ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2018.7.3 酸素が必要になった時、私は?

2018-07-03 20:40:52 | 日記
 桂歌丸師匠が亡くなった。昨夕息子がLINEで「師匠が亡くなった」とわざわざ連絡してきた。
 夫も息子も「笑点」が好きで、日曜の夕方になると大笑いしつつよく見ていたので、落語に造詣など何もない私もなんとなく親しみを感じていた。
 体力の限界から司会を後進に譲られた後も、生涯噺家でありたい、と高座を続けられていた。
 NHKの番組だったか車椅子で会場に入り、酸素吸入器を鼻につけて演じ、楽屋に倒れこむように戻ってこられたのを拝見し、その凄みすら感じる噺家としての執念に心底圧倒された記憶がある。「まだ生きてます」「死ぬ死ぬ詐欺なんて言われてます」などと自虐ネタを噺に盛り込んでいらした。

 「まだ生きてます」「死ぬ死ぬ詐欺なんて言われてます」―この2つのフレーズはとても他人事に聞こえなかった。
 師匠と比ぶるべくもないが、10年以上再発治療を続けている身、気付けばこんなに生き長らえている私も、そう思う人にはそう思われているのだろう、と苦笑する。
 「あんなに騒いだくせにまだしぶとく生きているんだ」と。
 まあ、別に所構わず死ぬ死ぬ騒いできたつもりはないけれど、当時は50歳まで生きられるかどうかわからなかったし、その後、これほど普通の暮らしを続けられるとも当初は思っていなかった。共済組合に延々と治療費を負担して頂くことになるとも。

 師匠は慢性閉塞性肺疾患(COPD)で命を落とされたが、父も晩年がほぼそんな状態で2年前に肺炎で急逝した。
 私も両肺に多発転移があるわけで、この後腫瘍が大きくなるなど病が進行すれば、いずれ酸素の力を借りなければ呼吸が苦しくなる日もあるだろう。
 はて、そうなった折に私が酸素を引きずりながらでも行きたい場所はどこなのだろう。職場なのか、ヨガのクラスなのか。合唱の練習なのか。

 願わくば生涯現役でありたいと思うけれど、そんな身体になってまで行きたい場所はあるのだろうか、とちょっと考え込んでしまった。
 職場に酸素吸入器を引っ張ってまで出向いていくのかどうか。もちろん今の職場であれば通勤時間は徒歩のみで短いし、満員電車にも乗る必要がないから、ここで勤めることが出来なければどこにも行けないわけである。

 今はそこまでして他の人たちに心配をかけて、同情の眼差しを向けられてまで働くのはどうか・・・と思うのだが、本当にそうなった時、私はどんな行動をとるだろう。
 まだまだ答えは出ないし、ヨーガの教えに従って、全てのことはなるべくしてなる。だからどんなことになっても受け入れていく、その時に起こることは全て上手くいくように出来ている。考えても答えの出ないことは考えない、ということにしよう。

 それにしても暑い。6月から冷房が試運転されたと喜んでいたが、相変わらず使用電力制限値(自発的に設定している、震災前の約2割減。建物は増え、教職員は増えているのに、である。)を超えると無情にも冷房が切れる。昨日もあの暑さの中、昼過ぎから夕方まで風が止まった。これは、誰か救急車で搬送される事態にでもならないと状況は変わらないのではなかろうか。教職員や学生の健康よりも、省エネ優秀職場賞獲得の方が大事なのか、と暗澹たる気分になる。

 師匠のご冥福を心からお祈りしたい。合掌。
コメント
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