生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

生き生き箕面通信198 ・「病院で死ぬということ」(映画)を観ました

2009-06-07 22:23:04 | 日記
こんばんは。
生き生き箕面通信198(090606)をお届けします。今日は、配信が夜になってしまいました。

・「病院で死ぬということ」(映画)を観ました
 山崎章郎さんという医師が書いた「病院で死ぬということ」という題名のリポート・エッセイを読んだこともあり、それが映画になっていたので観てきました。

 市川準監督の追悼シリーズで上映されたものですが、結論からいうと、ちょっとクビをかしげました。

 末期ガンの患者に対して、病名告知をすべきか、患者が自分の死にゆく運命を受け入れるまでの心の葛藤、死ぬということが確定した場合の「生きる」とはどういうことか、患者の人間としての尊厳、などの問題は、映像にすることが極めてむずかしいということでもあります。こういうテーマは、映像より文字の方が説得性がある表現ができることを実感しました。

 ただ、映画が完成するまでには、非常に変わったところが関わっていました。労働者協同組合の「中高年雇用・福祉事業団」がスポンサーになっていたのです。

 何人もの患者が登場するのですが、そのなかの一人は、本当の病名が知らされることなく、一時良くなって退院。しかし、再発。今度は苦しい治療を一生懸命頑張っても、少しも良くならない焦りと、「ひょっとするとガンなのではないか」という疑念。その段階になって、意志は家族と話し合ったうえで、病名を打ち明けるのですが、患者を絶望と怒りが襲う。そして、そのあとに運命を受け入れて、残された日々をできるだけ丁寧に生きようとする患者の姿などが描かれます。

 医師は、一日に多くの患者を診なければなりませんから、流れ作業になりがちで、患者の扱いが事務的になってしまうことが多いのが実態です。患者が「死ぬ」ということすら、事務的な処理の対象になりかねない。そうしたなかで、どうしたら尊厳を保った終末期を過ごすことができるのか、今も課題は残されたままです。

 「死」からは目をそらしたくなりますが、だれもが避けて通れないことは承知しているはずです。しかし、なんとか少しでも長生きしたいと考えるのが普通です。僕自身は、20年ほど前に「多分、70歳にくらいになったら、足腰も弱ってあとはひとりでに老い行くだけ」と覚悟を決めてみました。70歳までに「やりたいことは全てやりきって、あとはお迎えを待つ」としたのです。その70歳まであと160日余り。しかし、今になってみれば、まだかなり元気です。

 仕方がないから、お迎えが来るまではもう少し意味のある生き方をしてみようと思っているところです。今日は、とりとめのないことになってしまいました。

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