昨夜はブログをアップしてからなんだかお腹が空いた気がして、朝食べようと思っていたダークチェリーデニッシュとバニラビーンズのクリームパンを夫とシェアしてお腹に入れた。お供はインスタントの甘いカフェラテ。滅茶苦茶な時間の夜食だ。
その後、ユーカリーとローズマリーの入浴剤を入れたお風呂に。吐き気止めオイルマッサージを済ませ、寝室と枕にフランキンセンスのスプレーを撒き、マントラCDをかけてベッドに入った。ぎりぎりまで起きていても、気持ちが悪くてすんなりとは眠れない。
今朝、日曜日。体感的にはいつもの治療プロセスでは土曜日にあたる。また5時前に目が覚めてしまい、スマホをチェック。いつもの時間に目覚ましが鳴る。お手洗いに起きたついでに新聞を取って寝ながら一通り読む。時間差で日曜日仕様のスマホアラームが鳴り、その後二度寝。
「雲一つない青空の良いお天気だよ」と夫に言われ、洗濯しなくちゃ、と10時前にやっと起き出す。
溜まっていた洗濯機を廻す。
朝食は夫がピーチメルバの紅茶を淹れてくれたけれど、味がわからない。富良野のメロンパンを半分とミニパンプキンパイ一つ。夫が買ってきてくれたリンゴのストレートジュースも全然美味しくない。
何か口に出すと、それが険のある言葉となってしまい、夫には文句ばかりだと言われてしまう。まあ、そうなのだろう。
果物はピンクグレープフルーツジュースひと房、柿、りんごを一かけずつ。洗濯を干し終わってから青いヨーグルトを食べ切った。
今日からは、ミヤBM錠とタケプロンに、朝食後の吐き気止めカイトリルと毎食後の疲労止めのエルカルチンが加わった。引き続き今日、明日とイメンド80㎎とデカドロン0.5㎎を4錠で2㎎(昨日までの半分)を追加。細かい粒もあるが、全部で10錠。
今日は排便なし。便秘になった。相変わらず水分不足で尿の色は薄口醤油よりもずっと黄土色。
夫が早くも布団を干して冬仕様のカバーを付け替えてくれていたので、手伝いつつ洗濯物を干す。まだベランダが空いているので、ニット他お洒落着をもう一度廻す。この期に及んでまだろくに衣替えも出来ていない。とはいえ、本格的にやり出すと、とても体力が持ちそうにない。
午後からオンライン講演会を申し込んでいた。
10日ほど前に「日本でのBCネットワークのイベントに参加したことのある方々に送っています。」というメールが届いた。
昨年の暮れ、初めて参加したイベントだ。長く再発患者をやっていると、先を歩いている人が本当に少なくなる。代表の山本眞基子さんはアメリカ在住、お嬢さん出産から数年後の24年前、38歳で早期発見の初発、7年後肺転移が判明。フェマーラ等のホルモン治療が奏功し、6種類の薬を使いつつ、4年前治療薬を変える迄は特に酷い副作用に悩まされることなく、63歳の現在まで17年間再発治療を続けておられる方だ。
再発以降米国在住の日本人に対して日米両国でこうしたイベント活動を続けておられる。
今日のお誘いは「第1回 乳がん患者・経験者トーク@ジャパン『乳がん患者さんや経験者さんから、経験談を聞きたい』という多くのご希望に答えて、乳腺外科医の司会進行のもと3名の乳がん患者さんと経験者さんから、経験談を伺うオンライントークショーです。
司 会: 土井卓子医師 (湘南記念病院乳腺外科部長)
協 力: 医療法人浦和会・湘南記念病院 乳がんセンター
主 催: BCネットワーク・メンタルスパ(もやもやの会)
協 賛: コニカミノルタ株式会社
❶『再発ステージ4の先で、密度を上げて生きる時間』
キャッツ 洋子氏(転移再発乳がん患者)(ニューヨークファッション工科大学准教授・経済学博士)
❷『今を大切に丁寧に、日々過ごす』
榊原 由佳氏(乳がん・大腸がん経験者)(大手通信関連会社勤務 派遣社員)
❸『乳がん治療前と後の私の人生』
中元麻結氏(若年性乳がん経験者)(日立製作所 金融システム事業部 システムエンジニア)
NY時間では夜の11時からという遅い時間のスタートである。
司会の土井先生から、このイベントに関わり始めた頃は日本人の21人の1人が乳がんになる、という時代だったが、今や9人に1人になっているとの発言があった。私が罹患した時は確か16,7人に一人だったと思う。それがあれよあれよと今や1割を超えているのである。
3人の講演者の持ち時間は夫々30分。皆さんパワーポイントで画面共有をしながら、率直な気持ちを時に涙を交えて語っていかれる。
最初のキャッツさんは2014年、36歳でステージ1の初発。
アメリカ人のご主人との間に8歳の息子さんがおられたという。2019年、5年経過した時、全摘した胸にしこりを見つけ、検査の結果、背骨転移も判明し、ステージ4。フルセットの治療を行い鬱病も経験されたが、今もファッションを楽しみながら教鞭をとっておられる。
ご自身が大事にしている3つの言葉の贈り物として①同じ一日(どうせ同じ一日を過ごすなら、毎日失ったものを悲しんで過ごしたいのか、今あるものに感謝して過ごしたいのか)、②振れ幅の広い感情(悲しいこと、嬉しいこと、悩むこと沢山あって心揺れることがあるから人生の色彩が深く鮮やかになる、それって生きることなんじゃない?)、③太くて短い(細くて長い人生もありだけど、太くて短い人生もありじゃない?目指すは太く長く)を紹介された。
密度を上げて生きるその心がけとして、どんな自分でありたいか、ワクワクすることは何か、心動くことは何か、考えながら日々を送っているとのこと。来週木曜日はカドサイラ48クール目の治療だそうだ。
2人目の榊原さんは50代後半のおひとり様会社員。
2017年に2年間スキップしていた検診を受診したところ発覚、2018年術前抗がん剤治療後に人生初のオペ。PET CTで乳がん消失が判ったのと同時に早期大腸がんが発覚し、内視鏡手術。職場の理解もあり、沢山の人の支えに感謝しながら、色々な患者活動を始めておられるとのこと。ラベンダーリングのイベントをまとめた「自分らしく、を生きていく」の本に私と同様、写真が掲載されていた。
3人目の中元さんは、2018年29歳という若さで罹患。
司会進行の土井先生が主治医だとのこと。朝8時から終電まで働いて、その後は電車がないので同僚と飲んでそのまま朝出勤するような生活のハードワーカーでおられたという。当初、早く手術を終えて、元通りの生活に戻りたい、と思ったという。私も全くそうだった。
全摘手術後、1か所リンパ節転移があり、ドセタキセルと放射線治療。脱毛がどうしても受け入れられなかったそうだ。そりゃそうだ、まだ20代である。これからの人生設計も崩れたと思うのは当然だ。
今は①自分に向き合う:オンラインヨガや自炊、②SELF LOVE:自分を責めず、過去を後悔しない、③全員が理解できることではない、とまとめられた。③については、大切な人に病気のことを伝えたら、心無いことを言われたのが今もトラウマになっているとのことからの言葉だという。
今年は再建オペを再開し、これまで出来ないと思っていたことにもチャレンジしていく、こうして自分の体験談を人前で話すのも初めてのこと、だそうだ。
明後日29日が丸4年目の手術記念日。家族や仲間と祝う2回目の誕生日をまた迎えられそうだとお話を閉められた。
この後、土井先生が3人の講演を通じて、普遍的な問題をいくつかピックアップされた。ネット情報の海の渡り方、医師の説明の在り方、関係性、妊孕性、アピアランスケア、家族、周りの人たちの寄り添い方等である。
日米の医師の説明の仕方は違うのか、仕事のモチベーションはどうしたのか、カウンセリングは治療プランに含まれているか、緩和ケア、栄養学の話等多岐にわたる聴者からの質問に山本さんや土井先生が答える形で30分ほど。
最後はもやもやの会代表の大友さんから締めのご挨拶。自分は12年前に罹患し、ロールモデルがいなかった。元気な人の話を聴いて、私には無理、と落ち込む方もいるかもしれないが、ぐったりしている時はそれでOK 。がん患者としてでなく、自分の人生を楽しく悔いなく大事に丁寧に生きていきましょう、と閉じられた。
最後のご挨拶で、土井先生からご自身も乳がん患者の家族であり、まさに3日前にがんで家族を喪ったばかりという衝撃的な発言もあった。本当に他人事ではない。
2時間半頑張ってPCの前に座って、書斎から戻ったら空腹でふらふらした。お腹が空っぽだと寒く感じる。
レンチンのトマトリゾットとカップのパンプキンポタージュをお腹に入れて、エルカルチンとミヤBMを食後に飲んだ。夫の分は用意してあげることもなく、自分が食べたいものを勝手にお腹に入れるだけ。結局、夫はお昼は抜きでお茶とお菓子で済ませたようだった。
洗濯物を取り入れて、まだ乾いていない第二弾を浴室乾燥に移したら、もうぐったり。そのままリビングで横になって寝落ちすること2時間半以上。夫から夕飯はどうする?と訊かれたが、食べてすぐ寝たわけで、空腹は感じず。夫には私のことは構わずにどうぞ、と申し訳なくもつれない返事である。
なかなか目が覚めないし、起き上がれない。サッカーの試合が始まって1時間ほどしてようやく起き出して、洗濯物を片付け、母にMeet通話。相変わらずの不機嫌な顔を晒して、ろくな会話も出来ず、である。
ブログを書いているうちにサッカーは負けたようだった。ドーハの奇跡は続かず。
籠城蟄居2日目、昨日よりは活動時間は長かったか。それでも横になるとすぐにウトウト眠ってしまう。口の中は常に苦く、生唾が出て気持ち悪い。食欲はないのに、空腹は感じている。胃には良くないだろうな、と思う。
明日からはまた新しい1週間。夫も出勤だ。今日のような生活をしているわけにはいかない。なんとかやり過ごさなくては。
その後、ユーカリーとローズマリーの入浴剤を入れたお風呂に。吐き気止めオイルマッサージを済ませ、寝室と枕にフランキンセンスのスプレーを撒き、マントラCDをかけてベッドに入った。ぎりぎりまで起きていても、気持ちが悪くてすんなりとは眠れない。
今朝、日曜日。体感的にはいつもの治療プロセスでは土曜日にあたる。また5時前に目が覚めてしまい、スマホをチェック。いつもの時間に目覚ましが鳴る。お手洗いに起きたついでに新聞を取って寝ながら一通り読む。時間差で日曜日仕様のスマホアラームが鳴り、その後二度寝。
「雲一つない青空の良いお天気だよ」と夫に言われ、洗濯しなくちゃ、と10時前にやっと起き出す。
溜まっていた洗濯機を廻す。
朝食は夫がピーチメルバの紅茶を淹れてくれたけれど、味がわからない。富良野のメロンパンを半分とミニパンプキンパイ一つ。夫が買ってきてくれたリンゴのストレートジュースも全然美味しくない。
何か口に出すと、それが険のある言葉となってしまい、夫には文句ばかりだと言われてしまう。まあ、そうなのだろう。
果物はピンクグレープフルーツジュースひと房、柿、りんごを一かけずつ。洗濯を干し終わってから青いヨーグルトを食べ切った。
今日からは、ミヤBM錠とタケプロンに、朝食後の吐き気止めカイトリルと毎食後の疲労止めのエルカルチンが加わった。引き続き今日、明日とイメンド80㎎とデカドロン0.5㎎を4錠で2㎎(昨日までの半分)を追加。細かい粒もあるが、全部で10錠。
今日は排便なし。便秘になった。相変わらず水分不足で尿の色は薄口醤油よりもずっと黄土色。
夫が早くも布団を干して冬仕様のカバーを付け替えてくれていたので、手伝いつつ洗濯物を干す。まだベランダが空いているので、ニット他お洒落着をもう一度廻す。この期に及んでまだろくに衣替えも出来ていない。とはいえ、本格的にやり出すと、とても体力が持ちそうにない。
午後からオンライン講演会を申し込んでいた。
10日ほど前に「日本でのBCネットワークのイベントに参加したことのある方々に送っています。」というメールが届いた。
昨年の暮れ、初めて参加したイベントだ。長く再発患者をやっていると、先を歩いている人が本当に少なくなる。代表の山本眞基子さんはアメリカ在住、お嬢さん出産から数年後の24年前、38歳で早期発見の初発、7年後肺転移が判明。フェマーラ等のホルモン治療が奏功し、6種類の薬を使いつつ、4年前治療薬を変える迄は特に酷い副作用に悩まされることなく、63歳の現在まで17年間再発治療を続けておられる方だ。
再発以降米国在住の日本人に対して日米両国でこうしたイベント活動を続けておられる。
今日のお誘いは「第1回 乳がん患者・経験者トーク@ジャパン『乳がん患者さんや経験者さんから、経験談を聞きたい』という多くのご希望に答えて、乳腺外科医の司会進行のもと3名の乳がん患者さんと経験者さんから、経験談を伺うオンライントークショーです。
司 会: 土井卓子医師 (湘南記念病院乳腺外科部長)
協 力: 医療法人浦和会・湘南記念病院 乳がんセンター
主 催: BCネットワーク・メンタルスパ(もやもやの会)
協 賛: コニカミノルタ株式会社
❶『再発ステージ4の先で、密度を上げて生きる時間』
キャッツ 洋子氏(転移再発乳がん患者)(ニューヨークファッション工科大学准教授・経済学博士)
❷『今を大切に丁寧に、日々過ごす』
榊原 由佳氏(乳がん・大腸がん経験者)(大手通信関連会社勤務 派遣社員)
❸『乳がん治療前と後の私の人生』
中元麻結氏(若年性乳がん経験者)(日立製作所 金融システム事業部 システムエンジニア)
NY時間では夜の11時からという遅い時間のスタートである。
司会の土井先生から、このイベントに関わり始めた頃は日本人の21人の1人が乳がんになる、という時代だったが、今や9人に1人になっているとの発言があった。私が罹患した時は確か16,7人に一人だったと思う。それがあれよあれよと今や1割を超えているのである。
3人の講演者の持ち時間は夫々30分。皆さんパワーポイントで画面共有をしながら、率直な気持ちを時に涙を交えて語っていかれる。
最初のキャッツさんは2014年、36歳でステージ1の初発。
アメリカ人のご主人との間に8歳の息子さんがおられたという。2019年、5年経過した時、全摘した胸にしこりを見つけ、検査の結果、背骨転移も判明し、ステージ4。フルセットの治療を行い鬱病も経験されたが、今もファッションを楽しみながら教鞭をとっておられる。
ご自身が大事にしている3つの言葉の贈り物として①同じ一日(どうせ同じ一日を過ごすなら、毎日失ったものを悲しんで過ごしたいのか、今あるものに感謝して過ごしたいのか)、②振れ幅の広い感情(悲しいこと、嬉しいこと、悩むこと沢山あって心揺れることがあるから人生の色彩が深く鮮やかになる、それって生きることなんじゃない?)、③太くて短い(細くて長い人生もありだけど、太くて短い人生もありじゃない?目指すは太く長く)を紹介された。
密度を上げて生きるその心がけとして、どんな自分でありたいか、ワクワクすることは何か、心動くことは何か、考えながら日々を送っているとのこと。来週木曜日はカドサイラ48クール目の治療だそうだ。
2人目の榊原さんは50代後半のおひとり様会社員。
2017年に2年間スキップしていた検診を受診したところ発覚、2018年術前抗がん剤治療後に人生初のオペ。PET CTで乳がん消失が判ったのと同時に早期大腸がんが発覚し、内視鏡手術。職場の理解もあり、沢山の人の支えに感謝しながら、色々な患者活動を始めておられるとのこと。ラベンダーリングのイベントをまとめた「自分らしく、を生きていく」の本に私と同様、写真が掲載されていた。
3人目の中元さんは、2018年29歳という若さで罹患。
司会進行の土井先生が主治医だとのこと。朝8時から終電まで働いて、その後は電車がないので同僚と飲んでそのまま朝出勤するような生活のハードワーカーでおられたという。当初、早く手術を終えて、元通りの生活に戻りたい、と思ったという。私も全くそうだった。
全摘手術後、1か所リンパ節転移があり、ドセタキセルと放射線治療。脱毛がどうしても受け入れられなかったそうだ。そりゃそうだ、まだ20代である。これからの人生設計も崩れたと思うのは当然だ。
今は①自分に向き合う:オンラインヨガや自炊、②SELF LOVE:自分を責めず、過去を後悔しない、③全員が理解できることではない、とまとめられた。③については、大切な人に病気のことを伝えたら、心無いことを言われたのが今もトラウマになっているとのことからの言葉だという。
今年は再建オペを再開し、これまで出来ないと思っていたことにもチャレンジしていく、こうして自分の体験談を人前で話すのも初めてのこと、だそうだ。
明後日29日が丸4年目の手術記念日。家族や仲間と祝う2回目の誕生日をまた迎えられそうだとお話を閉められた。
この後、土井先生が3人の講演を通じて、普遍的な問題をいくつかピックアップされた。ネット情報の海の渡り方、医師の説明の在り方、関係性、妊孕性、アピアランスケア、家族、周りの人たちの寄り添い方等である。
日米の医師の説明の仕方は違うのか、仕事のモチベーションはどうしたのか、カウンセリングは治療プランに含まれているか、緩和ケア、栄養学の話等多岐にわたる聴者からの質問に山本さんや土井先生が答える形で30分ほど。
最後はもやもやの会代表の大友さんから締めのご挨拶。自分は12年前に罹患し、ロールモデルがいなかった。元気な人の話を聴いて、私には無理、と落ち込む方もいるかもしれないが、ぐったりしている時はそれでOK 。がん患者としてでなく、自分の人生を楽しく悔いなく大事に丁寧に生きていきましょう、と閉じられた。
最後のご挨拶で、土井先生からご自身も乳がん患者の家族であり、まさに3日前にがんで家族を喪ったばかりという衝撃的な発言もあった。本当に他人事ではない。
2時間半頑張ってPCの前に座って、書斎から戻ったら空腹でふらふらした。お腹が空っぽだと寒く感じる。
レンチンのトマトリゾットとカップのパンプキンポタージュをお腹に入れて、エルカルチンとミヤBMを食後に飲んだ。夫の分は用意してあげることもなく、自分が食べたいものを勝手にお腹に入れるだけ。結局、夫はお昼は抜きでお茶とお菓子で済ませたようだった。
洗濯物を取り入れて、まだ乾いていない第二弾を浴室乾燥に移したら、もうぐったり。そのままリビングで横になって寝落ちすること2時間半以上。夫から夕飯はどうする?と訊かれたが、食べてすぐ寝たわけで、空腹は感じず。夫には私のことは構わずにどうぞ、と申し訳なくもつれない返事である。
なかなか目が覚めないし、起き上がれない。サッカーの試合が始まって1時間ほどしてようやく起き出して、洗濯物を片付け、母にMeet通話。相変わらずの不機嫌な顔を晒して、ろくな会話も出来ず、である。
ブログを書いているうちにサッカーは負けたようだった。ドーハの奇跡は続かず。
籠城蟄居2日目、昨日よりは活動時間は長かったか。それでも横になるとすぐにウトウト眠ってしまう。口の中は常に苦く、生唾が出て気持ち悪い。食欲はないのに、空腹は感じている。胃には良くないだろうな、と思う。
明日からはまた新しい1週間。夫も出勤だ。今日のような生活をしているわけにはいかない。なんとかやり過ごさなくては。