いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第388週

2022年04月16日 18時18分56秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第388週

今週、葉が一気に開いた。

■ 今週の武相境斜面

■ 今週のメタセコイア

■ 今週の草木花実

■ 今週の月

■ 今週の春;買ったものと貰ったもの

今週はじめ、たけのこを半額で買った。糠はついていなかった。

今週末、たけのこを貰った。皮は剥いてあり、糠もいっしょにもらった。

■ 今週、<荊の簪を挿した御方>が借り、又借りして読みはじめた本

<荊の簪を挿した御方>が高橋たか子の本を借りた。借りた動機は、女性作家のエッセイということで、佐野洋子をかなり読んだ後に、高橋たか子にたどりついたらしい、ある人のブログで知ったらしい。

高橋たか子が高橋和巳の妻であることは知っていた。しかし、高橋たか子は1冊も読んだことはなかった。高橋たか子について知っているのは上野千鶴子による「ゴシップ」である。なお、<荊の簪を挿した御方>は高橋和巳を全く知らなかった。

上野千鶴子が、『サヨナラ学校化社会』の中で、偏差値一流の大学生の女子は「学歴資源」と「女性性資源」をもつとして、2つの類型に分けている。ひとつが、「女性資源」を利用して「学歴資源」の高い男(高い社会的業績)と結婚する女。もうひとつが「学歴資源」を活かすことを選び取り結婚や子育てをしない女。前者の象徴例として高橋たか子を挙げている。その項の題が「エリート女性がエリート男を求める理由」。

 私は、高橋たか子 ー高橋和巳の妻だった作家ー を印象深く思い起こします。彼女は能力と女性性の両方を兼ね備えたような人でした。一方、高橋和巳は私が学生だったころ、全共闘運動のヒーローでした。良心的知識人として煩悶し・・・。その彼の妻として和巳が売れない大学院生時代から、塾の教師や家庭教師のアルバイトで彼の生活を支えていたのが高橋たか子です。二人は京都大学の同窓生でした。 
 その彼女が、(和巳の死後出版した本で)和巳はどうしょうもなく自己中心的で傲慢な男というものでした。彼女は、なんでそんな自己中心的な男にそこまで仕えたのか。「この人は天才だと思ったから」と言うのです。天才は生活の労苦をなめてはならない。だからたつきというか、生活にかかわる労苦をすべて私が背負う、というのが彼女のプライドでした。実際、彼女は献身的に雑事をこなして、家事をこなし、そのうえ生計まで担って和巳を支えました。 (和巳はたか子の稼ぎをひとりで温泉に行くことに使ったりした)
 ここにあるのは高橋たか子自身の二重の意味での権威主義です。一つは天才だと思える男を自分が選んだと言うプライド。もう一つは自分が天才にふさわしい女だと言うプライドです。彼女のエリート的なアイデンティティと女性的なアイデンティティとの折り合いがつく地点を、彼女は「(天才)和巳の妻」という場に見出していたわけです。そういうことが私などには、おぞましく、恥ずかしく、こんなことよく書くよねと思いました。 見たくないもの、見てはならないものを見てしまった、という恥ずかしさです。
 自分が競争することを放棄したエリート女は自分の女性的なアイデンティティとエリート生を結び付けるために自分が検診して悔いない自分を投資する価値のある男を探そうとします。 (中略)
 高橋たか子はそのうち現世の男を天才だと思うような幻想から覚めて神という究極の権威に使えるようになります。神は裏切りませんして温泉にも行きませんから。


高橋たか子の『どこか或る家』は、2006年に出版された。自伝的な文章、エッセイを集めたもの。文章が書かれた時期は広い。年譜もついている。2006年には高橋たか子は存命で、著者から読者へという文章がある。そこでは、小説の人物と高橋たか子を混同され困惑していると書いている。そして、高橋たか子は私小説を低いものと見なし日本文学の悪しき特徴と思い、「西洋文学」の優位をあからさまに表面する。

高橋たか子は1932年(昭和7年)の京都生まれ。1950年に京都大学に入学。仏文を修士課程まで修める。その後の人生は上記上野の文章にある。1932年(昭和7年)生まれといえば、江藤淳と同い年と気づく。江藤淳も最初は仏文志向で、サルトルに耽溺していた。さらには、高橋たか子は鎌倉に家を建て住んだ。1965年。これは江藤より約10年早い。ふたりの接点はあったのだろうか?江藤の『全文藝時評』(上下巻)を見ると、結構の高橋たか子の作品に言及していたとわかった。初期の作品は評価しているが、のちの『天の湖』対しては、造花のようだ、舞台のパリも鎌倉も書けていないと厳しい。


()内は昭和の元号年と月

高橋たか子は京都を日本の中で最も近代化の遅れた街と認識し、日本に生まれ育ったことが不幸であるという認識をもっている。これは江藤が指摘する昭和の文学の「現在の自分の状況を恥じる日本人」、「日本人であることを恥じる日本人」の極地ではないか。高橋たか子は、別の本、『終わりの日々』で、「知能」が西洋人と日本人では違う。「頭のよさ」の度合いが違う。西洋では存在全体をあげての「頭のよさ」があるが、日本人には欠けている、という認識をもっていることを書いている。すごい。出会えてよかった、高橋たか子。

『どこか或る家』で、初めて高橋たか子がカトリックだとわかり、延々日本との折り合いのあわないことが述べられている。その中で「証言」というものについて書いている。1980年代、日本が嫌になった高橋たか子はフランスのカトリック修道院で生活する。霊的生活らしい。修道院生活で、霊的討議があり、清貧、貞潔、従順などカトリック的課題について発言しなければならない。発言する。内容は日本文学の環境は貞潔ではないといったもの。恥をさらしてしゃべった。それに対し神父が「ひとつの証言を感謝します」といった。これは意外と高橋たか子は感じた。本当を語ることが証言なのだと理解したのだという。

この「証言」という観点で、高橋たか子のエッセイの文章はおもしろい。おいらは、敗戦時に13歳だった秀才女子が戦後どのように育ち生きたかという証言と集として、高橋たか子のエッセイはとても興味深いと思った。

『どこか或る家』では多くの海外での経験が書かれており。東西はロシアからスペイン、南北はノルウエーから(これまた)スペインの地中海側。興味深いことに、旅行はもちろん話題でも「アメリカ」が一切出てこない。

■ 今週見つけた些細な間違いと知ったこと

相模原の住宅発達史についての三浦展の記事。下記ある;

相模原における日本陸軍の各施設と戦後の米軍の進駐状況。注:アメリカルという表現は聞き慣れないがアメリカンではなく、アメリカルで正しい。「アメリカの」の意味である。 出所:『相模原市史 現代テーマ編』

まちがい。アメリカル=Americalは、「アメリカの」意味ではない。愚記事より;

アメリカル(Americal)とは何か?アメリカン(american)とは違う。Ameriaに何か接尾辞(physical、とかradical)が付いたものなのか?違った。アメリカル(Americal)のcalはニューカレドニア(NewCaledonia)のcal とのこと。オーストラリアの東にあるフランス領のニューカレドニアを防衛するための米軍師団。ガダルカナルで日本軍と戦闘。 アメリカル師団の wikipedia あり。

アメリカ(America)とニューカレドニア(New Caledonia)を合わせた造語として、アメリカル師団(Americal)と命名した。 

▼ 知ったこと;

(相模原の)都市計画の立案は神奈川県土木部都市計画課長の野坂相如(すけゆき)。作家の野坂昭如の父であった。(相模原の住宅発達史についての三浦展の記事