ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2018.7.11 生と死を分けるもの-その紙一重の差

2018-07-11 21:29:45 | 日記
 6月23日に洞窟に閉じ込められたタイの少年たちが18日ぶりに全員救助された。
 ミッション・インポッシブルをミッション・ポッシブルにした人たちは本当に素晴らしい。
 世界中が固唾を呑んで見ていたのだろう。
 食べ物もなく、光もなく、そんな中ローテイーンの男の子たちと20代半ばのコーチがよくぞ生き延びたと感嘆する。
 どれほど不安だったことか、それでも彼らは希望を捨てず、体力を温存し、少ない食料を分けあい、コーチの指導を守って全員が無事に生還した。
 見つかった時には救出まで4ヶ月かかるなど、気が遠くなるような話でこの後のメンタルやいかに・・・と案じたが、蓋をあけてみれば救出開始から3回に分けた超特急の仕事ぶりで全員無事救出が叶った。
 一日も早く体力を回復させて、家族や大切な人たちのもとへ無事に帰してあげたいと思う。
 それとともに今回の救出劇の中で、自らの命を落とされたダイバーの勇気を讃えるとともにご冥福を祈りたい。

 一方、国内の西日本豪雨の想定以上の被害に、言葉もない。まだ被害の全貌も見えないという。行方不明の数が増えるとともに亡くなった方の数も平成最悪のものになっている。
 「土の匂いがしたと思ったら1,2分で土石流が押し寄せてきた。」という九死に一生を得た被災者の言葉に背筋が凍る。逃げる暇がないというのはこういうことを言うのだろう。
 やっとの思いで帰宅したら新婚の妻が遺体で見つかったという悲劇も。何が起こったのかわからないうちに命を落とされた方が一体どれだけいらしたのか。最後まで助かることを信じて、椅子を積み上げて水が入ってくるのを押さえつつ、鴨居にぶら下がった痕があったという一人暮らしの高齢男性。涙ながらに娘さんが「これでは助からない。」と家の中の惨状を見ながら仰っていたのを見て、胸が詰まった。
 健康長寿で、大往生するつもりでいらした方たちが、最期は思いもしなかった形で一瞬のうちに自然という魔物に命を持っていかれた。迫りくる最期の時を目前にした方たちの頭を過ぎったのはどんな思いであっただろうか。
 大阪北部地震の被害復旧も途上のお宅がある中で、これほど広範囲にわたる被害の復旧にどのくらいかかるのか。断水もしているという。この酷暑で熱中症や感染症が心配だ。

 生と死を分けるもの、その紙一重の差がなんなのか、私などには計り知れない。
 病弱だとか高齢だとか、乳幼児だとか障害があるとか・・・そんな一人ひとりの事情には関係なく、健康な人も含めたあらゆる人に対して、自然はある日突然牙を剥く。
 備えあれば憂いなしといいつつも、自宅で被災するか出先か、職場か、どこでそういうアクシデントに遭遇するかで事態は全く変わってくるのだろう。
 自分がいつ被災するかはわからない。これは先日の地震に遭遇してリアルに実感している。

 悠久の地球の歴史の中で、私たちの80年ほどの生はほんの1秒にも満たない。
 自然に対する畏怖の念を決して忘れてはならない、と改めて思う。
 生きていることは宙ぶらりん-そうした思いの中でたとえゴマメの歯軋りであろうとも日々自分なりに精一杯生き切ることこそ自分のミッションだと自戒を込めて思う夜である。
コメント
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