ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.6.5 説明責任について思うこと

2014-06-05 21:29:58 | 日記
 記者会見で「STAP細胞は、・・・あります。」と発言していた論文の白紙撤回を、ご本人が認めたという。
 新聞報道等によれば、撤回は本意ではなかったし、STAP細胞の存在は事実、というコメントもあるようだが・・・。

 それにしても“リケジョの星”と持ち上げられ、彗星の如く現れた若い女性研究者が、あっという間にこういう状況になり、なんとも後味が悪い結果になった。この先、研究者として彼女はどう生きていくのだろう。
 大学という教育研究機関に勤める職員の端くれとしても、思うところはいろいろあり、なんとも複雑な気持ちだ。

 今回の彼女の件では、理研での採用から、一連のSTAP細胞論文の発表に至るまで、それは特例続きだったようだ。
 本来は推薦状が2通必要なところ、1通もなし、採用面接では英語のヒアリングもなし・・・と、特例の手続きが後から後からどんどん出てくること・・・ため息が出る。

 翻って、普段仕事をしながら思うこと、である。
 言ってみれば説明責任を果たせる仕事をする-このことに尽きる。
 スピードが大事だとか、走りながら考えろとか、臨機応変の対応が出来なくては時代に乗り遅れるとか、それにももちろん一理ある。
 しかし、そのためにルールを曲げたり、踏まなければならないステップを省略したり、挙句の果てに、あってはいけないことを特例としてしまったり、という例は私たちの身の回りに絶えない。
 そんな出来事に出合うごとに、段階を踏みながら説明責任が果たせる仕事をしなくてはならない、と思う。ルールはルール。きちんと守るべきである。

 特例扱いやら辻褄合わせの遡及適用のようなことが、日常の仕事で頻繁に登場してきて良いわけがない。後から、こんないいい加減な仕事をしていたのか、などと言われないように、誰が見ても納得出来る説明が出来るようにすること・・・、いや、何より、自分に恥ずかしくない仕事をすること、それは、私が事務屋として仕事をしていく上で持っている最低限の矜持である。偉そうにするつもりはない。ただ、長く仕事をしてきて、その長さに流されないために自分に言い聞かせるのだ。

 いずれにせよ、長く仕事をしていれば、本当に色々なことに遭遇する。それもこれもひっくるめてのお給料を頂いているわけだけれど。
 弛まず腐らず地道に日々を送っていくこと、それが30年近くの間、細々と仕事を続けてきている今の私の拠り所である、と思う。

 昨日届いていた今月初めてのお花は向日葵が5本、ピンクと白のアルストロメリアが3本、かすみ草が2本。花言葉はそれぞれ「あこがれ」、「凛々しさ」、「清い心」であるという。

 お花はすっかり夏真っ盛りの組み合わせだけれど、窓の外は土砂降りの雨模様。
 いよいよ、梅雨の季節がやってきた。
コメント
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