまり改善されなかったり、という痛い経験を重ねているのにどうして学習しないかなあと思う。このまま独り暮らしをさせておいてよいのか、本当に迷うところだ。

 そんなわけでひとしきり色々話を聞いてがっくり。採血も混んでいたし、年の初めでどの診療科も大混雑である。結局、先生にお目にかかれたのは予約時間の1時間半後。
 採血の結果、幸い直腸がんの再発・転移の兆しはなく、炎症反応もなく、何も問題なし、と言われたのがせめてものことだったけれど、帯状疱疹や爪の話は一応ご報告させた。実際患部を見せてもらったら、大分かさぶたにはなっていたけれど、赤く腫れて痛そうだった。

 次回の予約は3か月後にCTと採血だけれど、S先生は3月末で異動が決まっているとのこと。2年のローテーションだそうだ。やっと慣れたし、優しい女医さんで母のペースにもあわせてくださって良かったのだけれど。3月の年度末に休みを取るのはなかなか難しいので、新しい先生に引き継ぎをして頂き、4月に予約を入れて頂いた。

 CTの同意書やら問診票等を代理で書いて、会計で待ち、薬局に行ったが、こちらも時間がかかりそうだったので、後で出直しますということに。ケアマネさんのところにも挨拶に伺ったが、外出中でまたお目にかかれず。
 ランチの時間になっていたが、母の用事で銀行に行く必要があり、こちらも時間がかかりそうだったので、まず実家に戻って必要な書類等を持ち、洗濯ものを取り込んで出かける。

 色々事前に書類をもらっていたが、間違って書いて書き直しするのも二度手間なので、とにかく窓口に出向いて確認しながら私が代理で書くことにした。ところが、窓口で「(身分証明書として)保険証はお持ちですか」と訊かれると、「置いてきた・・・」と言う。アチャー、である。病院帰りだし、バッグからなぜそれを出して置いて来るかと思うが、後の祭り。今日を逃すと平日に一緒に来られるのは難しい。実家までタクシーで往復するように話したけれど、いや、歩いていくという。頑固である。待っている間、私が書類を整え、ハラハラしながら母の到着を待った。

 無事に保険証が届き、手続き開始。まだ1時間ほどかかるというので、ランチに行かせてもらうことに。何か美味しいものをゆっくり食べられれば良かったけれど、と母は言うけれど、そうそうのんびりしているわけにもいかず、パッパと食べて、再び銀行に戻る。
 ほどなくしてひとまず手続きが無事終了したが、遅くなってしまったので振り込みは明日になります、とのこと。致し方ない。
 いつもよく対応してくれた窓口の女性が来週で異動とのこと。ご挨拶が出来ないかもしれないと思っていましたが、お会いできて良かったです、と言って頂き、銀行を後にした。

 というわけで、今日のミッションは完了。再び寒さ厳しい実家に戻る元気もないので、そこで母と別れて帰宅の途に就いた。
 買い物を済ませて、いつも仕事から帰るのと変わらない時間に帰宅し、生協のお届け品を冷蔵庫に納め、今年初めてのお花を活ける。赤、白、黄色、ピンクのガーベラが2本ずつ、カスミソウが1本、菜の花が2本、そしてアカメヤナギ。
 ガラスの器に投げ込んだらすっかり春が来た。花言葉はそれぞれ「神秘」、「清い心」、「快活」だという。

 そして私も認知症か、というミスを。今日は夫が遅いので夕飯の支度はいらないと洗濯機を回していたら、夫が帰ってきた。「え?今日は遅いんじゃなかったの?」と手帳を見ると、昨日と見間違えていた。申し訳ない。
 ご飯も炊いていないし、何の準備もしていない。どうしよう・・・と言うと「自分でお蕎麦を茹でるからいいよ。」と言われてしまった。
 嗚呼、全くもってついていない1日であった。


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