生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

生き生き箕面通信908 ・ふたたび朝日新聞の思い上がりを問う

2011-06-02 06:32:51 | 日記
 おはようございます。来日中の「国際原子力機関」(IAEA)という国際的な原発推進機関が、「津波の想定が過小評価だったから、大事故になった。安全対策をしっかりして下さいよ」という報告書(概要版)を日本政府に提出しました。「安全性さえ高めれば、原発は安全で、今後も原発推進には何の問題もありませんよ」といおうとする、いい加減な報告書です。国際機関ということで日本のメディアはありがたがって大きく報じていますが、メディアならメディアとしての視点を持ってもらいたいものです 。
生き生き箕面通信908(110602)をお届けします。

・ふたたび朝日新聞の思い上がりを問う

 本日の朝日新聞朝刊は、1面で「現実を見ぬ政治の惨状」という編集委員の署名入りコラムを掲載し、さらに12面の社説では「無責任にもほどがある」と、日本政治をばっさり斬ってみせました。これら二つのコラムに共通するのは、「われわれ朝日新聞こそが政治のあるべき姿を指し示す」というごう慢な態度です。

 「政治が小さい」と書き出したのは、1面のコラム。「大所高所からの賢慮を踏まえた大きな政治を望むのは、お角違いということか。日本が直面する深刻さと、政治家たちのふるまいに見える日常感覚との巨大な落差に目がくらむ」と続けています。

 「視点が小さい」と反論せざるを得ません。「大所高所からの賢慮を踏まえた大きな視点からのジャーナリズムを望むのは、お角違いということか」ともいいたちです。日本政治の現状を見るなら、朝日新聞のおそらく”優秀な”編集委員に対する読者の期待と、この程度のコラムしか書けない現実との「巨大な落差に目がくらむ」のはこちらの方です。

 1面のコラムが言いたいことは、明確に書いている「小沢氏との関係を清算することだ」という一点にあります。要するに、朝日新聞としては、「小沢つぶし」「小沢切り」を実現するために懸命のキャンペーンを張っているということです。ジャーナリズムとしての「視点が小さくて狭い」、そうなるのも仕方がありません。麗々しいコラムは、狙いが「反小沢」という視点なのです。

 社説は、「露骨な権力ゲームにふける国会議員たちに強い憤りを覚える」と、”権力ゲーム”のレッテルを張りました。そのうえで、「無責任にもほどがある」という見出しをつけました。この社説の致命的な欠陥は、国会で起こっている緊迫した事態の本質がまったく見えていないことです。

 国の行く末を破たんに導く状況が想定されれば、政治家は政治生命を賭けて軌道修正を図るのが使命です。その本質を見ずに、「権力ゲーム」という、いつもの安易なレッテルを張る。そのうえで論を立てるごう慢なありよう。そうした論説のありようには、こちらの方が「強い憤りを覚える」といいたいところです。

 振り返ってみると、朝日は「日本の本来の姿はどうあるべきか」について、責任ある論陣を張ってきませんでした。いつも、上から目線で、その実、一見耳触りのいい論調でごまかしてきました。いわば、間違った認識で、多くの人々を世論操作し、間違った方向へのポピュリズムをあおってきたと言わざるを得ません。その最たる例が、「反小沢キャンペーン」です。異常を通り越して、気が振れたかと見まがうような「小沢切り」の紙面をつくってきました。

 いま日本を真に救えるのは、「小沢一郎しかいない」と見るぼくには、朝日の感覚はいぶかしくて到底理解できません。もちろん、ぼくのそうした見方には、「それこそ風狂」という批判があるのは、百も承知しています。しかし、いま日本が必要とするリーダーには誰が最もふさわしいのか、よくよく点検し、評定すべき時と思います。朝日の編集幹部にも、いまいちど立ち止まってよくよく考えていただきたい、と切に願っています。


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