瞑想ヨーガ指導者養成コース10日目。今日は夫と別行動。私は午前中クラスに出席してから、夫は直接京都に向かう。
今日のプログラムは午前中が“ヨーガスートラを学ぶ”の2回目、午後は今日が新月ということで“マントラ付「月の礼拝」トレーニング”というスケジュールだ。
あいにく雨降りの朝。いよいよ入梅だろうか。晴雨兼用の日傘をさして早めに出かけ、3番乗り。
いつものように出席を取る。「6月生まれの人はいますか。」とSさんがおっしゃると私を含めて3人が手を上げた。5月生まれの2人も加わって、Sさんの後に感謝の言葉を唱えていく。私は「今日もこうしてここに来ることができたことに感謝いたします。」と一言。
まずは昨日までの内容に関する質問タイムから。あちこちからどんどん手が挙がり、それぞれにSさんが答えていくうちにあっという間に1時間が経過。自宅で練習するときの様々は悩みや、これから人に教えていく上での注意事項など色々である。ヨーガで感情が開放されるのを経験できた人は幸せだということ、身体のある部分を動かしたり、あるポーズを取るとわけもなく涙が流れてくる不思議な体験などのお話もある。
中でも怒りの感情は肝臓に、悲しみの感情は肺に、恐れの感情は腎臓にそれぞれ溜まるというSさんのお話に納得。
というのも、私は現在両肺に多発転移の身であるが、初発以来知らず知らずのうちに悲しみの感情をここに溜めていたのだろうと感じることがあった。そして、ここのところ調子が良いのは、幸せな気分を上手にキープすることで自分なりにうまく心を静めることが出来ており、肺や胸に負荷がかかっていないのではないか、となんとなく感じていたからだ。
休み時間に、その話をSさんに報告したところ、「もし嫌でなければ是非皆にシェアしてほしい。」と言って頂く。私自身は全く構わないけれど、皆さんがこんな話を聞くのは重いのではないか、と思ったけれどSさんにお任せする。
休憩後は、昨日に引き続き大地への感謝の礼拝からスタートして、逆転のポーズまでゆっくりと気持ちよく小一時間身体を動かした。魚のポーズからシャバーサナの後、再び瞑想をして心穏やかに安心してスッキリと目が覚めた気分。
次いでヨーガ哲学の時間がスタートした。「そもそも哲学は楽しい気分で勉強するもので、暗い気分でやるものではないのです。」とSさんはおっしゃる。私たちはヨーガ哲学の知恵を日常生活を行う上で何に活かすのか。目標は一人ひとりが喜びに満ちて生きること、そのためにヨーガの知恵を学び、実践するわけだ。
ここでSさんから振られて私の体験を話す時間になった。実際に8年半再発治療中であるが、悲しみを溜めずにいられるようになったことで体調が良くなっているという話をお披露目する。もちろん医学的には決して心配ない状態ではないけれど、不思議なくらいこのまま大丈夫という落ち着いた穏やかな気分で毎日が過ごせるようになった、と。
「なぜ、そうなったのかと思いますか。」とSさんに問われる。そう、答えはとてもシンプルで、ただ気づいたからである。幸せに生きることで身体が悲しみを溜めなくなったことに気づいた、そして体調が変わったというのだ。これをヨーガ哲学では“気づきと変容”と呼ぶそうだ。一度この両方を経験するともう戻ることはないという。こうした物事の捉え方、即ち現象の良し悪しを判断するのではなく、何に気づくかということが大切なのである。
そして、残念ながらここでタイムオーバー、時間切れ。皆さんから「いってらっしゃい!」と送り出されて、後ろ髪を引かれつつもとても満ち足りた気分でスタジオを後にした。
今日のプログラムは午前中が“ヨーガスートラを学ぶ”の2回目、午後は今日が新月ということで“マントラ付「月の礼拝」トレーニング”というスケジュールだ。
あいにく雨降りの朝。いよいよ入梅だろうか。晴雨兼用の日傘をさして早めに出かけ、3番乗り。
いつものように出席を取る。「6月生まれの人はいますか。」とSさんがおっしゃると私を含めて3人が手を上げた。5月生まれの2人も加わって、Sさんの後に感謝の言葉を唱えていく。私は「今日もこうしてここに来ることができたことに感謝いたします。」と一言。
まずは昨日までの内容に関する質問タイムから。あちこちからどんどん手が挙がり、それぞれにSさんが答えていくうちにあっという間に1時間が経過。自宅で練習するときの様々は悩みや、これから人に教えていく上での注意事項など色々である。ヨーガで感情が開放されるのを経験できた人は幸せだということ、身体のある部分を動かしたり、あるポーズを取るとわけもなく涙が流れてくる不思議な体験などのお話もある。
中でも怒りの感情は肝臓に、悲しみの感情は肺に、恐れの感情は腎臓にそれぞれ溜まるというSさんのお話に納得。
というのも、私は現在両肺に多発転移の身であるが、初発以来知らず知らずのうちに悲しみの感情をここに溜めていたのだろうと感じることがあった。そして、ここのところ調子が良いのは、幸せな気分を上手にキープすることで自分なりにうまく心を静めることが出来ており、肺や胸に負荷がかかっていないのではないか、となんとなく感じていたからだ。
休み時間に、その話をSさんに報告したところ、「もし嫌でなければ是非皆にシェアしてほしい。」と言って頂く。私自身は全く構わないけれど、皆さんがこんな話を聞くのは重いのではないか、と思ったけれどSさんにお任せする。
休憩後は、昨日に引き続き大地への感謝の礼拝からスタートして、逆転のポーズまでゆっくりと気持ちよく小一時間身体を動かした。魚のポーズからシャバーサナの後、再び瞑想をして心穏やかに安心してスッキリと目が覚めた気分。
次いでヨーガ哲学の時間がスタートした。「そもそも哲学は楽しい気分で勉強するもので、暗い気分でやるものではないのです。」とSさんはおっしゃる。私たちはヨーガ哲学の知恵を日常生活を行う上で何に活かすのか。目標は一人ひとりが喜びに満ちて生きること、そのためにヨーガの知恵を学び、実践するわけだ。
ここでSさんから振られて私の体験を話す時間になった。実際に8年半再発治療中であるが、悲しみを溜めずにいられるようになったことで体調が良くなっているという話をお披露目する。もちろん医学的には決して心配ない状態ではないけれど、不思議なくらいこのまま大丈夫という落ち着いた穏やかな気分で毎日が過ごせるようになった、と。
「なぜ、そうなったのかと思いますか。」とSさんに問われる。そう、答えはとてもシンプルで、ただ気づいたからである。幸せに生きることで身体が悲しみを溜めなくなったことに気づいた、そして体調が変わったというのだ。これをヨーガ哲学では“気づきと変容”と呼ぶそうだ。一度この両方を経験するともう戻ることはないという。こうした物事の捉え方、即ち現象の良し悪しを判断するのではなく、何に気づくかということが大切なのである。
そして、残念ながらここでタイムオーバー、時間切れ。皆さんから「いってらっしゃい!」と送り出されて、後ろ髪を引かれつつもとても満ち足りた気分でスタジオを後にした。