よく“怖いもの知らず”と言われる私である。
それでも、何が怖いかといえば、得体のしれないものに出会う時、そして、これまで経験したことのない未体験ゾーンに入っていく時、想定外のことを経験せざるを得なくなった時、ではないか。もちろん、事前に調べられることは気のすむまで調べるのだけれど。
私たちがん患者とすれば、一旦患者になってしまえば5年経過、10年経過して、卒業のお墨付きが出るまでは、何より再発・転移が怖いし、実際にこうして再発・転移してしまっても、別の臓器等へのさらなる転移、即ち病状の進展は怖い。
頭痛持ちであるにもかかわらず、頭が痛ければ、すわ、脳転移では・・・と思い、ちょいと脇腹がひきつれるように痛めば、筋を違えたというよりも肝転移ではないか、とギョッとする。
もちろん、想像することと実際にそうなることは、全く違うことだ。それゆえ、来たるべき転移(?!)のために出来るだけ準備をして、ということは出来ない。そのことだけ考えて、不必要に不安な時間を長く過ごすことは哀しいし、もっと言えば、そんな時間の使い方は“モッタイナイ”。
だから、実際に事が起こるまではなるべく心穏やかに暮らさなければ、と思う。そう、今出来ることを躊躇わずにやり続けるしかないのだろう。治療を続けつつも、毎月の腫瘍マーカーの値が上昇を止めなければ、今の薬に耐性が出来た、もしくは力不足になったということで、薬のチェンジを考える。さらにはCT画像等で病巣の増悪等が裏打ちされれば、もはや迷いは許されないことだ。
けれど、こうして文句も言わず(言えず?)淡々と毎週のように通院しているのだから、せめて今の状態が少しでも長く続くこと-薬が効いてくれること-、これを祈りつつ過ごすしかない、のだ。
今回の台風被害の映像を見ると、嫌でも3.11の震災を思い出す。
震災の時、日本中の国民がその凄まじい被害の影像を繰り返し見た。そして、誤解を恐れずに言えば、今回の台風被害に遭われた方たちは、その半年後に、まさか自分たちの家が流される等とは夢にも思われなかったことだろう。
明日は我が身、生と死は間違いなく紙一重のことなのだ、と自然の猛威の前には畏怖の念を抱かざるを得ない。世の中に”他人事”など存在しないのだ、と。
もちろん、長い目で見れば、どんな人間でも(生まれたばかりの赤ちゃんたちは別として)今から100年後まで生きている人などいない。そう言ってしまえば、死ぬこと自体は生まれてきた誰しもが約束されたことで、決して覆すことのできない運命なのだけれど。
どんな死に方がいいのだろう・・・と、ふと、立ち止まって考える。
健康に恵まれ長生きしていた、もしくは長生きするであろうと疑いすらしなかったにもかかわらず、先の震災や今回の台風の被害で、突然断ち切られた数多くの命を思うと、こうして死について考えながらも日々を過ごせていることは、ある意味奇跡であり、謙虚に感謝しなければならないことなのだ、と思う。
そして、永遠ではない命、いつ断ち切られるかもしれないからこそ、やっておきたいこと、逢っておきたい人、その他もろもろ気になっていることは、体調とも相談しつつ、なるべく先延ばしにせずに出来るときにやっておきたい。欲深な私は、こうして気付けば、怖いもの知らずの前のめりになっている。
相変わらずの不安定なお天気が続いている。気圧のせいで体も頭も重い。早く台風が遠くに過ぎ去っていってほしい、そして行方不明でおられる方たちが早く見つかってほしいと思う。
さて、明日から息子は期末試験、夫は泊りの出張。私は都心で朝の会議だ。夏休み気分から早く抜け出さなくては。
帰宅すると実家の母から留守電が入っていた。「昼過ぎに○ちゃん(息子)から電話があったけど・・・」ということで、息子に聞くとそんなことあるわけないじゃない、と。
確認のため、電話を入れさせたら、まさしく「おれおれ詐欺」だったようだ。いきなり「おばあちゃん」と言われて「あら、○ちゃん」と孫の名前を呼んでしまったらしい。その後、「今日は学校は?」と聞いたら「休んだ」と言い、「声が違うわね」と言ったら「風邪ひいた」と言ったそうだ。さらには「じゃあ一旦電話を切って、こちらから家に電話するから」と言ったら電話が切れたそうだ。
それにしてもいきなり名前を呼んでしまうなんて・・・。話には聞いていたが初めてのことだったらしい。父にもこってり絞られたという母の電話の声はシュンとしていた。
それでも、何が怖いかといえば、得体のしれないものに出会う時、そして、これまで経験したことのない未体験ゾーンに入っていく時、想定外のことを経験せざるを得なくなった時、ではないか。もちろん、事前に調べられることは気のすむまで調べるのだけれど。
私たちがん患者とすれば、一旦患者になってしまえば5年経過、10年経過して、卒業のお墨付きが出るまでは、何より再発・転移が怖いし、実際にこうして再発・転移してしまっても、別の臓器等へのさらなる転移、即ち病状の進展は怖い。
頭痛持ちであるにもかかわらず、頭が痛ければ、すわ、脳転移では・・・と思い、ちょいと脇腹がひきつれるように痛めば、筋を違えたというよりも肝転移ではないか、とギョッとする。
もちろん、想像することと実際にそうなることは、全く違うことだ。それゆえ、来たるべき転移(?!)のために出来るだけ準備をして、ということは出来ない。そのことだけ考えて、不必要に不安な時間を長く過ごすことは哀しいし、もっと言えば、そんな時間の使い方は“モッタイナイ”。
だから、実際に事が起こるまではなるべく心穏やかに暮らさなければ、と思う。そう、今出来ることを躊躇わずにやり続けるしかないのだろう。治療を続けつつも、毎月の腫瘍マーカーの値が上昇を止めなければ、今の薬に耐性が出来た、もしくは力不足になったということで、薬のチェンジを考える。さらにはCT画像等で病巣の増悪等が裏打ちされれば、もはや迷いは許されないことだ。
けれど、こうして文句も言わず(言えず?)淡々と毎週のように通院しているのだから、せめて今の状態が少しでも長く続くこと-薬が効いてくれること-、これを祈りつつ過ごすしかない、のだ。
今回の台風被害の映像を見ると、嫌でも3.11の震災を思い出す。
震災の時、日本中の国民がその凄まじい被害の影像を繰り返し見た。そして、誤解を恐れずに言えば、今回の台風被害に遭われた方たちは、その半年後に、まさか自分たちの家が流される等とは夢にも思われなかったことだろう。
明日は我が身、生と死は間違いなく紙一重のことなのだ、と自然の猛威の前には畏怖の念を抱かざるを得ない。世の中に”他人事”など存在しないのだ、と。
もちろん、長い目で見れば、どんな人間でも(生まれたばかりの赤ちゃんたちは別として)今から100年後まで生きている人などいない。そう言ってしまえば、死ぬこと自体は生まれてきた誰しもが約束されたことで、決して覆すことのできない運命なのだけれど。
どんな死に方がいいのだろう・・・と、ふと、立ち止まって考える。
健康に恵まれ長生きしていた、もしくは長生きするであろうと疑いすらしなかったにもかかわらず、先の震災や今回の台風の被害で、突然断ち切られた数多くの命を思うと、こうして死について考えながらも日々を過ごせていることは、ある意味奇跡であり、謙虚に感謝しなければならないことなのだ、と思う。
そして、永遠ではない命、いつ断ち切られるかもしれないからこそ、やっておきたいこと、逢っておきたい人、その他もろもろ気になっていることは、体調とも相談しつつ、なるべく先延ばしにせずに出来るときにやっておきたい。欲深な私は、こうして気付けば、怖いもの知らずの前のめりになっている。
相変わらずの不安定なお天気が続いている。気圧のせいで体も頭も重い。早く台風が遠くに過ぎ去っていってほしい、そして行方不明でおられる方たちが早く見つかってほしいと思う。
さて、明日から息子は期末試験、夫は泊りの出張。私は都心で朝の会議だ。夏休み気分から早く抜け出さなくては。
帰宅すると実家の母から留守電が入っていた。「昼過ぎに○ちゃん(息子)から電話があったけど・・・」ということで、息子に聞くとそんなことあるわけないじゃない、と。
確認のため、電話を入れさせたら、まさしく「おれおれ詐欺」だったようだ。いきなり「おばあちゃん」と言われて「あら、○ちゃん」と孫の名前を呼んでしまったらしい。その後、「今日は学校は?」と聞いたら「休んだ」と言い、「声が違うわね」と言ったら「風邪ひいた」と言ったそうだ。さらには「じゃあ一旦電話を切って、こちらから家に電話するから」と言ったら電話が切れたそうだ。
それにしてもいきなり名前を呼んでしまうなんて・・・。話には聞いていたが初めてのことだったらしい。父にもこってり絞られたという母の電話の声はシュンとしていた。