ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.6.6 ここ数日、考えていること

2014-06-06 22:31:03 | 日記
 6月6日は雨ザーザー降って来て♪・・・の絵描き歌の通り、朝から土砂降りの雨。
 梅雨入りしたのだからやむなしなのだけれど、レインコートと長靴、“風に強い”という触れ込みの大きな傘をさし、重装備で出勤する。

 先月、有国智光ご住職の「いのちの真実」という講演会を拝聴し、その時の写真をお送りするとともに御礼のメールを差し上げた。
 頂戴したお返事の言葉に、ここ数日いろいろ考えさせられている。

“「わたしが(生きて)してきたこと」にではなくて、「わたしが生れてそして死んでいくこと」自体に、わたしには理解することのできない大きな意義がある、実はそれだけでいいんだ、とでもいった楽な気持ちを伝え続けていこうと思っているのですが。”というお言葉だ。

 いつのまにか得も言われぬ生き辛さ、息苦しさを感じているのは、自分はこれまで生きてきて、一体何が出来たのだろう、自分が生きた証は何なのだろう、そして、これから生きている間に何が出来るのだろう、と考え過ぎるからなのかもしれない、と気付く。
 もしかしたら、自分が生まれてきたことは大した意味などなかったのではないか、自分がいなくなった後、何もなかったように日々の世界が進んでいく(もちろん、私という人間一人がいなくなったからといって世界が変わることなどあり得ないから、そうなのだろうけれど)と認めることが何より切ないのだろう。
 つまりは、自分で自分の首を絞めているのだとも思う。ただの凡人がそんな大それたことを考えずにもっと楽に肩の力を抜いて、日々生きている、生かして頂いているという、実はとても“宙ぶらりんな”こと、そのことに感謝しながら一日一日を自分なりに精一杯過ごしています、と言うことが出来れば、それで十分なのかもしれない。

 そんな時に、朝日新聞の書評サイトBOOKasahi.comで林真理子さんが5月から新聞に連載を始めたという「マイストーリー 私の物語」のことを知った。
 “これまで静かに人生を過ごしてきた人たちが、自分の生涯を本に書いて残したいと思う――そんな自費出版の世界を舞台に、さまざまな人間模様が綴られていく。人々の欲望をその時代と共振させながら多彩に描いてきた林さんが、数年前から興味を抱いていたのは、ごく普通の人々が「自分の人生を本にしたい」と思うことだった。”とある。
 「人間は平等に時間を与えられているけれど、人生の濃度はそれぞれ違う。生きた証しとして残したいのか、自分の人生を知って欲しいという気持ちなのか、そういう思いはどこから生まれるのか……。いつか小説にしてみたいと思っていました。」なのだそうだ。
 “自費出版だけでなく、ツイッターやフェイスブックなど、「自分の思いを発信したい」という人々の思いが充満した社会をいま私たちは生きている。林さんの目にはそうした現代社会がどう映るのか。”と紹介されている。
 昔から誰でも1冊の本―私小説―は書けると言われてきた。なるほど、人生80年、90年の時代。社会の第一線をリタイアしてからも、元気に過ごせる四半世紀以上の時間があるとしたら・・・。かつてとは比較にならないほど容易く市井の一個人がそうした舞台に上り、発信することの醍醐味を知ることが出来るとしたら・・・。

 私はツイッターもフェイスブックもやっていないけれど、治療日記から端を発したブログを書き始めて、もうすぐ5年になる。私が利用している会社のブログだけでも書き始めた当時の倍近く、数は200万を超えている。全てのブログ運営会社には一体どのくらいの数があるのか数えたこともないけれど、自分の思いを発信したい(そしてその思いに共感してもらいたいと思っている)人がそれだけ増え続けているのだろう。

 新聞の連載小説を日々追いかけながら読んでいくのはちょっと苦手(焦れる)なので、一気読み出来る本になるまで待つのが常だけれど(TVドラマ化もされた話題作「下流の宴」の時もそうだった。)、果たして今度も「マイストーリー 私の物語」が本になる迄(いや、出来れば文庫本になる頃まで)元気に待っていられるかしら・・・と欲深承知で愉しみにしているのである。
コメント
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