ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.6.21 32万5,000分の1として

2014-06-21 22:26:07 | 日記
 昨夜、NHKの番組・特報首都圏「働くがん患者32万人~仕事と治療のはざまで~」を見た。
 “32万5,000人”、ことし国の推計で初めてあきらかになった、がん治療を受けながら働く人たちの数です。
 医療の進歩により“死に直結する”病気ではなくなってきているがん。
 しかし、就労との両立は難しいのが現状です。
 仕事を持つ患者の3人に1人が、診断後、自主退職するか、解雇されているという調査結果(厚生労働省)もあります。
 いま国は、医師や患者、企業の人事担当者などによる検討会を作り、『働くがん患者の支援のあり方』について議論を始めています。番組では、働くがん患者を支える2つの企業を取材し、働くがん患者特有の悩みとは何か、企業はどうすれば働くがん患者を支えられるかを考えます。”という触れ込みだ。

 銀行で係長として働く40代の男性は、9年前に脳腫瘍を患い、2年間の休職の後、降格を申し出て以前とは異なる(負担の小さな)職場に復職。かつての職に戻りたいと昇任試験勉強に励むが、再び腫瘍の増大の兆候に見舞われ、治療と仕事の合間で悩む。本当の復帰は前職に戻ることと言いながら、上司や産業保健師との面談で、治療に専念せざるを得ない現実を突き付けられ、滲み出る悔しさが、切ない。

 2番目の取材対象であるカード会社の部長のケースは、昨朝のニュースでも紹介されていた。昨年、咽頭がんと大腸がんを患い、5か月間にわたる手術・抗がん剤治療で20kg痩せたという。生活のリズムを取り戻す為、産業医との面談等2か月間の復帰プログラムを経て、乳がん経験者である女性人事部長との話し合いも取り入れながら、“残業なし、出張も極力なしのフルタイム勤務”という職場環境で、1,000人を束ねる部長の重責を担っている。部下から特別視されずにごく普通に接してもらえることが有難い、と笑顔で応じるとともに、早く家に帰れるようになったことで、改めて家族との時間の大切さに気付いたという。

 毎月の検診やがん治療を受けながら働く人の数は“32万5,000人”。働くがん患者の悩みとは?-特別扱いしてほしくない、けれど配慮してもらわなければならないこともある、本当はもっと働けるし、働きたい、やりがいのある仕事で昇進だって諦めたくない、けれど治療を疎かにすることは出来ない、というバランスの難しさ。
 企業はどうすれば働くがん患者を支えられるのか?-もちろん企業はボランティアではないのだから、患者が企業におんぶに抱っこしていいわけはない。けれど、時に厳しい治療を続けながら働く患者を、企業がどこまで踏み込んで支えられるか、というこれまたバランス感覚の難しさ。

 働くがん患者は32万5,000人もいるのだ、と思うか、32万5,000人しかいないのか、と思うか。どちらだろう。ちなみに平成20年の患者調査によれば、継続的に治療を受けているのは152万人(うち調査日当日入院中は14万人超、外来受診したものは16万人弱である。)というから、単純計算すれば5人に一人は働いているということか(実際は、患者にリタイア層が含まれているわけだから、働き盛りのがん患者就業率はもっと高いだろう。)。そのうちどれだけの人がきちんと職場に病気のことを話し、支えてもらいながら治療を続け、仕事が続けられているのだろう。

 この番組が取り上げた推計32万5,000人という母数は、全てが再発・進行患者なのだろうか。再発・進行乳がん治療中の私に言わせれば、がん患者というのは、とりあえず初発治療がひととおり終わり、転移がなく経過観察中の人は含まれないように思う。もちろん一般的には、再発なく5年を無事に過ごすことが出来ればがん患者卒業になるのだけれど。経過観察中の方も本来のがん患者ではなく、がんサバイバー、がん体験者だと思うのだが、どうだろうか。

 そして、がんとの付き合いが月に1度程度の経過観察だけで済むのならば、あえて職場にカミングアウトする必要もないのかもしれないし、それで自主退職する必要も全くないだろう、というのは私が恵まれた環境にいるから想うことだろうか。

 32万5,000分の1として、働くがん患者の私がいる。

 こうして、かつては話題に上りもしなかったであろう“がん患者の就労”について、メディアで取り上げてもらえるようになったことは、大きな進歩だし、有難いことだと思う。

 決して他人事ではない。近い将来自分がその立場になるかもしれない、と働き盛りの人たちが捉えることが出来て、企業がその受入・活用について具体的に考えることが出来れば、がんを患っても、がんと共存しながら社会との繋がりを絶やすことなく働きたいと望んだ時に、少しでも働きやすい社会になっているのではないだろうか。いや、そうあってほしい、と願わざるを得ない。

 さて、今日から実家の母を連れ、1カ月半ぶりに息子の住む街にやって来ている。母とはJRの乗り換え駅で合流し、新幹線に乗って昼過ぎに到着した。思えば、結婚以来四半世紀近く、母と2人で旅行に出るというのは初めてのことだ。2泊3日、留守番してくれている夫は全く心配していないけれど、実家の父が果たして大丈夫か、という一抹の不安はある。が、その父が是非行って来い(そして上手くいけば、次回は自分も同行したい、という望みがあるようだ。)と母の背中を押した今回の旅である。

 今回は、息子の住む学生会館まで歩ける距離の、ちょっと贅沢なホテルを取った。ラウンジでケーキとお茶を愉しみ、チェックインして態勢を立て直した後、母と2人、学生会館に出向き、もろもろの部屋の片づけ(掃除、洗濯、アイロンかけ等主婦2人でフル回転)を終えた後、急遽、息子のご招待で東西四大学男声合唱団のコンサートに行くことになった。4年に一度持ち回りで開催しており、今年は京都だとのこと、親子3代でこんなコンサートを聴くことが出来るとは。しかも、この地で自分の母校の校歌を聴くことが出来るとは。これは息子曰く、私の誕生日プレゼントのサプライズだそうだ。3時間、一列目の大迫力席で大好きな男声合唱を堪能し、大満足。
 興奮冷めやらぬ中、終了後は会館に戻り、レストランで日々息子が頂いているのと同じ夕食をともに摂らせて頂いた。息子も今晩だけは外泊届を出して私たちとホテル泊だ。

 明日は迷った末、3人で定期観光バスのお世話になることにした。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする