昨日は1冊半読んだ。
1冊目は「日本の論点」編集部編「巨大地震 権威16人の警告」(文春新書)。
帯には大きな黄色い文字で「いつ来る!次の巨大地震 どうする津波?どうなる原発?その時、あなたは?」とある。巨大地震を警告する選りすぐりの論文16本から成り、第1章 大地震はいつ起きるか 第2章 地震にいかに備えるか 第3章 原発は震災に耐えられるか 第4章 被災者をどう支援するか の4章立てに日本災害年表(地震・津波・火山噴火)がついており、一部の論文には今回の状況変化に応じて付記と震災に関する新しい情報や問題点がデータファイルとして加えられている。
“本書の読み方”の中の「45歳のとき、関東大震災を経験した寺田寅彦の随筆『天災と国防』の指摘に“文明が進めば進むほど天然の猛威による災害がその激烈の度を増すという事実がいつも忘れられがちである”というものがある。すなわち今度の震災がかつての日本の特殊な天変地異と決定的に異なるのは、天然の猛威が、文明の象徴であり、堅牢と思われていた原発の防護をいとも簡単に粉砕してしまい、寺田の警告のとおりその災禍がまさに激烈の度を増し、さらに放射能禍となっていまなお進行中である。」という記述に唸ってしまった。
そして被災者支援の章では、まさに16年前の阪神・淡路大震災からの報告が、今も見聞きする今回の被災地と全く同じ状況であるのではないかと感じるとともに、震災報道の存在理由等について心を揺さぶられる記述があった。
2冊目は山村修さんの「遅読のすすめ」(ちくま文庫)。
帯には「本はゆっくり読もう! 名書評家<狐>氏が読書本来の<快>を取り戻すためにすすめる読書術」とある。解説は佐久間文子さんが「あえて『遅読』の看板をあげて」を書かれている。「速読につながるからと多読を戒め、ゆっくり読むことの効用を説く。」と。「読むリズムが快くきざまれているとき、それは読み手の心身のリズムと幸福に呼応しあっている」・・・そうやって記憶に刻み込まれた身体感覚が幸福な読書体験の中心にあるから、文章で取り出されたときに読者の気持ちに直接響いてくる、という。その通りだと思う。
「そしてこの本は仕事をしながら本を読む人に向けて書かれた本だと思う。サラリーマンが読む夕刊紙にすみずみまで神経の行き届いた書評を書き続けてきた人だから、かつて学生時代には本を読んでいたのに、社会人になって読書を生活から締め出してしまった人にも声を届かせようとしている。本を読むことを何よりも上位に置く、ということはしない。食事や仕事や犬の散歩とともに、暮らしの時間の中に読書を置くということは、本を読む行為を特別視せず『あたりまえのこと』とするのだ。」との結びに大きく頷いた。
とにかく私は、この本を読みながらとても幸せに、そして笑顔になった。本当にそうなんだ・・・と思うところが沢山あった。もちろん紹介されていた本を全部読んでいるわけではないが、中学、高校時代に胸をときめかせて読んだ本が出てくると、嬉しくて気持ちがそこにワープした。
筆者は1950年生まれ、青山学院大学図書館司書の傍ら、匿名の狐のペンネームで長く書評家をされていたという。が、2006年に逝去、とあった。肺がんで早世されていたのだ。
本書の題名に敬意を表して、昨日は半分だけ=第一部 遅読のすすめ=のみ読んだ。第二部=本が好きになる本の話=はまたの日の楽しみにとっておきたい。
台風一過の朝。昨日の暴風雨が嘘のような青空に白い雲が光っている。昨日は早めに寝たので早く目覚めた。合唱団の友人やら職場の人やら、沢山の人が登場する多彩な夢を見た。何なんだろう。なんとか風邪もひかずに済んだようだ。
洗濯機一杯の洗濯物を干し、息子のお弁当も作り、ほっと一息である。既に若干気持ち悪いが、まあ我慢できる程度だ。
今日の出勤で今月の勤務は終了する。来週は、長期勤続25年の特別休暇を頂くことになっている。
1冊目は「日本の論点」編集部編「巨大地震 権威16人の警告」(文春新書)。
帯には大きな黄色い文字で「いつ来る!次の巨大地震 どうする津波?どうなる原発?その時、あなたは?」とある。巨大地震を警告する選りすぐりの論文16本から成り、第1章 大地震はいつ起きるか 第2章 地震にいかに備えるか 第3章 原発は震災に耐えられるか 第4章 被災者をどう支援するか の4章立てに日本災害年表(地震・津波・火山噴火)がついており、一部の論文には今回の状況変化に応じて付記と震災に関する新しい情報や問題点がデータファイルとして加えられている。
“本書の読み方”の中の「45歳のとき、関東大震災を経験した寺田寅彦の随筆『天災と国防』の指摘に“文明が進めば進むほど天然の猛威による災害がその激烈の度を増すという事実がいつも忘れられがちである”というものがある。すなわち今度の震災がかつての日本の特殊な天変地異と決定的に異なるのは、天然の猛威が、文明の象徴であり、堅牢と思われていた原発の防護をいとも簡単に粉砕してしまい、寺田の警告のとおりその災禍がまさに激烈の度を増し、さらに放射能禍となっていまなお進行中である。」という記述に唸ってしまった。
そして被災者支援の章では、まさに16年前の阪神・淡路大震災からの報告が、今も見聞きする今回の被災地と全く同じ状況であるのではないかと感じるとともに、震災報道の存在理由等について心を揺さぶられる記述があった。
2冊目は山村修さんの「遅読のすすめ」(ちくま文庫)。
帯には「本はゆっくり読もう! 名書評家<狐>氏が読書本来の<快>を取り戻すためにすすめる読書術」とある。解説は佐久間文子さんが「あえて『遅読』の看板をあげて」を書かれている。「速読につながるからと多読を戒め、ゆっくり読むことの効用を説く。」と。「読むリズムが快くきざまれているとき、それは読み手の心身のリズムと幸福に呼応しあっている」・・・そうやって記憶に刻み込まれた身体感覚が幸福な読書体験の中心にあるから、文章で取り出されたときに読者の気持ちに直接響いてくる、という。その通りだと思う。
「そしてこの本は仕事をしながら本を読む人に向けて書かれた本だと思う。サラリーマンが読む夕刊紙にすみずみまで神経の行き届いた書評を書き続けてきた人だから、かつて学生時代には本を読んでいたのに、社会人になって読書を生活から締め出してしまった人にも声を届かせようとしている。本を読むことを何よりも上位に置く、ということはしない。食事や仕事や犬の散歩とともに、暮らしの時間の中に読書を置くということは、本を読む行為を特別視せず『あたりまえのこと』とするのだ。」との結びに大きく頷いた。
とにかく私は、この本を読みながらとても幸せに、そして笑顔になった。本当にそうなんだ・・・と思うところが沢山あった。もちろん紹介されていた本を全部読んでいるわけではないが、中学、高校時代に胸をときめかせて読んだ本が出てくると、嬉しくて気持ちがそこにワープした。
筆者は1950年生まれ、青山学院大学図書館司書の傍ら、匿名の狐のペンネームで長く書評家をされていたという。が、2006年に逝去、とあった。肺がんで早世されていたのだ。
本書の題名に敬意を表して、昨日は半分だけ=第一部 遅読のすすめ=のみ読んだ。第二部=本が好きになる本の話=はまたの日の楽しみにとっておきたい。
台風一過の朝。昨日の暴風雨が嘘のような青空に白い雲が光っている。昨日は早めに寝たので早く目覚めた。合唱団の友人やら職場の人やら、沢山の人が登場する多彩な夢を見た。何なんだろう。なんとか風邪もひかずに済んだようだ。
洗濯機一杯の洗濯物を干し、息子のお弁当も作り、ほっと一息である。既に若干気持ち悪いが、まあ我慢できる程度だ。
今日の出勤で今月の勤務は終了する。来週は、長期勤続25年の特別休暇を頂くことになっている。