生き生き箕面通信

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1685 ・ヒロシマ、ナガサキの風化が進み、日本は核廃絶にも無関心

2013-08-03 07:30:15 | 日記

おはようございます。
生き生き箕面通信1685(130803)をお届けします。

・ヒロシマ、ナガサキの風化が進み、日本は核廃絶にも無関心

 8月はヒロシマ、ナガサキの原爆犠牲者に対し、68年目のいま、核廃絶への誓いを新たにする月のはずです。朝日新聞は本日8月3日朝刊の「核といのちを考える」シリーズ(上)で、「核兵器の非人道性を訴える共同声明」に日本政府が署名しなかったことを改めて取り上げました。

 共同声明は今年4月24日、スイス・ジュネーブで開かれた核不拡散条約(NPT)の準備委員会で採択されました。賛同したのは世界190か国のうち80か国。日本は、核保有国(米、英、仏、ロシア、中国)の核保有国とともに署名しない方に回りました。

 理由は、「核兵器が二度といかなる状況でも(under any circumsatances )使われないことが人類生存の利益になる」という3語が気に入らなかったのだそうです。日本はアメリカの核の傘の下に入っています。その核の傘に入っていながら、「いかなる状況でも」というのに賛同するのでは理屈が通らないというへ理屈を並べました。

 しかも、この3語を削れば賛同すると確約もしていなかったことが、「日本の本気度」を疑われた。日本はアメリカの意向が大事で、アメリカの顔色をうかがいながら態度を決める習性があるので、他の国から不信感を持たれているのです。

 本来なら、核兵器撤廃の先頭に立つのが日本の姿勢であるべきではないでしょうか。日本が、共同声明の提案国となるくらいの姿勢を見せ、世界を引っ張っていく。それでこそ「平和の国・ニッポン」のはずです。

 ところが、日本は逆にアメリカの核への依存度を深めている。北朝鮮が実質的な核保有国と見なされるような状況まできたため、アメリカの核の傘への依存度を強めています。だから、核廃止をめざす共同声明などについても、何かといちゃもんをつけて邪魔をする。その結果として、世界で孤立してしまいつつあるのです。

 しかし、考えてみると、核の傘への依存度を深めるということは、いざとなれば核戦争の事態を想定するということを意味するのではないでしょうか。実際には、核を双方が持っていることがお互いに核を使えないという「核抑止力」になるという理屈が強調されています。そうした核の抑止力論に立つ限り、核兵器の全廃は不可能ということになります。

 しかし、それでも日本は「核の全廃」をめざす先頭に立つべき立場のはずです。腰の重い政府の尻をたたき、核全廃をめざす方向へ動かすには、私たちの草の根のパワーが欠かせません。

 ところが、広島の原爆資料館から被曝再現人形が撤去されようとし、原爆の被爆体験を風化させる動きがあります。ヒロシマ、ナガサキでは、高校生にとって68年前の出来事は「昔の話」だそうです。「かんけえねえ」と、無関心。

 これは、私たち大人が、日本の現代史を語り続けてこなかったことも大いに影響していると思われます。私たち自身が、日本は何なのか、どこへ行こうとしているのか、判然としない。ただ、漂っているだけ。

 日本は、一見、平和です。しかし、極めて基盤の弱い平和のように見えます。私たちは、私たちの今をどう考えればいいのでしょうか。