ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.6.22 親子3代、嵯峨・嵐山 と石庭 龍安寺へ

2014-06-22 21:49:54 | 
 昨夜のコンサートで興奮したせいか、息子はベッドに入ってからも合唱の話を延々と話しかけてきた。一番眠いタイミングを逸してしまい、2時半くらいまで寝付かれずじまい。3時間少々眠ったと思ったら目が覚めてしまい、結局、そのままベッドでじっとして目覚ましが鳴るのを待った。

 外は雨模様だ。なんとか止んでほしいと祈りつつ、ホテルでビュッフェの朝食を頂く。
 ホテルのシャトルバスで地下鉄の駅まで送って頂き、京都駅まで移動。観光バスの出発時間よりかなり早く到着していまい、お土産屋さんを冷やかしながら時間潰し。

 今日は人気が高いという嵯峨・嵐山を巡る観光バスコースを予約してあった。
 昨年9月、嵐山の渡月橋が台風による洪水で大きなダメージを受けたことは記憶に新しいが、地元ボランティア等の協力も得て、すっかり復興していると聞いた。
 京都に住んでいてもなかなかここまでは足を延ばせないから(いや、部活だ、新歓だと毎週のように京阪奈界隈まであちこちお出かけが過ぎるのでは、という突っ込みは別として)、というのが息子のリクエストの理由だ。
 父に比べて元気だとはいえ、まもなく81歳の誕生日を迎える高齢の母連れだから、路線バスでの移動はとても無理だし、タクシーを乗継ぎするよりも、これが一番世話なしか、ということもあった。

 まずは旧嵯峨御所大覚寺へ。弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山だ。空海の薦めにより嵯峨天皇が浄書された般若心経が、勅封(60年に一度の開封)として奉安され、般若心経写経の根本道場として知られる。時代劇や各種ドラマのロケ地としても有名だという。ここでは息子と一字一願般若心経を。息子は「羅」の字に“大願成就”と、私は「深」の字に“一病息災”と書いてきた。回廊から見る庭園は緑の濃淡で美しく、美味しい酸素が溢れている感じだ。

 続いては嵐山の散策へ。昼食を含めて2時間半近い自由時間がある。まずは息子のお薦めで嵐電嵐山駅へ向かう。足湯あり、洒落たカフェあり、京都らしいグッズのお店があり、とても駅ナカとは思えない施設の充実ぶりだ。ラッピングの車両も可愛らしい。
 続いて天龍寺へ向かう。嵐山を借景にした壮大な庭は後醍醐天皇の菩提を弔うため、足利尊氏が創建した臨済宗天龍寺派の大本山だ。境内で唯一、700年前の当時のままの姿を残すという池泉回遊鑑賞式の方丈庭園は曹源池を中心として、方丈の前面に白砂を敷いた庭園だ。池には大輪の蓮の花、大きな葉には先ほどあがったばかりの雨が水溜りになってその重さに滴が踊っているかのように美しい。
 そして、沢山のお花の美しいこと。今を盛りに様々な種類の紫陽花が満開だ。やはり紫陽花は雨に濡れた後が一番綺麗に感じる。
 庭園を出て、竹林の道へ。すっくと天に伸びた竹の林を両脇に坂道を上がる。ひんやりと温度が2,3度下がったのを感じる。“静寂”という言葉がぴったりの時間だ。竹取物語の一場面をふと思い出す。
 そして、源氏物語の舞台にもなり、日本一の黒木鳥居で有名な縁結びの神様、野宮神社で参拝。息子に「いい人と巡り合えますように」と絵馬を書こうかと言うと、「そんなことをしたら、今後一切口を利かない!」と怒られた。そこで彼がひいたおみくじは中吉だったけれど・・・。すぐ脇には嵯峨野観光鉄道が走っている。2年半ほど前のクリスマス休暇に、3人でトロッコ電車に乗ったことを懐かしく思い出す。

 その後、お昼はここでしか頂けないとガイドさんに教えて頂いた漬物屋さんの漬物寿司でさっぱりと。歩き疲れた体に、お寿司の酸味と漬物の程よい塩加減が沁み渡り、生き返る感じ。
 さらにお行儀は悪いけれど、歩きながら有名なコロッケも立ち食い。竹の子のコロッケのアツアツな甘さに舌鼓。最後に全長155m、古都を代表する景勝地である渡月橋を往復し、嵐山をバックに記念撮影を済ませてバスに戻った。

 次は、真言宗御室派の総本山であり平成6年に世界遺産に登録された仁和寺へ。風格が感じられる立派な仁王門だ。ガイドさんによると、いつもは殆んど出てきてくれないお寺の方が30分間しっかり案内をしてくださり、とてもラッキーだったとのこと。確かに、ただ自分たちで拝観するのと全然印象が違う面白いエピソードが満載だった。重文の五重塔をバックに庭園で撮影した写真はベストショットだ。今年はいつになく御室桜が素晴らしかったとのことだが、来年は見に来ることが出来るだろうか。

 最後は石庭で有名な龍安寺へ。この頃になると昨日の寝不足が祟って足取りが重くなってくる。東西25m、南北10mの空間に白砂を敷き詰め、15個の石を配したもの。見る人の自由な解釈に委ねられているという石庭を前にしながら、縁側でしばしの休憩。

 予定のスケジュールが全て終了し、6時間半ほどで駅迄無事戻ってきた。朝のうちは雨が降っていたけれど、2か所目以降からは雨もやみ、暑くなく寒くなく、風も程よくあり、観光をするにはとても有難い一日だった。
 ホテルまでタクシーで戻り、とりあえずお抹茶と和菓子で一服。

 息子は明日、通常授業なので、今日は学生会館に戻る。夕食は、先日家族で訪れた時にとても満足した中華料理の隠れ家レストランを予約し、美味しいお任せコースにまたしても大満足。息子はコンビニに寄る、ということで私たちは重い足を引きずってホテルまで歩く元気もなく、タクシーに乗った。

 明日は、1限と4限のみ授業だけれど、その間もいろいろ忙しいかも、という息子を訪ね、大学を見学しながら学食でランチ(私としては普段と殆ど変わらない月曜日だが)を摂った後、近郊を散策し、夕方には帰京の予定である。
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2014.6.21 32万5,000分の1として

2014-06-21 22:26:07 | 日記
 昨夜、NHKの番組・特報首都圏「働くがん患者32万人~仕事と治療のはざまで~」を見た。
 “32万5,000人”、ことし国の推計で初めてあきらかになった、がん治療を受けながら働く人たちの数です。
 医療の進歩により“死に直結する”病気ではなくなってきているがん。
 しかし、就労との両立は難しいのが現状です。
 仕事を持つ患者の3人に1人が、診断後、自主退職するか、解雇されているという調査結果(厚生労働省)もあります。
 いま国は、医師や患者、企業の人事担当者などによる検討会を作り、『働くがん患者の支援のあり方』について議論を始めています。番組では、働くがん患者を支える2つの企業を取材し、働くがん患者特有の悩みとは何か、企業はどうすれば働くがん患者を支えられるかを考えます。”という触れ込みだ。

 銀行で係長として働く40代の男性は、9年前に脳腫瘍を患い、2年間の休職の後、降格を申し出て以前とは異なる(負担の小さな)職場に復職。かつての職に戻りたいと昇任試験勉強に励むが、再び腫瘍の増大の兆候に見舞われ、治療と仕事の合間で悩む。本当の復帰は前職に戻ることと言いながら、上司や産業保健師との面談で、治療に専念せざるを得ない現実を突き付けられ、滲み出る悔しさが、切ない。

 2番目の取材対象であるカード会社の部長のケースは、昨朝のニュースでも紹介されていた。昨年、咽頭がんと大腸がんを患い、5か月間にわたる手術・抗がん剤治療で20kg痩せたという。生活のリズムを取り戻す為、産業医との面談等2か月間の復帰プログラムを経て、乳がん経験者である女性人事部長との話し合いも取り入れながら、“残業なし、出張も極力なしのフルタイム勤務”という職場環境で、1,000人を束ねる部長の重責を担っている。部下から特別視されずにごく普通に接してもらえることが有難い、と笑顔で応じるとともに、早く家に帰れるようになったことで、改めて家族との時間の大切さに気付いたという。

 毎月の検診やがん治療を受けながら働く人の数は“32万5,000人”。働くがん患者の悩みとは?-特別扱いしてほしくない、けれど配慮してもらわなければならないこともある、本当はもっと働けるし、働きたい、やりがいのある仕事で昇進だって諦めたくない、けれど治療を疎かにすることは出来ない、というバランスの難しさ。
 企業はどうすれば働くがん患者を支えられるのか?-もちろん企業はボランティアではないのだから、患者が企業におんぶに抱っこしていいわけはない。けれど、時に厳しい治療を続けながら働く患者を、企業がどこまで踏み込んで支えられるか、というこれまたバランス感覚の難しさ。

 働くがん患者は32万5,000人もいるのだ、と思うか、32万5,000人しかいないのか、と思うか。どちらだろう。ちなみに平成20年の患者調査によれば、継続的に治療を受けているのは152万人(うち調査日当日入院中は14万人超、外来受診したものは16万人弱である。)というから、単純計算すれば5人に一人は働いているということか(実際は、患者にリタイア層が含まれているわけだから、働き盛りのがん患者就業率はもっと高いだろう。)。そのうちどれだけの人がきちんと職場に病気のことを話し、支えてもらいながら治療を続け、仕事が続けられているのだろう。

 この番組が取り上げた推計32万5,000人という母数は、全てが再発・進行患者なのだろうか。再発・進行乳がん治療中の私に言わせれば、がん患者というのは、とりあえず初発治療がひととおり終わり、転移がなく経過観察中の人は含まれないように思う。もちろん一般的には、再発なく5年を無事に過ごすことが出来ればがん患者卒業になるのだけれど。経過観察中の方も本来のがん患者ではなく、がんサバイバー、がん体験者だと思うのだが、どうだろうか。

 そして、がんとの付き合いが月に1度程度の経過観察だけで済むのならば、あえて職場にカミングアウトする必要もないのかもしれないし、それで自主退職する必要も全くないだろう、というのは私が恵まれた環境にいるから想うことだろうか。

 32万5,000分の1として、働くがん患者の私がいる。

 こうして、かつては話題に上りもしなかったであろう“がん患者の就労”について、メディアで取り上げてもらえるようになったことは、大きな進歩だし、有難いことだと思う。

 決して他人事ではない。近い将来自分がその立場になるかもしれない、と働き盛りの人たちが捉えることが出来て、企業がその受入・活用について具体的に考えることが出来れば、がんを患っても、がんと共存しながら社会との繋がりを絶やすことなく働きたいと望んだ時に、少しでも働きやすい社会になっているのではないだろうか。いや、そうあってほしい、と願わざるを得ない。

 さて、今日から実家の母を連れ、1カ月半ぶりに息子の住む街にやって来ている。母とはJRの乗り換え駅で合流し、新幹線に乗って昼過ぎに到着した。思えば、結婚以来四半世紀近く、母と2人で旅行に出るというのは初めてのことだ。2泊3日、留守番してくれている夫は全く心配していないけれど、実家の父が果たして大丈夫か、という一抹の不安はある。が、その父が是非行って来い(そして上手くいけば、次回は自分も同行したい、という望みがあるようだ。)と母の背中を押した今回の旅である。

 今回は、息子の住む学生会館まで歩ける距離の、ちょっと贅沢なホテルを取った。ラウンジでケーキとお茶を愉しみ、チェックインして態勢を立て直した後、母と2人、学生会館に出向き、もろもろの部屋の片づけ(掃除、洗濯、アイロンかけ等主婦2人でフル回転)を終えた後、急遽、息子のご招待で東西四大学男声合唱団のコンサートに行くことになった。4年に一度持ち回りで開催しており、今年は京都だとのこと、親子3代でこんなコンサートを聴くことが出来るとは。しかも、この地で自分の母校の校歌を聴くことが出来るとは。これは息子曰く、私の誕生日プレゼントのサプライズだそうだ。3時間、一列目の大迫力席で大好きな男声合唱を堪能し、大満足。
 興奮冷めやらぬ中、終了後は会館に戻り、レストランで日々息子が頂いているのと同じ夕食をともに摂らせて頂いた。息子も今晩だけは外泊届を出して私たちとホテル泊だ。

 明日は迷った末、3人で定期観光バスのお世話になることにした。
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2014.6.20 品位というより、人として・・・

2014-06-20 20:00:15 | 日記
 一昨日の女性都議に対するヤジ事件のこと。各種テレビ・新聞報道に接しながら、ため息が出た。
 「議会の品位をおとしめるヤジは無いよう注意して欲しい」と各会派の全女性都議25人が昨日、議長に申し入れたという。ヤジを浴びせられた女性都議が所属する党では、発言者の処分を求める申入書を議長宛に出す方針を決定し、発言者が不明のままの場合には、録画映像の音声から声紋分析する準備も進めているそうだ。
 
 それにしてもなんとも情けないことだ。
 どうも“先生方”はヤジについて勘違いしておられるとしか思えない。そもそも晩産化、出産や不妊に悩む女性の問題というかなりナーバスな範疇の質問であるけれど、今般、酔った勢いで居酒屋で発した失言としても、十分セクハラで訴えられかねない「お前が早く結婚すればいいじゃないか」「産めないのか」というヤジだ。
 これをよりによって議場という公の席で、卑しくも都民の付託を得ている議員という立場で言葉に出してしまう人達の神経が、私には理解出来ない。あの議場に笑い声が広がったという状況も、目に浮かぶ。

 ヤジは「最大会派の席から聞こえた」といい、当該幹事長は「(自分の党の)議員が述べた確証はない。会派で不規則発言は慎むように話す」と述べるにとどまり、発言者を特定しない意向を明らかにしたという。が、本当にそれで済まされて良いのだろうか。
 女性都議が声を詰まらせながら質問を続けると、「おい、動揺しちゃったじゃねえか」と別のヤジも飛んだという。そういう方たちを“先生”と呼び奉らなければならないことに憤りを感じるとともに、この有様に、情けなくも、言葉が出ない。

 都議会での議員の発言については、都議会会議規則108条で「何人も会議中は、みだりに発言し、騒ぎその他議事の妨害となる言動をしてはならない」と定められているが、セクハラ発言については「罰則はない」(都議会事務局)のに対し、傍聴人は、ヤジを飛ばすことはもとより、静粛を旨とし、言論に対して拍手その他の方法により可否を表明しない、騒ぎ立てる等議事を妨害しない、などとあり、違反すれば議長の命令で退場を命じられる(都議会傍聴規則第12条、第15条)というのだから、どうしたものか。

 不規則発言をした当のご本人たちは、特定されないということでセーフ!とでも思っているのだろうか。たとえ今回免れたとしても、こうしたことは普段思っているからこそ、言葉に出てくるもの。早晩きっと足元をすくわれることになるだろうけれど。
 とにもかくにも、恥を知らない発言と、問題視されれば陰にかくれて頬かむりする、その卑劣極まりない行為に、都議としての品位というより何より、人として猛省を求めたい、と思う。

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2014.6.18 採血レントゲン後、診察とポートフラッシュ、マーカー若干上昇するもタイケルブ続行!

2014-06-18 18:05:32 | 治療日記
 今日は5週間ぶりの通院日。
 昨夜はちゃっかり前泊をして、朝はいつもより遅めに起床。夫からモーニングコールも不要と言われたので、のんびり足湯を愉しみ、カフェで優雅に朝食を摂り、チェックアウトを済ませ、病院へ向かう。
 前泊の威力で、チェックアウト後、到着までの所要時間、僅か10分。通常の到着時間より小一時間早い。

 自動再来受付機前は若干列を作っていた。まずは採血受付へ直行。なんと採血の受付も自動の機械が導入されていた。「今月からですか」と訊くと先月末からだそうだ。そうか、5週間も空くとこうした各種の進化にもなかなか立ち会えないものだなあ、と思う。
 待合椅子はそれほど混雑していないかに見えたが、電光掲示板には待ち時間20分と出ていた。まだ全ての採血カウンターが開いていない模様だ。今日は女性の看護師さん。テープかぶれのことはこちらから言わずとも紙テープを準備されていた。針を刺す時も抜く時もそこそこの痛みだったので、幸先の良いスタートだ。今日も腫瘍マーカー等全て測定の日なので3本の採取。
 止血部分を押さえながら、エスカレーターで2階に上がってレントゲン受付へといういつもの流れ。先月はかなり待ち時間があったことを思い出したが、今日はすんなり。受付後、レントゲン室前の廊下に座ると殆ど待つことなく呼ばれる。無事終了後、再び1階に降りて腫瘍内科受付へ移動。
 腫瘍内科受付では殆ど待たずに、スムーズに保険証チェック等を済ませる。まだ早いので待合椅子はそれほど混んでいない。ここまで順調で、到着から40分少々。

 採血結果が出るまで最短でも1時間はかかるので、態勢を立て直して読書をしながら待つ。今日のお伴は佐藤優さんの「外務省に告ぐ」(新潮文庫)。相変わらず超ド級の(解説:原田マハさんの弁)知力と筆力に圧倒されながら読み進む。自動血圧測定機で計測した結果は111-61、脈は76。いつもどおりだ。
  “中待合へどうぞ”のランプが点くまでに予想通り1時間弱。中待合に入ってからもひたすら読書を続ける。これまで顔なじみだった看護師さんたちの姿はない。15分ほどして先生が診察室からお顔を出された。

 5週間ぶりだと、細かいことをいちいち報告する感じではない。「お元気でしたか?」と問われ、「概ね順調です。」と答えた後、天候が不順だと胸部の鈍痛・圧痛が出て、ロキソニンを何度か飲んだこと、今月初めに口内炎が出たこと、副作用の下痢も悪化せずに快便が続いていること、足指の爪囲炎は大分良くなり、とりあえず皮膚科受診は終了して、現在、夜一回入浴後にバラマイシン軟膏を塗っていることをご報告し、診て頂く。
 「顔の湿疹はどうですか?」と問われ、「もう、ほとんど気にならないくらいです。」と応ずる。診察室での検温は6度6分。
 PCには先月と今月の2枚の肺のレントゲン画像が既に並んでいる。採血の結果、白血球が4,100。抗がん剤を休むと白血球も戻りますね、と言われる。腫瘍マーカーCA15-3は先月に比べてコンマ台の上昇なので、不変とみなしてよいとのこと。依然として正常範囲内に収まっている。それ以外の数値も全く問題なし、とのこと。
 また、レントゲン画像は右の腫瘍茎の影も左の丸い影も不変ということで、安定期に入りましたね、というご判断。この量で不変がキープ出来ている(効いている)というのだから本当に何よりである。ということで、また来月まで同じ4割減量で続行出来ることになった。
 既にカドサイラ(T-DM1)を開始された患者さんが3名おられるとのこと。副作用は楽そうで、3週間経っても脱毛もないらしい。おひとりの方は直前までタイケルブを飲んでおられたそうだが、1週間で明らかに良くなったことを実感しているという。「今の薬が効かなくなっても期待できそうですね!」と言うと、「もちろん今の薬が効いてくれる方がよいですが、カドサイラは事前にハーセプチンやタイケルブを経験している人の方が効きが良いそうです。」とのこと。またもいいお知らせである!

 次回も5週間後に診察前採血、レントゲンと診察後のポートフラッシュの予約が入った。
 今回もタイケルブ1日2錠、下痢対策に毎食前の小建中湯・毎食後のラックビー各々5週間分、痛み止めのロキソニンを処方して頂いた。
 「今日もこの後、ポートフラッシュしてもらうので、廊下でお待ちください。」と言われ、ご挨拶して診察室を出る。 

 中廊下でポートフラッシュに呼んで頂くまで待つ。
 15分程待つと、化学療法室にいらした初めましてのAさんから化学療法室のベッドに案内される。化学療法室にご無沙汰出来ることは何よりだけれど、あっという間にどんどん新しい方ばかりになってしまいそうで、ちょっと気がかりではある。
 ベッドに横になって、ポートチェックのため生理食塩水を流す。Aさんは内科全般の遊軍としてヘルプに入っているとのこと。針刺しも抜くのもちょっと顔をしかめる程度。止血を少ししてから、小さい絆創膏を貼って頂いて無事終了。

 会計が出来るまで30分ほど待つ。その間、夫や友人に報告メール。そして自動支払機で支払を済ませる。今回も5,000円弱。
 外は早くも雨が降り出していた。日傘を雨傘代わりにして、院外薬局へ移動する。いつもより早い時間に入った割には結構混んでいる。読みかけの本を読みながら待つ。毎度のことだが、どんどん後の番号の方たちが呼ばれていく。結局、小一時間待ち、エコバックを取り出して袋一杯の薬を受け取る。今日の支払も前回同様4万円弱。
 今日は前泊のおかげで小一時間早く病院に入ることが出来、概ね順調。病院と薬局を含めた滞在時間は3時間半ほどで済んだ。そのままJRに乗り、乗り換え駅で遅い昼食をゆっくり摂って読みかけだった本を読む。
 月曜日は夫が宴会だったし、昨日は前泊で夕飯を作らなかったし、今夜こそはちゃんと・・・と思っていたのだが、夫は今日も宴会だとのこと。ならば、とお気楽にブラブラ買い物をしながら帰宅した。

 帰宅すると、今月2回目のお花が届いていた。私の好きな淡いピンクと白のトルコキキョウが合わせて3本、淡いオレンジと紫のカーネーションが1本ずつとドラセナの葉。花言葉はそれぞれ「優美」、「女の愛」とのこと。
 一日遅れの誕生日の花束のように花器に投げ入れてみた。

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2014.6.17 6月17日に想うこと

2014-06-17 20:04:34 | 日記
 今年もなんとかこの日を迎えることが出来た。そう、1961年生まれの私の53回目の誕生日である。
 朝、従姉から「お誕生日おめでとう」とLINEの緑ランプが点滅した。1年、365日、時間にすれば8,760時間。本当になんと早いことか。

 昨年のこのブログを見ると、臨海部にある研修所まで遠征して、50代のライフプラン講習会に出かけている。そこで講師から言われた“今、今、今”を繋いでいくことの大切さを心に刻んでいる。
 はて、昨年から今年まで1年間、その“今、今、今”を悔いのないように繋いでこられたのだろうか。
 振り返れば、また少しでも前に進めたのだろうか。
 期せずして息子が家を巣立ち、18年ぶり、2回目の2人暮らしになって2カ月半が過ぎた。自分の為に使える時間は以前と比べものにならないくらい長くなった。その時間をもったいなくも有難くも大切に使えているだろうか。

 昨年、誕生日の記事に頂いたコメントには、アッピアさんやたぁさんからのものがある。
 アッピアさんは3月生まれでいらした。「無理かもと思っていた50代を迎えられそうです」というコメントを遺しておられる。が、その後、半年も経たず、永遠に40代、49歳のまま、11月に旅立たれた。
 そして、たぁさん。先週6月10日に47回目のお誕生日を迎える筈だったが、4月に旅立たれた。「来年も絶対ロッキングチェアさんと“おめでとう”を言い合う!ここに誓います!」と書いておられたのに・・・。
 2 人とも自分より年下で、まだ小学生の坊っちゃんやお嬢ちゃんを遺して逝かれた、というのが何とも切ない。
 アッピアさんやたぁさん以外にも、コメントを頂いた何人かの方とは実際にお目にかかったことがある。ブログを綴られている方たちの近況は窺い知ることが出来るけれど、そうでない治療中の方たちは、今、どうされているのだろう。お元気で過ごしていられるならよいのだけれど。気がかりでならない。

 さらに3年前の今日は、5年前に入会した患者会(あけぼの会)の事務局として、このブログを立ち上げる時にも一方ならぬお世話になったTさんが、56歳のお誕生日目前で旅立たれた日でもある。

 ここ数年、決して少なくない方たちを見送ってきた自分は、こうして、まだ生かして頂いている。
 もっと生きたくても生き続けることが叶わなかった彼女らに恥ずかしくない生き方が出来ているのだろうか。
 そう思うと、胸が一杯になり、下を向く誕生日の夜である。

 今日の日を覚えていてくださり、「お誕生日おめでとう」メールやLINEを送ってくださった皆様、どうもありがとうございました。
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